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 にわかに差し込む陽光の眩しさに、少女――東雲(しののめ)ひなたは目を細めた。短時間の昼寝から目が覚めたばかりの彼女は、咄嗟に手で顔を覆う。束の間、目が眩しさに慣れたタイミングを見計らって、車窓へと顔を向ける。車窓の先には、家や田畑が点在する田舎の光景が広がり、緑に覆われた山々や澄み渡る青空が見て取れた。山肌をよく見ると、満開に咲いた山桜があちこちに点在して見える。

 目元を擦りながら、ひなたは自分が座っている後部座席のパワーウインドを開けてみた。全開になった瞬間、車内に強風が吹きこんだ。助手席に座っている母親が、後方に座る一人娘へと顔を向ける。


「何やってるの。閉めてちょうだい」

「えーっ、風が冷たくて気持ちいいじゃん。桜もきれいだし」

「四月だからといっても、寒いものは寒いの。ほら、早く閉めて」


 ひなたは表情をにわかに曇らせながら、眼前のパワーウインドを閉める。完全に締め切ったところで、不機嫌そうな顔を浮かべる母親へ声をかけた。


「おじいちゃん家って、そろそろ?」

「もうすぐよ。そろそろ準備しなさい。ほら、いつまでも眠そうにしない」


 ひなたを一瞥すると、母親は再び前方のフロントガラスへと顔を向けた。長時間に及ぶドライブの疲れを和らげようとしているのか、母親が目の下を指でマッサージする様子が、バックミラー越しに見て取れた。そんな母親の様子を尻目に、運転席の父親は淡々とした様子で口にする。


「まあまあ、さっきコンビニで昼飯を食ったばかりだから、眠くなるのも無理はないさ。おじいちゃん家に着いたら、ゆっくりすればいいよ」


 平然とした面持ちの父親を見て、ひなたはどこか感心した気持ちになった。朝早くに東京を出発し、高速道路や一般道路を乗り継ぎながらずっと一人で運転を続けているにも関わらず、父親には疲れた様子がみじんも見られなかった。トイレや昼食時の休憩にも、母親に運転を交代してほしいと一言も発しなかった辺り、相当車の運転が好きなんだな、とひなたはあらためて実感した。


「そら、見えてきたぞ。おじいちゃん家だ」


 父親はそう言うと、フロントガラス越しに外を指さした。その先を、ひなたは注視する。そこには、古い日本家屋を思わせる小ぢんまりとした建物がひっそりと建っていた。築五十年は建っているであろう民家をまじまじと見つめるひなたをよそに、父親がさらに続ける。


「ここに来るのは、おじいちゃんの葬式以来だから、去年の十月ぶりか。ちょっと見ない間にずいぶん古くなったもんだ」

「その間は伯父さんが管理してくれてたんでしょ。あなたが仕事で東京からなかなか戻らないから」

「それもそうだ」

「伯父さんの実家もここからそんなに近いわけじゃないから、大変だったと思うわよ。今日の遺品整理ぐらいはしっかりしなきゃ」


 横から母親が割って入り、そのまま夫婦間で話が始まった。時に説得するような、喧嘩するような口調で話す二人をよそに、ひなたは徐々に近づく亡き祖父の家を前に思いを巡らせる。五年前に祖母が亡くなって以降、祖父がずっと一人で住んでいたが、昨年の十月に老衰でひっそりと亡くなった。別居している伯父が定期的に介護に訪れていたが、東京に住んでいるひなたの両親はほとんど足を運ばずじまいだった。

 両親がどう感じていたかは一度も聞かなかったが、ひなたは生前の祖父が好きだった。家に訪れた際はおいしい料理を振る舞ったり、絵本の読み聞かせや昼寝、近くへ散歩に出かけたり。何かと世話を焼いてくれた当時の思い出が、祖父の家に近づくにつれ鮮明に思い起こされる。中でも特に強く印象に残っているものは――それを思い起こすよりも先に、車が祖父の家の敷地に到着した。

 伯父が愛用している箱バンの隣に車を停めると、ひなたの両親はすぐさま外に出た。ひなたも両親に続く形で、車外へと出る。ほんのり枯れ草と土が混じったような匂いと、足元の雑草が混じった赤土の地面を前に、祖父の家へ帰って来たことを実感する。ひなたの両親はいつの間にか、祖父の家の玄関口まで移動しており、伯父と言葉を交わしていた。


