第十二話「グラス公爵領へ」
冒険者ギルドの執務区画は、いつもより少し騒がしかった。
大規模調査の噂が、職員を浮き足立たせているのだ。
「ユーフィリアせんぱ〜い!」
背後から、聞き慣れた声が飛んでくる。
振り返ると、メイが両手に書類を持ちながら立っていた。
「聞きましたよ。今回の大規模調査、北の都に行っちゃうんですよね?」
「うん。そうみたい」
メイが露骨に肩を落とす。
「私は西の都でした……私も先輩と一緒に行きたかったです……」
「しょうがないよ。配置はギルド全体で決めてるんだし」
「でも〜……」
不満そうに唇を尖らせるメイを見て、私は少しだけ言葉を選んだ。
「私は……メイが西の都を担当してくれるなら、安心して自分のところに集中できるけどな」
メイは、一瞬きょとんとした顔をして、
「……先輩、ずるいです」
次の瞬間、笑みを浮かべて続けた。
「そんなこと言われたら、頑張るしかないじゃないですか!」
「ふふ。期待してるよ」
「はいっ!」
メイは元気よく一礼すると、そのまま自分の席へ戻って行った。
「ユーフィリアさん」
すると、今度は落ち着いた声がかかる。
振り向くと、書類を抱えたユウが立っていた。
「ユーフィリアさんが書いた雷鳴峡谷の記録で、少し聞きたいことがありまして」
「なに?」
ユウは一瞬、言葉を探すように視線を落とす。
「この未知の個体——呼称『紫電地龍』についてなんですが……これ、あまりに対リンさんに特化していると思いませんか?」
私は少し目を見開く。
「……それは、私も思った」
「ですよね」
「でも、リンが雷鳴峡谷に行くことになったのは偶然なんだよね」
「……そうですか」
ユウが眉を寄せ、少し息を吐く。
「……でも、こう考えることはできる」
私は、静かに続けた。
「黒幕はリンを想定した個体を作っていて、偶然やってきたリンにそれをぶつけた」
私の言葉に、ユウは小首をかしげる。
「……あまり変わらないような?」
私はゆっくりと首を横に振る。
「私はね、紫電地龍を作っていた場所が、雷鳴峡谷じゃない可能性があると思ってる」
「それは……」
「うん。自分でも、少し突拍子もないと思ってはいるよ。でも——」
私は、書類に視線を落とす。
「そこまで想定するのが、私の役目だから」
ユウは少し驚いたように目を瞬かせたあと、ふっと微笑んだ。
「……かっこいいですね」
「え?」
唐突な言葉に、私は目を瞬かせる。
「プロ意識、ってやつですね。勉強になります」
「あ、はは」
真剣な表情でそう言ったユウに、私は照れ隠しに笑って誤魔化した。
◇ ◇ ◇
日が傾ききった頃。
私は、ギルドの出入り口付近でリンと待ち合わせをしていた。
「おかえり、リン」
声をかけると、リンは小さく頷く。
「ただいま……ユフィ」
その声は、昨日よりも少しだけ柔らかかった。
その時——
「あー!」
場違いなほど大きな声がロビーに響き渡った。
声の方を向くと、淡い水色の短い髪の少年が、まっすぐこちらを指差していた。
年頃は……リンと同じくらいだろうか。
「……リン。この子って——」
「おいおい。俺を知らないなんて、もしかして田舎モンか?」
小声で聞いたはずなのに、ばっちり聞かれている。
「俺の名はバルフェルド! 空の勇者だ!」
その少年——バルフェルド君は胸を張り、勢いづけて続ける。
「おい時の! 聞いて驚け。俺もとうとうお前と同じ——」
「バルフェルド君?」
だが彼の背後から、穏やかな声がかけられる。
「げっ……」
振り返ったバルフェルド君の顔が、一瞬で引き攣った。
そこに立っていたのは、ウィズさんだった。
「君は、私に用があるのだろう?」
「あ、ああ。そうだったそうだった……」
口元だけ微笑んでいるウィズさんの表情に、バルフェルド君が視線を泳がせながら慌てて取り繕う。
