70 エピローグ:この部屋の温もりは妄想だった
部屋に入るとリュシエルがオレを出迎えた。
丸い木のテーブルに、立派な表紙の本が開かれている。
リュシエルは膝を崩し、両足を外に流して座り、本を読んでいた。
オレが持つ箱に注目すると、頬を綻ばせる。
「それは、まさか!」
オレは箱を掲げて見せびらかす。
「ケーキだぞ」
「おおーっ!」
「サラに店を教えてもらった。良く分からんが、サラが言うなら美味いんだろう」
テーブルに箱を置くとリュシエルが近寄ってきた。
箱には、森で遊ぶ妖精のシルエットがデザインされていて、リュシエルが並ぶと、彼女まで森に紛れたかのように馴染んだ。
「本読んでたのか?」
ケーキに夢中になったリュシエルは、読みかけの箇所を見開きで放置していた。
「うん。タイトル覚えてなかったから、探すのに苦労したよ」
「なら、やっと覚えたってことだな」
「でも忘れちゃった。長くて覚えられないなあ、あのタイトルは」
「いい加減なヤツだな」
「イズルには言われたくない」
「オレはいい加減じゃないぞ」
ビリビリ、と包装紙を引き裂く。
「雑だな!」
「え、いる?」
破れた包装紙を渡そうとして押し返された。
「そんなになったら使い道ないじゃん」
「なら、さっさと食うか」
包装紙を押しのけ、皿を二枚並べると、ケーキを箱から出す。
円形のケーキだ。切り株や妖精の人形で飾られ、表面のクリームには緑色の粉がまぶされていた。
「ずいぶん、かわいらしいケーキだね。イズルっぽくないな」
「面倒だから一番高いの買った」
「情緒がないね」
「高いんだから、美味いんだろう」
言いながらオレは、ケーキにナイフを落とした。
台を傷つけることなく、ケーキを両断する。
「ムダに凄い技術だね」
「刃物の扱いはまかせろ」
「君には、ケーキ切断士の免許を与えるよ」
「貰えるもんは何でも貰おう」
皿にケーキを移す。
「私、大きい方」
「じゃ、オレは切り株で」
チョコクッキーが美味そうだ。
「妖精と取り換えっこしようよ」
「いやいや、オレは切り株に拘りがあるんだが」
「私が妖精食べたら、共食いみたいになるじゃん」
そういうとリュシエルは、オレの意見も聞かずに妖精を両腕で掴んで、口元まで運んでくる。
「はい、あーん」
「もぐもぐ。うん、パサパサして粉っぽいな」
「お返しは?」
リュシエルは自分の唇に指を当てて、無言で訴える。
「ほれ」
摘まんで差し出すと、リュシエルは瞳を閉じて切り株をかじった。
「うん。おいしいよ。凄く」
ゆっくりと噛みしめるように顎を動かして、リュシエルが言う。
「イズルも食べていいよ」
「じゃ、遠慮なく」
ぽい、と残りの切り株を口に放る。
チョコクッキーが砕けた。
「ちょっと、全部食べないでよ」
「食べていいって言っただろ」
切り株を飲み込む。
「一口だけって意味だよ」
「はっきり言わないと伝わらないぞ」
「もう!」
頬を膨らませて、リュシエルはケーキを食べ始めた。
オレもフォークですくって味見をしてみた。クリームとスポンジが舌に触れて、溶けた。甘みと香が口に染み渡った。
「うまいな!」
「だね!」
リュシエルは満足げに微笑んだ。
命をかけた甲斐があった。これがオレの望んだ未来だ。
続けて、今度は大きめにケーキを取った。
指が止まらなくなり、連続して口に運ぶ。
いつの間にかリュシエルは食べる手を止め、目を細めてオレを眺めていた。
「食べないのか?」
「うん。イズルがあんまり美味しそうに食べてるからさ。圧倒されちゃった」
「そっか」
オレは最後に残ったケーキを口に押し込んだ。
…………
ほら、ね。
やっぱりイズルはガサツだ。
荒っぽい食べ方をするものだから……
「どうした、ぼけっとして。いらないなら食べてやろうか」
「それ……」
高鳴る鼓動を抑えようとしながら指で示す。
ねえ、イズル?
彼の頬にクリームがついていた。
「ん?」
首を捻るイズルに向かって、とんっ、と爪先を蹴って羽根を広げた。
分かる?
妄想が現実になったときの高揚感が。
私はイズルの肩に止まって背伸びをする。
唇に、頬のクリームが触れた。
窓から強い風が舞い込んだ。
風が本を煽り、ページをパタパタとめくった。
舌が、綻ぶ。
「甘い……」
「そこは、唇にする場面じゃないのか?」
「そんなこと恥ずかしくて出来るわけないっての」
あの時は感情に任せて言っただけ。
でも、いずれは……
風が最後のページをめくって途絶えた。
そこには私が鉛筆で描いた絵がある。
夢ですらない、この部屋の温もりだって、妄想のはずだった。
でも、この瞬間、現実になった絵だ。
今なら、目を瞑っててもイズルの顔を描ける。
この絵は漆黒の翼が、罪の象徴から絆の象徴へと変わった証なんだよ。
そしてまた、温かい昼の風が、私とイズルを柔らかに撫でた。
悪役令息に転生したオレは、勇者のために死ぬべきか~それは処刑前夜に始まった。世界に殺されるなら、運命に抗い脱獄する――これがオレの物語だ~
~完~
最後までお読み下さりありがとうございました。
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