「よぉ、ひなた。久しぶりだな」


 ひなたの伯父は小太りな体を揺らしながら、久々に目にした姪へと声をかける。無精ひげを顔いっぱいに生やした伯父の姿を前に、頭の中で熊を連想しながら、ひなたも気さくに返事をした。


「伯父さん、久しぶり」

「ちょっと見ない間に大きくなったなあ」

「そうかな。変わってない気がするけど」

「大きくなったさ。ついこの間ランドセルを買ってもらったと思ったら、来週からは中学生になるんだもんな。いやいや、時の流れは思いのほか早いもんだ」


 しみじみとした面持ちで口にする伯父を前に、ひなたは意を決して口にする。


「伯父さん、あのね、おじいちゃんの――」

「ひなた、どこかで適当に時間をつぶしてなさい。これからお父さんと伯父さんと、おじいちゃんの遺品整理をするから」


 ひなたが言い終わるより前に、彼女の母親が先に言葉を制した。どこか不満げな面持ちを浮かべる姪へ、伯父はにっと黄色い歯を出して笑って見せる。


「悪いなひなた、ずっと整理しきれなくて置いたままだったおじいちゃんの遺品がちょっと……いや、かなり。山のようにあるから、整理に時間がかかりそうなんだ。どうだ、その間、おじいちゃんが好きだった離れの書斎に行ってみるか? ひなたも好きだったろ」


 伯父の提案に、ひなたは瞬く間に目を輝かせた。かつて祖父と共に離れの書斎で本を読んだ記憶が(たちま)ち蘇る。


「うん、そうする」

「悪いな。鍵は開けてあるから、適当にくつろいでくれ。後で美味しいおやつも持っていくよ」

「ホント? ありがとう、伯父さん」

「お義兄さんすいません、わざわざ」


 母親が伯父に向かって深々と頭を下げる。対する伯父はさほど気にはしていない様子だった。父親は無言で頷いてこそいたが、その場の空気が落ち着いたとみるやすぐさま家の中へと入っていった。

 ひなたは祖父の家の後ろにある離れへ向かって歩を進める。すると、後ろから伯父が呼びかける声が聞こえてきた。


「ここ数ヶ月ずっとそのままにしてたから、多少埃っぽいところは勘弁してくれよ」

「えっ、マジで」


 伯父の思わぬ言葉に、ひなたは一瞬その場で固まる。後ろを振り返ると、伯父はスポーツ刈りの頭をぽりぽりと掻きながら、笑顔を崩さずに続けた。


「悪い悪い。今朝のうちに床だけは一応掃除しといたから、少しはマシになってるハズだぜ。それじゃ、また後でな」


 伯父はそう言うと、やや急ぎ気味に家の中へと引っ込んでいった。ひなたの母親も、伯父に続く形で玄関の敷居をまたいだ。あまり迷惑をかけるんじゃないわよ――そう言わんばかりの目で、一瞬だけひなたの方へ顔を向けると、すぐさま靴を脱いで二人の後を追いかけていった。

 ひなたは、その場で深く息を()いた。天を見上げると、綿飴を思わせる積雲が一つ、青空の中を静かに揺られているのが見えた。風に揺られながらゆっくりと動く雲を少しの間眺めた後、ひなたは再び離れの書斎へと足を延ばした。



***



 祖父の家から少し北へ歩いた場所にある離れの書斎は、家を建てた二十年後に祖父が急に思い立って建築した、という話をひなたはふと思い返す。小さい頃に祖母が笑い話として口にしたとりとめもない話だったが、小ぢんまりとした白い木造洋館を思わせる造りのそれを初めて目の当たりにしたとき、心なしか祖父の家よりもはるかにピカピカと輝いていたように見えたのだった。

 それから年月が過ぎた今あらためて見返してみると、白い外壁は日焼けや風雨の影響を受けて所々が色褪せ、茶褐色に変色し始めている箇所も見て取れた。ひなたは木でできた両開きの扉の前に立ち、左右に並ぶステンレス製のドアノブに両手をかける。そのままゆっくり同時に手前へ引いた瞬間、ひなたの鼻腔をカビの独特な臭いが刺激した。

