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 暗闇の中で、ひなたは自分の身体が前後左右にゆらゆらと揺れる感覚を覚えた。それは、父親が運転する車に乗っているときや、修学旅行で訪れたテーマパークの人気アトラクションに乗ったときとはまるで違う。ゆったりと、どこか心が落ち着くような感覚は、授業中に軽くうたた寝したときに近いものがあった。

 それを自覚すると同時に、ひなたはうっすらと瞼を開ける。ああ、そういえばさっき、本棚から本を取り出そうとして、その時に本が落ちてきた反動で倒れ込んだんだっけ――そこまで思い起こしたところで、ひなたはぱっちりと両目を見開いた。


「えっ! どこなの、ここ!?」


 そこは、ひなたが先ほどまでいた離れの書斎とはまるで違っていた。眼前には見渡す限り、黄色い砂漠が地平線いっぱいに広がっている。

 ひなたはその場で半身を起こす。前をよく見ると、ラクダの後頭部が見えた。その先に数百頭はいるであろうラクダの行列があり、それに従う形で移動しているであろうことは頭で何とか理解できた。その一方で、細い両足で挟み込んだラクダのコブを目の当たりにしたひなたは、思わずそれを右手でそっと触る。紫色のふかふかな(くら)越しに触れたラクダのコブは、テレビや図鑑で目にしたイメージとは裏腹にほんのりと温かく、意外にも石のような硬さは感じなかった。


「おや、どうやら気が付いたようだね」


 後方から響く声に、ひなたははっとしてその場で振り返る。見ると、白い化粧に星のメイクを加えた、アフロヘアーのピエロが彼女のすぐ後ろに座っていた。

 ひなたは、自分が置かれた状況を理解するよりも先に、その場で悲鳴を上げようとする。喉元から声が出かかったところで、ピエロはすかさず自身の右手の人差し指を口の前に持っていき、シーッ、と彼女の悲鳴を遮った。


「ビックリさせてゴメンよ。ただ、今急に大声を上げたら、ラクダが驚いてボクたちを振り落としちゃうかもしれないからね。自己紹介するよ、ボクはピエロ。どこにでもいる、ありふれた名もなきただのピエロさ。キミは?」


 左手でラクダの手綱を握ったまま、ピエロは自らの前に座るひなたへと声をかけた。少しだけ落ち着きを取り戻したひなたは、後ろを振り返った体勢のまま応じる。


「東雲、ひなた。です」

「ひなた、か。良い名前だね。ではひなた、一つだけ聞きたいんだけど。キミはどうして一人で『きいろい砂漠』を進んでいたんだい? さすらいの旅人というには、ちょっと違うような気がするけど」


 ピエロの問いかけに、ひなたはすぐさま首を左右に振った。まさか、こんな砂漠に一人で? あり得ない――心の内で強く否定しながら、ピエロへ冷静に言葉を返す。


「いいえ、わたしは今までおじいちゃんの書斎にいました。気が付いたらこんなところにいて、何がどうしてこうなったのか、まったく分からないんです」

「そうだったのか。実はボクたちはさっき、倒れていたキミのそばをたまたま通りかかってね。砂漠のど真ん中で放っておくわけにもいかなかったから、近くの村まで連れていくことにしたんだよ。特にケガをしている様子もないし、荷物も靴も無かったからおかしいな、とは思っていたけどね」


 ピエロが淡々と事情を説明するのを聞いて、ひなたははっとなった。急いで自分の装いを確認する。薄桃色のブルゾンと灰色のTシャツ、紺色のキュロットスカートに、黒色のハイソックス。これらの装いは今日、家を出発したときと何ら変わらなかった。唯一、離れの書斎に入る際に脱いでしまったスニーカーだけがこの場に無い。

 これからこの広い砂漠で、靴無しで過ごすのか――そう思うと、ひなたは気が遠くなりそうだった。ここがどこなのか、ただでさえ分からないことだらけなのに、移動する際もほぼ素足になるとは、余計に気が滅入ってしまいそうになる。そんな彼女の様子を察してか、ピエロは少し考える素振りを見せると、何かを閃いたように自分の拳と手のひらをぽん、と叩いた。ピエロの白い手袋が擦れ、小さく乾いた音が短く鳴る。


「そうだ、次の興行の時に子どもたちへ配ろうと思っていた物資の中に、子ども用の靴が何足かあったんだ。ぴったりお気に召すものがあるかどうかは分からないけど、ひなたがもし良かったら後で一足分あげるよ」


