62 《当事者》おとぎ話
くそ。
私はイズルのことを何も理解できていなかった。
分かり合うだけの時間がまるで足りない。
そんな現実に気付いたとき、築き上げたはずの防波堤は価値をなくした。
翼が最後の砦だ。光を遮り、心を闇に沈める。
自分を見つめ直すには、太陽の光は眩しすぎる。
私はイズルの本当の顔を知りたい。
闇に紛れて頬を拭う。
これが天使だって?
ずいぶん感傷的な天使がいたもんだ。
イズルは、私が感情をなだめるのを待つかのように言葉を発しない。
いつもは自分勝手で強引なくせに、こんなときには私に合わせるのかよ。
喉の奥が震える。言葉を吐き出せば、感情が堰を切って溢れる。
言葉を、繋げられない。
「オレとお前の物語が衝突したって、同じ未来を描けば構わないだろ?」
翼を隔てて、イズルが穏やかな口調で私に問いかける。
「こんな話がある。架空世界の悪役が語る過去の話に過ぎない。この世界の筋書きには何の影響も与えない、とってつけたような話だ」
イズルは返事を求めない。私は翼越しに耳を傾ける。
「昔々、それはそれは悪い盗賊団がいました。彼らは毎日毎日町や村に出かけて帰ってきては、酒宴を開いていました。盗賊団には加入したばかりの少年がいました。少年はそれはまあ、ませたクソガキで、女の子とお話して笑顔を見るのが好きな少年でした。ある日少年は、楽しそうに酒宴を開く盗賊団が何をしているのか、覗いてみることにしました……」
イズルはおとぎ話のような語り口で、淡々と抑揚なく話す。
「そこには強奪された酒や食料が並べられ、村娘は盗賊の相手をさせられていました。酒臭い盗賊たちは笑い、女の子たちが泣いていたのです。女の子の笑顔が好きなマセガキは思いました。こいつらが女の子を不幸にしてる、と」
イズルは何を意図してこんなことを私に聞かせるのだろう?
そんな疑問が、逆に私を引き込む。
「翌朝、少年は壊滅した盗賊団のアジトから旅立ちました。お、し、まい!」
会話の内容にそぐわない、おどけた口調でイズルは言った。
「オレにとって過去なんて未来への動機にすぎない。女の子は笑ってるからこそかわいい。オレが欲しい物はたくさんある。その中でも一番欲しいものは……」
暗闇に、光が差す。
それはキラキラと輝いていて……
重ねた翼に生じた隙間に、イズルが指をくぐらせた。
例えるならばそれはノックだ。
部屋に籠った私に、入ってもいいかと囁きかけるように優しく響く音……
そっと、扉を開こうと。反応を確かめながら、イズルは、私の翼をこじ開けた。
「かわいい笑顔のために、オレは生きてる」
それは、待ち焦がれたプレゼントの箱を開けた子供のように……
イズルの無邪気な笑顔が、私の闇を解き放った。
「あれ?」
「笑ってないっての」
あれだけ命のやり取りをして、泣かせておいて、暗い過去の話を聞かせて、すぐに笑えるとでも思ってるのか、こいつは。
「かわいい笑顔を期待していたんだが」
「どこに笑う要素があるっていうのよ。あんたがどっかの盗賊団を潰したって話しただけでしょうが」
「オレの過去とは言っていない」
「女好きのマセガキってあんたしかいないでしょ」
「女の子の笑顔が好きなマセガキであって、女好きとは言っていない」
「じゃあ、嫌いなの?」
「好きだけど」
生き残るためだけに、戦っていたわけじゃないんだね。
私はイズルを理解できていなかった。
でも、今までのイズルも嘘じゃなかった。
良かった。
イズルの気持ちは、私に届いたよ。
「やっと笑った」
そういってイズルが微笑むと、私は頬に温もりを感じた。
荒野に吹き荒れていた風が、太陽に温められ、穏やかに草木を撫でていた。
「余計な回り道するんじゃないっての」
緑の香を嗅ごうと空気を吸った。
「女の子の笑顔を見るために回り道をするのが、オレの生きる道だ」
ジュリアンに、知らないはずのイズルの顔が重なった。
そんな錯覚に私は心が和むのを感じた。