 伯父さん、もう少しちゃんと掃除しといてよ――一瞬そう思ったのもつかの間、ひなたは眼前に立ち並ぶ本棚の数々に圧倒された。中二階建てで構成された離れの書斎には、約一~二メートル間隔の通路を除けば、天井まで届かんばかりの高さはある本棚で埋め尽くされている。本棚には、祖父が生前趣味で集めていた蔵書や雑誌、漫画や絵本が並んでいた。祖父曰く、戦前に発行された海外の洋書や、江戸時代の和本といった希少本も置いているらしいのだが、どの棚にどんな本が並んでいるのかまではひなたも詳しくは知らないままだ。


「やっぱり凄いね、おじいちゃんの書斎は」


 ひなたが書斎へと一歩、足を踏み入れる。刹那、ギシギシと軋む音が辺りに響く。ウッドデッキを思わせる床の隅は、所々が白っぽく変色し、表装が大きく剥がれていた。ふと天井を見ると同じように白いシミがあり、付柱を伝って白い床へ続く様子が見て取れた。いつ頃からなのかは不明だが、雨漏りしていたらしい。その影響なのか、本の表装がふやけていたり、外装からも分かるほど黒ずんだりしている本が散見された。

 知らない間に古くなった書斎の中を歩きながら、ひなたの脳裏に祖父と書斎で過ごした思い出の数々が巡り出す。様々な絵本や昔の変わった本を手にとっては読み聞かせてくれたり、昔人気だった漫画を一緒に読んだりした。一度だけ、廊下を走り回って転んだ時に叱られたこともある。


「ここにある本は、これからどうなるんだろう」


 ふと心に(よぎ)った疑問を、ひなたは口に出す。並んだ本や蔵書の数々にどれだけの価値があるのか、ひなたには分からない。ただ、祖父が生前愛していた数百、ともすれば数千冊はあるかもしれない本の山を、伯父たちがこの先どうするかも知らないままだ。ずっと離れの書斎に置いたままにするのか、どこかへ売るのか寄贈するのか、あるいは捨ててしまうのか――考えれば考えるほど、ひなたの中で漂う(もや)が、ぐるぐると複雑な渦を巻き続けた。湧き続ける(あい)(まい)()()な考えを全部吐き出さんとばかりに、ひなたは大きく息を吐く。


「あーっ、さっき伯父さんに聞いておけば良かったぁ。考えたらこんなにたくさんの本、この先持っているだけでも大変だろうし……遺品整理でどうするか、もう決まっているのかな」


 もしおじいちゃんが生きていたら、何て言っただろう――ひなたはぽつりと、そう声を漏らす。そのまましばし、書斎の中を静寂が支配した。

 そんな静寂を打ち破ったのは、書斎の片隅にある本棚だった。ひなたが一歩動き出すよりも先に、カタン、と何かが動くような音がした。ひなたが音のした方へと顔を向ける。

 なんだろう? ひなたがそう思って本棚へ顔を向けると、最上段の列に一冊だけ、横向きに寝かされた状態で置かれた本があった。辞書のような分厚いカバーも、漫画のような表紙カバーも無い、紙とホチキスだけで綴じられた数十ページほどの冊子だ。映画のパンフレットを思わせる大きさをした冊子は、離れの書斎に一つだけ取り付けられた小窓から入る陽光を受け、白っぽい光を反射させていた。


「何だろ? この本」


 ひなたは天井を見上げると、その場でつま先立ちになり、横向きになった本をどうにか手に取ろうとする。ところが腕をぐっと伸ばしても、指先がようやく届くかどうか、といった場所に本は置かれていた。辺りに目を配っても踏み台の類は置いておらず、自分の身一つで何とか本を手に取るしかないと悟ったひなたは、床から小さくジャンプする。ぴょんぴょん、と幾度かジャンプを続けるうちに、指先に本が触れた。


「やった、取れた」


 ところが、ひなたが安堵して本を引っ張ったその瞬間。本に隣接して置かれた雑誌やチューブファイルが数冊、微かに揺れたかと思うと、最上列に並べられたそれらが一斉にひなた目掛けて雪崩れ込んできた。


「うわっ!」


 ひなたは短い悲鳴を上げ、思わず瞼を閉じた。本を取ろうと伸ばした全身の体勢が大きく崩れ、その場で尻餅をつく。そんな彼女の身体の上に、雑誌やチューブファイルが大小音を立てて落下した。

 やがて、書斎の内に静寂が再び訪れる。ひなたは冷たい床の上で、仰向けになった状態で気絶していた。そんな少女の小さな両手には、薄いクリーム色をした冊子が一冊、固く握られていた。

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