第十一話「大規模調査隊」
爽やかな緑の風が、蒼天の下を吹き抜けていく。
私は、拠点の裏手で洗い終えた洗濯物を干していた。
アデランの件から、一週間が経った。
布地が風に揺れるたび、ぱたぱたと軽い音がする。
「……増えたなあ」
思わず、そんな言葉が溢れた。
リンの服だ。
最初は必要最低限の替えしかなかったはずなのに。
気づけば、色も形も少しずつ増えていて、洗濯籠の中身も前よりずっと賑やかになっている。
干し終えた服を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
——穏やかな日々が、続いている。
朝起きて、顔を洗って、食事をして。
ギルドへ仕事に行き、戻ってきて、こうして洗濯をする。
それだけの毎日なのに、不思議と心は静かだった。
ふと視線を感じて振り返ると、建物の影にリンが立っていた。
干された服をじっと見上げている。
「どうしたの?」
声をかけると、リンは少し驚いたように瞬きをしてから小さく首を振った。
「……ううん」
そして、洗濯物に視線を戻しほんのわずかに口元を緩める。
自分の居場所が、ここにあるとでも言うように。
その表情を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
——何事もなく、このまま日々が続けばいい。
その時はまだ、そんなことを考えていた。
◇ ◇ ◇
いつものように、二人でギルドに向かう。
石畳の通りを並んで歩きながら、私は自然と歩調をリンに合わせていた。
人通りが多い時間帯で、道の両脇からは商人の呼び声や冒険者たちの笑い声が飛んでくる。
ギルドの建物が見えてくるにつれて、いつもとは違うざわめきが耳に入った。
……なんだろう?
入口から入ってすぐ。
ロビーにある掲示板の周囲に、人だかりができている。
それは、普段依頼を選ぶために立ち止まっている人数を明らかに超えていた。
嫌な予感というほどではない。
けれど、胸の奥で小さく引っかかる。
「リン、ちょっと待って」
「うん」
人の隙間を縫って掲示板の前に出る。
視界に飛び込んできたのは、一枚の張り紙だった。
他の依頼書よりも一回り大きく、封蝋の跡と正式文書特有の硬い書式。
『大規模調査隊 発足。志願者募集』
私は、無意識に息を詰めた。
……前に、ウィズさんが言っていたものだ。
詳細な内容は記されていない。
けれど、冒頭にはこう明記されていた。
——国からの正式依頼。
私は視線を下へ滑らせる。
報酬——
冒険者ランクの昇格。
参加報酬としての多額の金銭。
加えて、調査への貢献度合いに応じた上乗せ。
「……すごいな」
思わず口の中で呟く。
参加条件は、Bランク以上。もしくは討伐難易度Bランク以上のモンスター討伐経験者。
その他、調査隊として貢献が見込める能力を持つ者。
人だかりでは、様々な会話が飛び交っている。
「勇者も動くんじゃないか?」
「王命だしありえるな」
「場所はどこだ?」
誰もが、張り紙の行間を読み取ろうとしている。
「……ユフィ」
小さな声で呼ばれて、振り返る。
リンは少し離れたところから掲示板を見ていた。
その表情は読み取りにくい。
けれど、目だけが張り紙をじっと捉えている。
「どう思う?」と聞きかけて、言葉を飲み込んだ。
今はまだ、何も決まっていない。
これは募集でしかなく、説明は後日だ。
私はもう一度、張り紙へ視線を戻す。
白い髪の上に並んだ文字が、なぜか妙に重たく感じられた。
◇ ◇ ◇
数日後。
冒険者ギルド本部最奥。
その場所にあるギルドマスター室には今、普段より一段重い空気が満ちていた。
机の向こうに立つウィズさんは、いつもの穏やかな表情を抑え込み、重々しく口を開く。
「君たちには事前に伝えていたが、大規模調査について詳しく説明しよう」
私は背筋を伸ばし、リンは静かに椅子に腰掛けたままウィズさんを見据える。
「前にも言った通り、雷鳴峡谷の異常は自然発生ではない……裏で、手を引いている『黒幕』がいると考えている」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
あの不気味な違和感が、はっきりと輪郭を持って蘇る。