 ピエロの提案に、ひなたは目を輝かせて彼の顔を見上げる。先の見えないこの状況に、一筋の光明を見出したような気分だった。両親や学校の先生たちが見聞きしたらかなり心配されるところだが、今のひなたにとって背に腹は代えられない。


「ホントですか⁉ ありがとうございます!」

「この世界、この砂漠で出会ったのも何かの縁だ」

「あー良かった、どうしようかと思った……ところであの、興行って?」

「ああ、それはね」


 ひなたが問いかけると、ピエロはにこにこ笑顔を浮かべながらどこからか小さなボールを数個取り出した。次々に空へ放り投げたかと思うと、声高に叫び出す。


「ボクたちは、サーカス団なのさ!」


 ピエロの声を合図に、数百頭ものラクダの行列がぴたりと止まった。ひなたが困惑するよりも先に、ピエロはラクダの手綱を少女の手に握らせる。


「しばらくこのまま握っていてね。引っ張ったり、離したりしてはいけないよ」


 言うが早いか、ピエロはラクダの背の上で立ち上がったかと思うと、そのままピョンと飛び上がり、くるくる身体を丸くしながら数メートル離れた地面へ向かって降りていく。ひなたが驚きのあまり短い悲鳴を上げる。だが、空を舞う道化師は笑顔を崩さないまま、バンザイの体勢で黄色い砂の上に着地した。それからワンテンポ遅れて、ピエロが先ほど投げた小さなボールが、天高く伸ばした彼の左手へ吸い込まれるかのようにすべて収まった。

 ピエロはその場で、ボールを使ったジャグリングを披露する。すると、どこからともなく軽快な音楽が流れ始めた。


「ボクたち~はサーカス、村から村へ旅する流れ者さ~」


 音楽に合わせてピエロが歌い出す。そのまま、音の高低や大小に合わせてジャグリングの速度を変えながら、両足を砂の上でばたつかせる。すると、彼の足元から少しずつ、大きなボールが姿を現し始めた。


「えっ、うそ」


 ひなたは驚きのあまり、口元に手を伸ばそうとしてやめた。先ほどピエロが言った通り、ラクダの手綱を握りしめることに専念する。

 その間に、ピエロの足元には彼より一回りほど小さいボールが、砂の中から完全に出てきていた。鮮やかな赤、青、緑、黄色に塗り分けられたボールの上に立ったまま、彼はなおもジャグリングを続ける。そのまま音楽のリズムに合わせて足元のボールを前後左右に揺らし、それに合わせてピエロの位置も移動する。


「ボクたちの夢は~、子どもたちに笑顔を届けるこ~とさ~」


 歌うピエロの足元が、どこか覚束ないものになってきた。砂上を動き回っていたボールが、見る見るうちに大きく膨らんでいく。まるで困ったように両足をばたばたと動かし続けるピエロの姿を前に、ひなたは思わず声をかける。


「危ないよピエロさん、下りた方が良いよ!」

「大変なときやつらいとき~、どうかボクたちのことを呼んでくれ~」


 だが、ピエロは構わず両足を動かし続ける。やがて、足元のボールは直径二メートルほどの大きさまで膨らんだかと思うと、もくもくと白い煙を吐き出した。ピエロはジャグリングをしていた手を止めると、今度はパントマイムをするかのように手を上下左右へあわただしく動かしてみせる。程なく、ピエロの姿は白い煙に包まれ、完全に見えなくなってしまった。

 しかしそれでも、音楽は止まらない。ひなたが固唾(かたず)()んで見守っていると、ピエロの歌声が再び聞こえてきた。


「そ~うしたらきっと! ボクたちはどこでも駆けつけて、見せてやるのさ~」


 そして、広がっていた白煙が次第に薄くなっていく光景を前に、少女は再び目を(みは)る。大きく膨らんだボールはいつの間にか音もなく消えており、代わりに人影が数人、その場で横並びになっているように見えた。

 横並びの中心に立っていた人影が、両腕を天高く左右へ突き出す。その瞬間、その場に残っていた煙はすべて掻き消えた。砂上にはピエロを中心に、女ドラキュラやヘビ男、白いスーツを着た初老の男性やバレエのドレスを着た女の子が左右に並んで立っている。音楽が止まると同時に、ピエロは大きく声を上げた。


「たくさんの笑顔が生まれるサーカスへ、ようこそ!」


 目の前で繰り広げられたパフォーマンスを前に、ひなたはその場で思わず拍手する。驚きと興奮を隠せない少女の拍手は、次第に力強いものになっていく。

 ぱちぱちぱちぱち。

 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。

 そうして、ひなたはふと気が付く。わたしのほかに、誰かが拍手してる――?

