44 【分岐ルート】勇者のため
「大丈夫」
エミルの言葉は、勇者一行にとっては導きにも等しかった。
「僕の目は確実に出口を示している。たとえ同じ場所をさ迷っているように見えても、このまま行けば外に出られる」
「おうよ、エミルの目は真実を見抜く。剣がなくとも勇者が我らを導いてくれるさ」
「そうですね。私たちはエミルに従います」
自分たちが迷ったとしても、エミルは真実を見ている。
エミルの背を追えば、おのずと答えに辿り着く。
そうして、目の前の景色が変わった。
「えっ!」
二人の姿がなくなっていた。
ゴードンの巨躯が暗闇に沈み、霞んでいた影が木であったことを今さら知った。
キュロは周囲を見渡した。光を遮るほどの鬱蒼とした草木に囲まれてキュロは立ち尽くした。
はぐれた?
森に惑わされたのか。
まさか自分が、とキュロは即座に状況を飲み込めなかった。今にも迷いそうだったゴードンにさえ気を払っていれば、エミルの導きで脱出できるものだと過信していた。
鳥の鳴き声がケタケタと嘲笑っているかのように聞こえた。
獣の遠吠えが耳元に響く。
まずい状況だ。回復役の自分がいなくなれば、攻撃の担い手であるエミルがゴードンを補佐する役目に回る。魔力の少ないエミルが、苦手な回復魔法を施したところで、出口まで体力が持つのか疑問だ。
森に漂う瘴気に身震いした。静かさの中に、木々のざわめきがやけに大きく響いた。
早く合流しないと。
敵を避けながらエミルたちを探すことにする。
索敵魔法を展開した。魔力消費量を抑えるために、索敵範囲を調節する。
意識下に、魔力で円状の波動を形成する。
範囲内に敵意を持った敵がいればすぐに反応があるはずだ。
張り詰めた波動に乱れが生じた。意識の波が大きく振動し、脳裏に敵の実像を結ぶ。
トロールだ。暴力的な体躯がキュロの頭上を覆った。
大木を振り回すように、こん棒が落とされる。
ズオッ!
重苦しい空気圧がキュロを押し潰そうとする。
加速の魔法を使い、辛うじて地面に伏せて逃れる。飛来した土砂がキュロの顔面に叩きつけられた。
キュロは唇に魔力を乗せ、高速詠唱を開始した。呪文の省略は威力を低減させる。高速で詠唱すれば、威力と速度をバランスよく両立できる。
爆裂魔法がトロールの顔面に炸裂した。
暗闇に閃光が迸り、遅れて爆音が轟いた。習得している中でも最上位の魔法だ。
肉弾戦での勝ちはない。
一対一なら魔力の温存を諦め、全力で対応するべきだとキュロは判断した。
光が途絶えた煙の中で、トロールの眼光が輝く。
効いてないのか?
