49 【分岐ルート】優しい世界
「ゴードン、どうしてあなたがここに?」
エミルや霊たちはもつれた紐のままだ。キュロはゴードンだけを認識できていた。
「しっかりしろ、キュロ。ゴードンはもういない!」
いない?
おかしい。ゴードンは確かにここにいる。
耳元で金属音が響いた。
もつれた紐がキュロをかばい、ゴードンの大剣を受け止めていた。
「こいつはリッチだ。君の思念を汲み上げ、ゴードンの大剣を具現化している。ここに魂なんて存在しないんだ!」
「ㇵッ……」
ㇵッ、ㇵッ。やけに心臓が痛くて、キュロは胸に爪を突き立てた。
リッチか、アンデッド系で骸骨の外見をした魔物だ。とてもそうは思えない。
もつれた紐がキュロを背にして、ゴードンの攻撃に晒されている。腕力の差は歴然としている。踏ん張る足を地面に沈ませるほどの重い打撃に、エミルは後退を余儀なくされる。
エミルの肩口の血の花が散った。
「うぐっ……!」
痛みに勇者が呻いた。
それはキュロにとって、聞いてはならない苦痛の声だった。
「エミル!」
キュロは即座にエミルを回復させた。勇者が、仲間のために命を危険にさらすなんてことはあってはならない。
「エミル、あなたは僕たちのために歩みを止めてはいけない」
「何を言うんだ。僕が守りたいのは……」
「世界の平和のはずだ」
キュロが断じると、エミルは言いかけた言葉を飲み込んだ。
そして、世界を平和に導くのは勇者の役目。他の誰かに奪われていいわけがない。
キュロによぎったのは、ジュリアン・エルミオンのふてぶてしい程の自信に満ちた顔だった。
もう理性で否定して抑え込むことはできなかった。あの村で真理の剣を携えた彼は、エミルに匹敵するほどの輝き、もしかするとそれ以上の……
「困るんですよ。僕なんかにかまけて、ジュリアンに先を超されては。ゴードンの死も無価値なものになり下がってしまう」
「しかし」
「あなたが竜王を倒せばゴードンも報われます」
まだ、これほど素直に笑えるのかとキュロは驚いた。
ゴードンを見殺しにしておいて、笑っていいのだろうかと自問しながらも、キュロは頬が綻んでいることを知った。
もつれた紐がほどけ、あらわになったエミルは、キュロにとってはやはり唯一無二の並ぶものがいない勇者だった。
「心配しないでください。死ぬつもりなんてありませんから。すぐに追いつきます。エミルには回復役が必要でしょう」
断ち切るようにエミルを視界から消し、キュロはゴードンの胸元へと突進した。
「キュロ、竜王城で待ってる」
ゴードンを抱えてキュロは魔力を放出した。上空へと飛び出し、地上の靄を隠れ蓑にする。
エミルのことだ、仲間の戦闘を目の当たりにすれば決意が鈍ってしまう。
ゴードンを倒し必ずあなたの元へ辿り着きます。
対アンデッド用の浄化魔法を紡ごうとして舌が絡まった。
心臓がけたたましく鳴った。
それはキュロにとって時間が停止したことを意味した。口が緩み空気を欲した。
右方向に目をやると、竜が空を斬り裂くように滑空した。
「ジュリアン……まさか」
戦闘中なのか、竜の背に乗った彼は敵に取り囲まれていた。
問題はそこではない。
自分たちは犠牲を払いながらも、最短距離を効率よく制覇してきた。
ジュリアンは一人で、竜を手懐け追いついてきた。
もしも、彼があの敵を撃退すれば、エミルより先に竜王城へ到達してしまう。
ダメだ。最悪の展開を想定したキュロの脳が、ガツンと強い衝撃に見舞われた。
頭痛に意識を失いかけ、かろうじて正気を保った。荒れる呼吸を整えようとした途端、リッチの剝き出しになった歯がキュロの額にぶつかった。
キュロにはそれが現実のようにも、幻覚のようにも見えた。リッチの顎に飲み込まれると漆黒の闇が広がった。
そこは自由な世界だった。
自分の淀みを吐き出し尽くしてもなお、受け入れてくれる包容力があった。
まるで、この世界の理が、キュロから体裁と言う名の外套を剥ぎ取り、願望を剥き出しにさせようと手招きしているかのようだった。
キュロはここでなら、自分の望みを吐き出せることを知った。
この世界がこれほど優しいのなら、身を委ねることも悪くない。
叶うならば、全て与えてやる。この体、好きに使うといい。
「ジュリアン。お前だけは先に行かせない。エミルのために、勇者のために死ぬべきなんだ」
それがキュロの発した最後の言葉だった。
彼は闇に飲まれた。
…………
後方で響いた衝撃音に勇者エミルは、思わず足を止めた。
振り返るべきかを逡巡した。
悪い予感は当たっている。体が震え出し、膝から力が抜けた。
駆け寄り、抱き起こすべきだと心臓が喚いた。
エミルは頬を平手打ちし、動かない腿を叩く。
そして、走り出した。
前だけを見ていろ。そう言い聞かせた。
キュロに託されたんだろ、エミル。
必ずジュリアンより先に竜王を倒すということを。
言い聞かせようとした。それでも、キュロやゴードンと過ごした時間は、エミルの奥底に焦げを残した。
炎は未だ、ちりちりとエミルを焼いている。
「ああああああ!」
空に向かって雄たけびを上げた。空気がエミルの頬を冷やした。
氷のように冷え切った頬を、温めようと拭った。
「くそ、拭いても拭いても止まらない」
だったら、そのまま、そのままにしておこう。
エミルは速度を上げた。風は頬を乾かせ、冷たく撫でた。
空気が、世界が、エミルの肌を通して、深く刺し込まれていった。
「もう、失うものはない。ジュリアン、勝つのは僕だ。キュロが、僕を勝たせてくれる」
エミルから、迷いが消えた。
破邪の剣は、エミルにとって敵を葬る完璧な武器となった。