 ひなたがきょろきょろと辺りを見回すと、いつからいたのか、彼女が乗るラクダのすぐ後ろで(ぎっ)(しゃ)が一台、ラクダの行列に割り込むかのような形で鎮座していた。開いている()()の中をひなたが覗き込むと、(じゅう)()(ひとえ)を着た女性が座っていた。女性の長い黒髪には(つや)があり、(たき)(もの)の独特な香りが少女の鼻腔をほのかに刺激する。


「お()(ごと)(さん)(がく)でした。(みやこ)ではたまにしか()ることは(かな)いませんでしたが、これほど()(ばつ)なものを()にしたのは(はじ)めてです。(なん)ともあやしき(ところ)(まよ)()んだと(おも)(なげ)きましたが、このように(きょう)をさかすことが()()るのであれば、(わる)くはございませんね」


 女性の透き通るような声が辺りに響く。女性が言い終わった後、牛車を引く黒いウシがモ~、と低い鳴き声を上げる。そんなウシを、ひなたと同い年ぐらいの(うし)(かい)(わらわ)が静かに宥めた。そんな女性たちを前に、ピエロは恭しく頭を下げる。


「お褒めの言葉、とても光栄です。違う国籍、違う時代、違う世界からやって来たレディに我がサーカスを褒めていただいたこと、永遠の誇りとしましょう」

「まあ、(うれ)しきこと。どの(よう)(いん)()かは()かりませぬが、この()(ちょう)(ゆめ)()()いましたことも(なに)かの(えん)でございましょう」

「あ、あの。ちょっと待ってください」


 ピエロと女性がやり取りを交わす間に、ひなたが割って入る。ひなたはどうにか事情を呑み込もうと、互いの話を整理しながら続ける。


「違う世界……? 胡蝶の夢……? それってどういう意味ですか? 今のこの世界は、いったい」


 二人の顔を交互に見ながら、ひなたは困ったような表情を浮かべる。そんな彼女の問いかけに先に応じたのは、十二単の女性だった。


(わたし)貴方(あなた)も、あちらに()()(さん)(がく)()(とう)さまも。ここにいらっしゃる(かた)(みな)(とき)()(しょ)()(ことわり)(ちょう)(えつ)して(あつ)まった(もの)たちなのでございます」


 ひなたは頭の中で、女性の言葉を自分なりに咀嚼する。


「それってつまり。わたしたちは全員、過去や未来の人だったり、異なる世界の人だったりする……ってこと?」

「まあ、そういうことになるかな。もっともボク自身、詳しいことまでは分からないんだけどね」

「マジで?」


 ひなたはサーカスのメンバーや、女性たちの牛車を再び注視する。ピエロを除くサーカスのメンバーたちは、各々片付けを済ませた後、雑談をしながら元いたラクダへと戻っていく。女性の牛車のそばにいる牛飼童は、たびたび鳴き声を上げる黒いウシの様子を常に気にかけていた。

 今実際に自分の目の前にいて、話をすることもできるのに、自分とは違う世界の人? ひなたにはとても信じられなかった。実感が湧かない。今自分が砂漠にいることも含めて、余計に頭が混乱しそうだった。

 ひなたはぼんやりと空を見上げる。雲一つない青い空。そして――


「太陽が、無い」


 ひなたは気が付いた。昼間を思わせる明るさに反して、地面を照らす白い太陽の姿がどこにも見当たらない。

 そうか、やっぱりここはわたしがいた世界とは違う場所なんだ――ひなたは口に出さないまま、心の中で納得した。ピエロや十二単の女性たちもまた、自分とは違う世界からやって来たことも、おぼろげながら理解できた。


「誰かーーーー! 助けてミィーーーーッ!!」


 聞き慣れない声が砂漠中に響く。ひなたが声のした方角を見上げると、空から何かが落下している様子が見て取れた。それは数秒と経たないうちに、ひなたたちから百メートルほど離れた砂漠の上へ、猛スピードで墜落した。

 その瞬間、何かが落ちた地点を中心に大きな土煙が舞い上がる。土煙はあっという間にひなたたちの元へ到達し、彼女たちはその場で咄嗟に顔を覆い、頭を伏せた。

 何が起きたっていうの――? ひなたの理解も追い付かないまま、ラクダの群れや牛車、ピエロたちの姿は瞬く間に黄色い土煙の中に呑み込まれた。

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