ウィズさんは視線をリンに向けて口を開いた。
「では、バルフェルド君はお借りするよ?」
「元々……わたしのじゃ、ない」
リンがぽつりと呟く。
バルフェルド君は借りてきた猫のように丸まりながら、ウィズさんに連れて行かれていった。
残された私たちは顔を見合わせる。
「……元気な子だったね」
「……うるさい、だけ」
リンの率直な言い方に、私はくすりと笑った。
そうして準備期間は、あっという間に過ぎていった。
◇ ◇ ◇
ウィズさんに大規模調査の話を聞いてから、二週間が経った。
今はまだ、朝焼けが空気を淡く照らす早い時間。
荷物の最終確認をするため早めに起床した私は、ふと気づく。
「……あれ?」
寝床に、リンの姿がない。
一瞬だけ胸がざわつき、視線を巡らせると——
部屋の隅、窓辺にリンはいた。
小さな体を丸めるようにして腰掛け、外の空をじっと眺めている。
朝の澄んだ光が、銀色の髪を柔らかく縁取っていた。
その姿は現実から切り離されたようで、どこか神秘的に見えた。
「……おはよう、リン。早いね」
「……おはよう……ユフィ」
振り返ったリンの表情は逆光でよく見えなかったが、微笑んでいるようにも、何かを憂いでいるようにも見えた。
「朝、苦手だったよね?」
「……うん。でも、今日は……」
言葉の続きを探すように、リンは一度視線を落とす。
「準備、しなきゃ」
「……そっか」
それ以上は聞かず、私は頷いた。
それだけのやり取り。
けれど、胸の奥に小さな引っかかりが残ったまま、私たちは出発の準備を始めた。
◇ ◇ ◇
北の都——グラス公爵領までは、冒険者ギルドが用意した馬車で向かう。
荷台には物資と書類箱が積まれ、御者台にはギルドの紋章が刻まれていた。
馬車が動き出すと、街の喧騒は次第に遠ざかっていく。
窓の外には、ゆっくりと流れる景色。
私は膝の上に資料を広げ、目を通していた。
過去の調査記録、地形図、想定される魔力反応の傾向——
ふと、私は視線を上げる。
向かいに座るリンは馬車の揺れに身を任せるように、窓の外をぼんやりと眺めていた。
視線は遠く、どこにも焦点が合っていないようだった。
いつもおとなしいけど……でも、今日はいつにも増して静かすぎる気がする。
「リン?」
私の呼びかけに、リンの肩がびくりと大きく跳ねた。
「……なに?」
「……ごめん。驚かせた?」
「ううん」
そう答えたリンが、少しだけ口元を緩める。
けれど、その反応が気になってしまう。
「大丈夫? どこか体調悪い?」
「……大丈夫」
リンが小さく首を横に振る。
それでも、どうしても不安が拭えなかった私は資料を脇に置き、リンの方へと身を寄せる。
「ちょっと、失礼するね」
そう言って、リンの額に自分の額をそっと当てた。
「熱はない、か」
顔色も悪くない。
次に、リンの首元に指を添える。
脈拍は正常。
……いや、少し早くなった?
「ユフィ……近い……」
絞り出すような小さな声でそう言われ、ハッと我に返る。
「あ、ご、ごめん……」
「……大丈夫」
そう言ったリンは、気恥ずかしそうに顔を反対側に向けた。
……やってしまった。
向かう先が先だからか、孤児院にいた頃の癖が出てしまった。
自分でも思っていた以上に、グラス公爵領という場所に意味を感じているらしい。
「……何かあったら、すぐ言ってね」
「……うん」
それきり、リンはそれ以上何も言わなかった。
結局、リンが静かな理由はわからなかった。
けれど、言いたくなさそうな空気を感じ取り、私も深追いはしなかった。
リンの隣に座ったまま、私は再び資料に視線を落とす。
でも、文字はなかなか頭に入ってこない。
馬車の揺れと、二人分の呼吸音だけが続く。
そうして沈黙は破れないまま、馬車は静かにグラス公爵領へとたどり着いた。




