45 【正規ルート】ぶつかり合うなら
竜が滑空する。遠くに聳える岩山が、霞を食ったように雲海を貫いていた。降り注ぐ光が雲に反射して、頂上は薄い紫に彩られた。
「いい景色だね」
リュシエルが振り返った。彼女は靡く髪を押さえた。
オレは両手の指を紙に見立てて、彼女を枠の中に納めた。
彼女を主役とした神秘的な絵の完成だ。
絵心があったら、書き留めておきたい瞬間だ。
「何してんのよ?」
「リュシエルも景色に負けてないぞ」
むしろ、従えてしまうほどの魅力がある。
「あんたも、ね」
意外な返答だった。
リュシエルなら、ふっふーん、そうでしょ、と鼻を高くしそうな場面だ。
「そう答えるとは思わなかったな。ようやくオレの良さに気付いたか」
オレの指摘にリュシエルは目を瞬かせた。
「まさか。絶景を前にしたらイズルの悪役っぽい顔つきも少しはまともになるだろうってこと」
「ちぇっ。悪役っぽいのはジュリアンのせいだ。本当のオレを前にしたら、リュシエルはひっくり返るぞ」
リュシエルは口角を上げて笑顔を作る。どこか、戸惑いを隠そうとしているようでもあった。
「あんたはジュリアン・エルミオンでしょ。イズルであったことは忘れなさい」
「オレはどこまで行ってもイズルだ」
「結局あんたは、イズルであることを貫き通すんだね。だからこそ勇者物語に埋没しない。勇者のために死ぬことを拒絶するんでしょ?」
指の額縁からリュシエルが消えた。彼女はちょこん、とオレの腿に座った。
「いいのか、筋の話をしても」
「ここまで来ちゃったらね。隠したって仕方ないでしょ。だからイズルも白状しなさい。勇者物語が存続する限り、あんたは死の運命を負わされる。で、イズルが自分の物語を継続させるには、筋書きを破壊するしかない」
「ご明察」
「ここは神が定めた牢獄。あんたは絶対に抜け出せない」
「どうかな。神は直接オレに手を出せない。だから小説世界にオレを閉じ込めた」
転生という言葉で装った神の断罪。
リュシエルの肩が震えた。オレの位置からは彼女の表情を探ることはできなかった。
「殺したいなら、オレをジュリアンの肉体に封じたりせずに、直接手を下せばよかった。そうしないのは出来ないから……」
わざと話のペースを遅らせて、リュシエルが否定する間を与えた。
彼女が選んだ選択肢は沈黙だった。性格は把握している。虚言を嫌う彼女の無言は限りなく肯定に近い。
「この世界の修正力と同じだ。予定調和はオレの前には姿を現さず、作中の駒を使ってオレを殺そうとしている。直接オレに死を与えられないからだ」
修正力が駒を動かすことしかできないなら、神も駒を使うことでしか、オレを殺せないのではないか、とオレは考えていた。
神にとっての駒は、この世界そのものだ。
「そして、修正力が駒を操作するだけじゃ、オレを殺すことはできない」
そう言ったところで、ようやくリュシエルがオレを見上げた。
瞳孔が揺れ動き、深く沈んだ。
「勇者物語の世界であっても、これはオレの物語だ。変えられるのはオレの意志だけだ。捻じ曲げられてたまるかよ。ぶつかり合うなら、どちらかが壊れるだけだ」
「イズル、直接作用させる方法はある。それは……」
オレと同じ次元に立つことだろ。ただし、それは反撃を受けるリスクを伴うぞ。
実体化した途端、オレの剣が届き得る存在になるということだ。
オレは剣を抜いた。
「話の続きはいずれまた、だな」
前方から影の群れが迫りつつあった。遠目には空飛ぶ人間の群れだった。距離が縮むごとに輪郭が明らかになる。
二本の角とワニのように突き出た顎を持つ人間が、槍を携えて迫ってきた。
「竜人どもだ」
竜のグラドールは唸り声混じりに漏らすと、翼を斜めに傾けた。
オレたちを乗せ、空を滑る。
竜人の群れが槍を構えて、翼をはためかせた。
風が頬を叩きつけていた。