トロールの戦意は残されている。体勢を立て直す前に、トロールが詰め寄り、こん棒を振り下ろす。
その重圧は、大気の悲鳴を呼び起こさせるほどだった。
間に合え。
十分な詠唱時間を確保できなかった。キュロが呪文を省略しながら、防御障壁を発動させた。
こん棒が障壁の輪郭を穿つ。
トロールが喉を鳴らして歯を食いしばり、こん棒に体重をかける。
光の粒子が飛散する。障壁が決壊した。
脳天への衝撃を警戒して腕を頭上に掲げると、ゴツっとした鈍い音が響いた。
人影が空気を裂いて地を跳ねる。暗がりの中でも、その鎧は銀色に輝いた。
「エミル!」
キュロをかばったエミルが衝撃に頭を振りながら体を起こした。
駆け寄りながら、キュロはエミルに回復と身体強化の魔法をかけた。
「うおおおお!」
唸りながらゴードンが大剣を振り回した。こん棒と正面からぶつかり、木々の葉を揺るがす。
肌が痺れるほどの気迫が突き抜けた。ゴードンは自分よりも巨大なトロールの一撃を正面から受け止めてもなお、押し切られずに耐えている。
白銀の鎧が躍る。エミルがゴードンの肩を踏み台にして、破邪の剣を薙ぎ払った。
トロールは胸元から血を噴き出して倒れた。
「やったか」
「ゴードン離れて」
エミルが警告を発する。勇者の真贋の目は、倒れたトロールを見据えたままだ。
「僕たちは引き寄せられていたんだ。ヤツのテリトリーに」
トロールを突き破り、体内から霧が溢れ出す。
丸みを帯びた角が、トロールの背から生み出された。そのように、キュロには見えた。
獰猛な瞳が赤く輝く。四本の脚が脱皮するかのように、トロールの衣を脱ぎ捨て地面を掴む。
巨体を支える赤黒い筋肉はトロールを凌ぐほどだった。肩を左右に振りながら、顎を突きだす。
二本の角が木々をなぎ倒す。
咆哮が轟き、霧を吹き飛ばした。
「ベヒーモスだ」
エミルがトロールの正体を告げた。
「森の主の登場ってか」
大剣を構えようとしたゴードンの体が宙に浮いた。
「な……」
キュロはそれだけの声を零すだけで精一杯だった。
ベヒーモスの角に、ゴードンがぶら下がっていた。
「そんな……」
キュロが後ずさる。
ベヒーモスが首を振ると、ゴードンの肉体が角から離れて転がった。
「くそ、何てとこに迷い込んだんだ」
自分がはぐれたせいで、エミルを危機的状況に追い込んでしまった。
ゴードンから溢れた血は、彼の頬を深紅に染め上げていた。
回復魔法では、傷を瞬時に直すことはできない。
心臓が胸を破りそうに暴れている。意識しなければ、呼吸すらまともに出来そうになかった。
「キュロはゴードンを頼む」
エミルが跳躍する。
破邪の剣がベヒーモスの障壁に弾かれた。
「なぜだ!」
キュロは叫んだ。破邪の剣は、勇者が悪とみなした者の防御を無効化する力があるはずだ。
まさか、エミルはベヒーモスを悪であると、認識できていないのか。
「エミル、そいつは私たちの敵です。倒すべき悪です」
「しかしヤツは竜王軍に属してはいない。僕たちが勝手に住処に入り込んだから……」
「そんなことを言っている場合じゃありません」
こんな状況で、エミルの優しさが仇になるとは。
ゴードンの血は止まらない。びくびく痙攣している。放置していては手遅れになる。
エミルは破邪の剣でベヒーモスを叩くが、障壁に遮られて傷一つ負わせられない。
ベヒーモスがエミルに肩をぶつけた。
「ぐあっ」
苦悶の表情を浮かべるエミルを回復する。
体力を戻したエミルが大木を蹴り、ベヒーモスに迫る。
障壁に阻まれ、反撃を受ける。同じことの繰り返しだ。
ゴードンに薬草を渡そうにも、彼は自分で使うことすら難しい状態に陥っている。
ならば……
キュロは呪文を唱える。間違えないように丁寧に言葉を紡ぎ、効果を最大限にまで高め、ベヒーモスの障壁を解除する。
勇者は、この世に一人だ。
彼を失うことだけはあってはならない。
そのためなら、たとえ非情だと罵られようとも……
キュロは全魔力を用いて、障壁の解除魔法を放った。
勇者のために死ぬ。ゴードン、それはあなたにとっても本望のはずです。
私たちの命は、勇者エミルのために存在しているのですから……
彼のためなら命を投げ出すことにお互い躊躇いはない。
そうですね?
キュロの魔法がベヒーモスの障壁を崩壊させた。エミルが破邪の剣を振るった。
エミルに何かあればどうなる?
ジュリアン、あなたが勇者に成り代わるなど、あってはならないことです。
キュロは、破邪の剣がベヒーモスの首に食い込み、血しぶきを散らすのを最後まで見届けていた。