「そして現在、雷鳴峡谷のような気象異常が確認されている地点が複数ある」
ウィズさんは卓上の地図に視線を落とし、指でなぞる。
「この度の大規模調査は、その異常を調べるためのものだ」
視線を私たちに戻し、ウィズさんが続ける。
「今回は、複数地点を同時に調査する。一箇所ずつだと、他の地点の情報を逃す可能性が高いためだ」
ウィズさんが一度、言葉を切る。
「今回の目的は二つ。ひとつは、異常の発生原因を調べ、可能ならばそれを排除すること。そしてもうひとつは、黒幕に繋がる情報を探ること」
私は小さく息を吸い、無意識に指先を握りしめていた。
「それと、雷鳴峡谷の時のように未知の個体が存在する可能性も、否定できない」
リンが、わずかに瞬きをする。
「万が一、そのような個体が調査地点から外へ放たれた場合——近隣の街に、甚大な被害が出る恐れがある」
室内の空気が、さらに冷える。
「……だからこそ、だ」
ウィズさんは、私たちをまっすぐに見た。
「今回の調査地点は、全部で三つ。それぞれに、切り札となる戦力を配置する」
机の上に置かれた書類をめくりながらウィズさんが続ける。
「動員する勇者は四人。時の勇者、リン君。空の勇者、バルフェルド君。巧の勇者、ジュジュ君。力の勇者、ゼルジネさん」
その名前を聞いて、私は思わずリンの横顔を見た。
リンは静かに頷くだけで、特に反応を示さない。
「そして、君たちには『グラス公爵領』へ向かってもらう」
その瞬間、私の意識が一瞬遅れた。
「……グラス公爵領」
口に出してから、ようやく意味が追いつく。
「なにか?」
「あ、いえ……その、私がいた孤児院がある場所なので……少し、懐かしくて」
ウィズさんは、ふっと目元を緩めた。
「なるほど。であれば、なおさらだ。ぜひ君の手で、被害を未然に防いであげてくれ」
その言葉に、胸の奥で小さな決意が灯る。
「我がギルドの調査結果では、北の都にあるグラス公爵領——ひいては、調査箇所である『夢幻洞窟』が、現時点で最も危険度が高いと結論づけた」
再び、地図を指し示す。
「そのため、雷鳴峡谷での経験がある君たちを配置したい。それと、グラス公爵領にはもう一人——ジュジュ君を配置する」
「……リンと、最も力の相性がいいから、でしょうか」
私の問いにウィズさんが首肯する。
「その通りだ。想定外への対処能力を、最大限に高めたい。この二人なら、それができる」
私は深く頷く。
「現地では、冒険者ギルド北支部の支部長、レスが指揮を執る。リン君には、遊撃を行なってもらうことになるだろう。そして、帯同する記録係を——」
ウィズさんの視線が、私に向く。
「ユーフィリア君。君に任せたい」
私は、力強く頷いた。
「わかりました」
ウィズさんも、満足そうに頷く。
「よし。調査隊の正式な編成は、二週間後だ。それまでに準備を整えてくれ」
そこで、ふと思い出したように言葉を足す。
「ああ、それと」
私は、顔を上げる。
「雷鳴峡谷の件で、君がまとめてくれた記録だが……見本として、ギルド職員に共有したい。構わないかね?」
「……見本、ですか?」
「ああ。あの記録は非常に詳細で、かつ分かりやすかった」
一瞬、言葉に詰まる。
「……ありがとうございます。見せていただいて構いません」
「助かる」
その一言に、私は小さく頭を下げた。
◇ ◇ ◇
ギルドを出た帰り道。
夕暮れの光が石畳を赤く染めている。
胸の内が、妙に熱かった。
勇者が四人も動員される規模。
国が本気で動いている証拠だ。
「……すごいね」
思わずそんな言葉が漏れる。
リンは少し前を歩きながら、小さく相槌を打った。
「……うん」
私は、横顔を窺う。
……いつもより静かだ。
考え事をしているようにも見える。
「リン、大丈夫?」
「……なに、が……?」
「いつもより静かだから」
リンは一度、視線を落としてから首を横に振った。
「なんでも、ない……」
「……そう?」
その返事は、どこか歯切れが悪い。
けれど私は、これからの準備や調査のことに思考を引っ張られていた。
頭の中では、もう地図や記録の整理が始まっている。
だから——
リンがほんの一瞬だけ浮かべた暗い表情に、私は気づくことができなかった。




