59 《当事者》物語の輪
「ここなら、邪魔は入らないよね」
竜王城のすぐ傍にある荒野では風が吹きすさんでいた。
地平線に連なる山々があるだけで、近くには人も魔物もいない。
私と、イズルだけ。
誰にも介入させない。
「デートにしては殺風景だな。せっかくリュシエルが人間サイズになってくれたのにな」
イズルは変わらない。いつもと同じだ。
「分かってるよね、そんな話をする段階じゃないってことを」
「オレは、今まで通りがいいんだけどな」
それは一方通行の願望だよ、イズル。あんたは戻れないところまで来てしまった。
私とあんたの運命が交わることはなくなった。
衝突するだけ。イズルもずっと言ってたでしょ。
ぶつかり合うなら、どちらかが壊れる。あるいはどちらも……
「ねえ、覚えてる。勇者たちと初めて会った後に話したこと」
「どのことだ?」
「あの時、私言ったんだよ。イズルが死んだら、本来の姿であの世に連れて行ってあげてもいいって」
まさか、私がイズルに死を与える存在になるなんてね。彼を甘く見すぎてた。
「忘れた」
イズルは退屈そうに小石を摘まんで遠くに投げた。
私は理解していた。
このような事態に陥ったのは、イズルにばかり責任があるわけではない。
「イズル……正直私は、あんたがエミルとの戦いで死んでくれればいい、とすら本気で願ってたよ」
イズルによってむしられた雑草が風に攫われ、遥か遠くへ流れていく。
「そう思ってしまうくらいには、私たちは長く一緒にいすぎた」
「オレは楽しかったけど? 勇者パーティーなんかに加わるより、リュシエルと二人で良かったって思ってたぞ」
イズルはこんなときにも空気を読まずに、にこやかに笑う。
「やっぱりかわいい女の子が傍にいるのはいいもんだ」
こいつは、こんないい加減なヤツなんだ。
すっと壁をすり抜けて入ってくる。
だから、遅れた。
「本当はもっと早く決断すべきだったんだろうね。どこかで予感はしてたんだ、あんたはいずれ、この世界の筋を完全に壊すって」
リリアの試練がきっかけだった。イズルは竜王だけでなく、全てを失い、覚醒した勇者さえも乗り越えてしまった。
「イズルがエミルを倒してしまったら、あんたに死を与えられる存在はいなくなる。あんたは悪役としての機能すら失い、明確に秩序を乱す反逆者になった」
「だったら、物語の攻略に成功したってことで、幕を閉じたらいいんじゃないか」
「ダメだよ。それじゃ、神の罰が浮いてしまう。昨夜も言ったよ、逃れられないって。あんたがたとえ、修正力を超越しても……」
だから、死んでほしかった。
イズルの死に顔を看取る覚悟はできていたのに。
「私がいる。あんたを死に導ける存在としての私が」
イズルは勇者物語の歯車として死ぬべきだった。
でないと……私が殺さなければならなくなる。
その覚悟はまだ、なかったんだよ。だからこんな結果を招いてしまった。
私の責任だ。
「最初は不思議だったよ。物語の一登場人物が、どうして筋書きに抗い続けられるのか。すぐに飲み込まれて死ぬものだと思ってた。これは単なる戦闘技術の有無じゃない」
「答えは見つかったのか?」
イズルが乱れた髪をかき上げた。隙間から鋭い眼光が覗く。
「あんたは最初から気づいてたんだね。当事者であるあんたが気づくのは、ごく自然なこと。見届け人……観察者である私が見逃してた致命的な観点」
違和感はいつものように彼の名を呼んだときだった。
ジュリアン・エルミオンを、私はイズルと呼んでいた。
「あんたも私と同じノイズだったんだね。あんただけ魂と肉体が、この世界で分離してる、という観点が抜け落ちてたよ。肉体は物語の構成要素でも魂はノイズ。だから物語の修正力が及ぶ範囲外にあんたはいる」
イズル、と彼に声をかけるごとに疑問は膨らんだ。
彼はジュリアンではない、と。
私自身、無意識にイズルをノイズとして認めてたんだ。その考えに至ったとき、いずれイズルは修正力を突破するのだと知ってしまった。
「あんたがノイズだったら、同じノイズである私しか対処できないね」
息苦しくなって、空気を吐き出した。
ノイズの私がジュリアン・エルミオンの生死に干渉するということは、その瞬間筋書きを壊してしまうリスクを孕む。だからここまでイズルを野放しにしてしまった。
違う。
私は自分の中に、問題を先送りするための言い訳を作っていたにすぎない。
リスクを負ってでも、危険性を察知した時点で干渉すべきだった。
「まだ、かろうじて間に合うんだよ。曲がりなりにも、勇者が竜王を倒したという結果は保たれたから。今にも崩壊しそうなこの物語の構造は、その一点において拮抗している」
「オレが死ねば、ジュリアンの死亡イベントを回収できるってか」
イズルはいつものように茶化すわけでもなく、私から目を離すこともしない。
これでは、どちらが観察者なのか分からない。
「そうだよ、ジュリアン•エルミオンという装置が機能しなかったことで、世界が根底から崩れた。イズルが死んで異物がなくなれば、修正力は世界を修復できる。世界は安定して元に戻るんだよ。私が処刑人として、強制的に死を与えればね」
冷たい風に頬が痛んだ。
この世界に肉体を顕現させたことを実感させられる。受肉するということは、イズルと同じ次元に立ったということ。
私はイズル殺せる。すなわち、イズルも私を殺せる。
あんたは、この仕組みにもう気づいてるよね?
「イズル、あんたは前世で天使を殺した。でも、この世界のジュリアンは、まだその時の強さには及ばない。命を断つなら今なの。それをできるのは、もう私しかいない」
「観察者の立場を放棄して、当事者になるってことか」
「ごめんね。きっと最初から間違ってたんだよ。私はイズルに近づきすぎちゃった。こんな結果にはしたくなかった、私はね……」
最初から最後まで影に隠れていれば良かったんだ。
話してみて、面白いヤツだと興味を持った。
どんな最後を迎えるのか、間近で死を見届けようとした。
それだけ。だからイズルがどんな苦境に立たされても介入しなかった。
唇に触れる。お互いに果実を食べさせあった。
あの時からだ。イズルという渦が私を巻き込み出した。
イズルの苦戦に声を張り上げることもあった。
感情を排除しきれなかった時点で、私の物語は……
あんたの死を見届けるっていう私の物語は詰んでいた。
「これが、この物語の輪を閉じさせるラストチャンス」
始めよう。
これから先は、どちらかが壊れるまで終わらない物語だ。




