30 食べすぎ飲みすぎると
勇者一行と別れて、オレは青空の裂け目を眺めていた。
「空気がおいしい」
リュシエルがオレの肩に座って足をブラブラさせる。
「味なんかしないな」
「おい、そこは話合わせろよ」
「しかし、気持ちいいことは確かだ」
清涼な空気が脳に染み渡る。
ちょろちょろと音を立てて流れる小川の傍に行き、大きく息を吸いこんだ。
澄んだ水がオレを招く。
「おえええええ!」
川上で男のうめき声がした。
男が川沿いにうずくまり、妻らしき人物が背中をさすっている。
「おい、人が深呼吸している横で吐くんじゃない」
危なかった。冷たい川に手を浸すところだった。
「こ、これはジュリアン様。お見苦しいところを」
顔を上げた男は顔面蒼白だった。
「大丈夫です。家の中で吐いたので。今は口をすすいでただけですから」
「お、おう。そうか」
小川の流れを確かめる。手を入れるのはやめとこう。
「この人ったら、昨日はジュリアン様のおごりだ、とか言って、浴びるほどのお酒とご馳走を……私も止めたんですけど」
「おい、余計なことを言うな」
「そうか、お前はオレのおごったものを全て吐き出したと」
ギンっ、と冗談交じりに睨みをきかせると、夫婦が縮みあがった。
そういえばジュリアンは悪役令息で有名だったな、こいつらには通じないか。
「気にするな。我慢するのも体に毒だからな、吐きたかったら吐け。ただし、家の中でな」
そう答えて、オレは自分の言葉に引っ掛かりを感じた。何か重要なことを言った。そんな気がした。
「へへっ、ジュリアン様も食べすぎ飲みすぎには注意してください」
「オレは酒の臭いが嫌いだから飲みもしないし、食って吐いたことなんて一度も……」
あった。
前世のクエストだった。
「生でマンドラゴラを食って吐いたな」
「マンドラゴラを……生でですか」
男の妻が、さする手を止めた。
マンドラゴラが、ぎゃあぎゃあ騒いでいるうちが新鮮だろうと齧ったことを思い出す。苦かったが、こんなもんだろうと飲み込んだ。
良薬口に苦しと言うしな。
という言葉に騙された。
飲み込んだ瞬間、マンドラゴラの悲鳴が隅々の細胞にまでに轟いたように体が震えて、指を突っ込んで吐き出したんだった。
害あるものは、体が受け付けない。逆流させて吐き出すなんて、なんて体は賢いのかと感心したものだ。
「アホでしょ」
リュシエルがため息をついた。
「そもそも俺は実在したことに驚きですが」
「イズル、普通の人は生で食べるって発想がまずないんだよ」
「俺は去年、貝を生で食って吐きましたが……」
お、仲間がいた。
「オレと一緒だぞ」
リュシエルに嘔吐仲間を紹介する。
「イズル。マンドラゴラと貝は違うってば」
男は吐き気がおさまってきたのか、先ほどより顔色がよくなってきた。
「この人ったら、やめなさいって言ってるのに、新鮮な貝だから大丈夫って」
「いやあ、でも、この体もよく出来てますよね。毒になるものをちゃんと吐き出すんですから」
「だろ? オレもちょうど同じことを考えてたとこだ。お前賢いな」
「いえいえ、ジュリアン様には及びません」
「はっはっはっは。それほどでも、あるかな」
オレは眉を吊り上げた。
なかなか面白いヤツじゃないか。
「当たり前のことで褒め合うんじゃないっての」
リュシエルが冷ややかに言った。
「いやいや、よく考えてみると、これは凄いことだぞ。なんせ、反射的に……」
オレは言葉を飲み込む。
「ジュリアン様?」
「用事がある。もう行く」
空を見上げた。
違和感程度だった引っ掛かりには、いつの間にか、釣り針の返しのようなものが出来ていた。
エミルと見たウサギの雲は、既に移動している。
亀裂を探した。すぐに見つかる。昨日の夜から移動しておらず、穴の開いた場所は固定されている。
考えをまとめようとした。夫婦の家から離れて通りへ出る。
反射的に吐き出す、か。
そうだ、毒物を留めておいては、体に害をもたらす。速やかに排除する必要がある。
道端の大木に蜘蛛の巣があった。
蜘蛛は巣を自在に這って、枝へと移った。
天空から伸びる一本の糸は、オレの胴体へと、繋がっていた。
これはオレたちを繋ぐ希望の、象徴だ。




