63 《当事者》勘違いしてしまうくらいに
「さて」
イズルは剣を拾い鞘に戻し、戦闘で汚れた服を払う。
私はイズルを殺せなかった。
それだけのことで事態は改善していない。
勇者が竜王を倒すという大筋が守られながらも、筋書きから死の運命を負わされたイズルが生き残っている。
イズルが勇者を打ち破ったことで、修正力は限界を迎えた。
この世界は宙ぶらりんの状態だ。
「イズルはどうするつもりなの? このまま崩壊を待つつもり」
筋書きの瓦解は、心血注いで作り上げられた物語が消滅することを意味する。
イズルは空に生じた亀裂に手のひらを重ねた。
「リュシエルは見落としている。オレが死ぬ以外にも、修正力を戻す方法はある」
私はイズルの言葉の意味を探った。
イズルの存在が世界に負荷を与えている。
だとしたら……
「ノイズが消えることだ」
イズルは、それが何を意味するのか察しているのだろうか。
「ノイズという病原体が外へ出れば、物語は病気が完治したように元に戻る。つまり、オレたちがいなくなれば、物語は正常化される」
機能不全に陥った勇者物語が復元される。
空の亀裂は、筋書きの狂いにより生じた歪み、現実世界とを結ぶ接点だ。
亀裂はイズルが真理の剣を振るう度に広がり、今では通り抜けられるほどの大きさになっている。
イズルは軽く考えているが、私にとっては存在を揺るがすほどの選択だ。
やはり、私とイズルの物語はぶつかるのだろうかという、痛みが生じた。
私は、天使リュシエルなんだよ?
イズルは、神によって小説世界という牢獄に閉じ込められた。
転生だろうと幽閉だろうと処刑されれば同じだ。
私はイズルの表現が確定を見届けるまでの、いわば番人。脱獄を見過ごすことは神への裏切りだ。
「迷っているのか?」
イズルは私の心を見透かしたように言う。
迷う、迷わないの問題じゃない。
天使としての私の答えは聞かれるまでもなく、決まっている。
「イズル、私は……」
「神に逆らえないなら、オレがお前の神になってやる」
イズルは私が想定してもいなかったことを躊躇いもなく口にした。
さすがに呆気にとられた。
私にできたのは唇をパクパクさせて、バカとかアホとか雑多に浮かんだ言葉を、どう叩きつけて罵倒してやろうかと考えることだった。
「オレと外へ出よう」
その誘惑は私の意識を、淡く金色に輝かせる程度には、魅力的だった。
もしかして夢が叶うのかと勘違いしてしまうくらいには……
夢、と表現してしまうのもおこがましい、妄想でしかなかった。
描いてはくしゃくしゃにして、投げ捨てた絵のようなものだった。
「二人で生きて帰るってこと?」
声が震えた。
「この世界がオレを死に招く牢獄なら、脱獄して生き延びる。そして、ハッピーエンドにはお前が必要だ」
イズルはすぐ茶化すし、自己中だし、自意識過剰で女好きだし、性格悪いし、悪役だし、人の立場なんて考えないし、でも私はいつの間にかイズルとの世界を妄想してた。
そこにいたのはいつも、顔がないイズルだった。
「まだ、迷ってんのか?」
イズルの手が、重なった。




