2-11.共鳴の代償
リュウの身体が、物理法則を置き去りにした加速で異形の懐へと滑り込んだ。
「……はあぁっ!」
逆手に握ったナイフが、黒い冷気を引き連れて異形の側面を薙ぐ。
カインの強化ブレードを砕いた硬質な装甲を、ジンのノイズを纏った一撃が「紙」のように容易く切り裂いた。切り口から溢れ出したのは、デジタル的な砂嵐だ。ジンの力が触れた箇所から、異形の構成データが強制的に崩壊し、ガラスのように砕け散っていく。
初めて通った有効打。しかし、異形も黙ってはいない。巨体に見合わぬ速度で、数千の触肢がリュウを包囲するように一斉に突き出された。
「リュウ、避けろ!」
カインの叫びが、ノイズ混じりの通信越しに遠く響く。リュウの理性はその声に反応しようとしたが、肉体は既に「別の意思」に支配されていた。
背中を叩きつけられた衝撃でアーマード・スキンが火花を散らし、肺の空気が一気に絞り出される。間髪入れず放たれた追撃が右肩を掠め、肉が焼ける嫌な臭いが鼻を突いた。
『……ハハッ、無様だな! もっと俺を循環せ、リュウ! 壊れるのを怖がってんじゃねえ!』
無意識に「人間」を繋ぎ止めようとするリュウの理性が、奔流するノイズを辛うじて押し留めている。だが、それすらもジンには最高の娯楽でしかないようだった。
『もっとだ……心臓が止まるまで速度を上げろぉ!!』
脳内を蹂躙するジンの咆哮に合わせて、リュウの動きがさらに激化する。
彼は空中で身を翻し、一対の触肢を掴んで強引に引きちぎった。ちぎれた断面から漏れ出すノイズを、左腕の血管を伝って手の甲まで這い上がってきた黒い紋様が、泥のように「吸い込んで」いく。
情報の捕食。そのたびに、リュウの身体は黒い火花を発し、脳を直接焼かれるような激痛が走る。
「……ぐ、おぉっ!」
リュウは激痛を怒号に変え、吸い込まれるように異形の中央部へと突っ込んだ。
目にも止まらぬ速さで叩き込まれた三つの衝撃。
一つ、二つと重なるたびに、異形の硬質な装甲が内側から腐食するようにひび割れ、黒い火花を撒き散らす。リュウの右腕は、もはや自分の意思を無視して「急所」を抉る最適解だけを叩き出し続けていた。
三つ目の衝撃が深部へと到達した瞬間、異形の内部で脈動していた不気味な光――「中心核」が、引きずり出されるようにその姿を晒す。
リュウの視界の半分は砂嵐で、もう半分は黄金色の炎に焼かれていた。意識の混濁の中で、彼は自分の腕が「自分ではない何か」の速度で動くのを、他人事のように眺めていた。
『さあ、最期だ! その汚ねえ「芯」を、俺に差し出せぇ!!』
ジンの絶叫と同期するように、リュウは最後の一歩を踏み出した。
死角から迫る無数の触肢がリュウの四肢を貫き、鮮血を撒き散らす。だが、彼は止まらない。貫かれたまま強引に突き出したナイフが、脈動する歪んだ立方体――異形の「芯」へと深々と突き刺さった。
「――消えろッ!!」
音のない大爆発。
黒い光が防壁の上を舐めるように広がり、異形は構成データそのものを「無」へと還され、完全に消滅した。
静寂が戻った戦場。
膝を突き、肩で息をするリュウの周囲には、原型を留めないほどに破壊された防壁と、恐怖に凍り付いた仲間たちがいた。
リュウの背中から角が音を立てて崩れ落ち、肉の中へ消えていく。手の甲を覆っていた黒い紋様も、熱を失いながら波が引くように左腕へと退いていった。
だが、その痣が向かう先は――以前よりも確実に、心臓に近い位置へとその根を伸ばしていた。
「……貴様、本当に……人間か?」
カインの震える声。
リュウはそれに答える力もなく、黄金色の光が消えた瞳で空を見上げ、そのまま意識の底へと沈んでいった。




