3 天使のルール
かび臭い空気が遠ざかる。
リュシエルの叫びが、闇夜を引き裂いて響いた。
「ちょっとちょっと、放してよ。死んじゃう死んじゃう。一人で落ちて」
夜風が髪を突き上げた。
リュシエルは上空に向かって平泳ぎしながら、羽をバタバタと動かす。
手の平サイズの体でオレごと落ちてるのに、コイツはどうやって飛ぶつもりなのだろう?
「処刑の話、しなきゃよかった」
「いつまでそうしてるんだ。本当に木をクッションにするつもりか」
「だったらさっさと放さんかい!」
「浮遊魔法使えば?」
「ハッ!」
今さらリュシエルは目をパチクリさせる。
小さい身なりでも天使だ。体格に合わないほどの膨大な魔力がリュシエルにはある。
オレごと空中に浮かばせるほどの魔法なら、消費量が大きくても、天使ならば可能だろう。
「それだ!」
そう言ってリュシエルは激しく首を振る。
「いやいやいや。そうするとあんたも助かっちゃうじゃん。物語の筋書きが変わっちゃう」
「既に変わってるだろ」
オレは朝になると、断頭台で処刑されるはずだった。壁を破って逃げ出すこと自体、既に筋からズレてるはずだ。
「多少回り道しても、あんたが死ねば結果は変わんない。生き延びると死が覆って、大筋が変わるじゃないのよ」
「オレはそれでいいんだが」
「そもそも、私はこの世界の登場人物じゃないし、設定にも存在しない、言わばノイズ。ノイズが登場人物の生死に関わったら、世界の根底を揺るがしちゃう!」
「オレだってノイズだろ」
「あんたは、この世界にとって必要なの。登場人物のジュリアンなんだから、あんたの死がないと話は動かない。ジュリアンの死があるから、物語が正常に動く」
「仕方ないな」
「でしょ! だから放して一人で落ちて。死んでくれたら私は帰ってケーキを食べられる」
「そんな言い方で解放されるとでも?」
「お願い。一人で死んで」
「ウインクすんな」
「もういから、さっさと一人で落ちろ」
「真顔で言うな。お前がそこまで言うなら、オレも覚悟を決めよう」
「うん。さよなら」
小説世界での死が、オレへの罰だと言うのなら。
オレはリュシエルを握る拳を地上へ向けた。
「お前をクッションにする」
そんな罪を受けるつもりはない。殺せるものなら殺してみろ!
「うげげげ。この外道が!」
空気の裂け目に飲まれる。風の悲鳴が鼓膜を打つ。
目標地点だった枝葉の群れから大幅にズレている。このままだと直撃だ。
「しかもズレすぎじゃんか! クッションなんてどこにもないよ~」
声が闇夜に反響した。
「おい、早く魔法を使えよ」
「激突しても私は天使だからギリ大丈夫、なはず。処刑代わりに、あんただけ死になさい」
強情だな、こいつ。それほど筋道を変えるのが禁忌ってか。
生死に関わらない、か。
助けることも、オレを殺そうとすることもしない。
彼女はオレの死を確認するだけの中立的な存在で、それがルールというわけなのだろう。
オレは天使を解放した。
「お、やっと諦めたの。ごめんね、ちゃんと魂はあの世に連れてくよ」
「それはまだ先だ」
下方から急上昇する影があった。深青の闇にギラつくオレンジ色の目があった。
獲物を発見した猛禽が、我慢できずに口を開けた。
「やっと来たか」
オレは塔から持ち出しておいた瓦礫を、垂涎する顔面にぶつけた。
「げげ、なんちゅうことするんだ、こいつは!」
「そこで見物してろ」
獰猛な叫びが悲鳴に変わる。
猛禽の翼を掴んで背中を跨ぐと、頭を押さえつけ地上へと誘導する。
「そんなの操作出来ると思ってんの」
「お前だって、このまま死にたくなくないよな?」
猛禽の首に腕を回して囁く。
地面が迫った。猛禽が翼を傾ける。
空を滑るように円を描いた。
その頭上に蓋をする影があった。
上空で鉤爪がきらめく。
「仲間かよ」
体を伏せた。通過した鉤爪の風圧で、髪が暴れる。
二羽の猛禽が示し合わせたように、方向転換をした。
再び鉤爪がオレを狙った。
側面に体を移動させ、すれ違いざまに、もう一羽の方に飛んだ。
足首を掴んで、体を振り子にして腹に蹴りを入れる。
ぼよん。
跳ね返された。
「おい」
貧弱な体だな。
猛禽にダメージが通らない。
それでもバランスを崩せたようだ。ふらつきながら猛禽が高度を下げる。
樹冠に近づいたところで、オレは手を離した。
枝から枝へと移動し、着地する。
肉体面では不利でも、オレには冒険者としての技術と経験がある。
当面はこれで凌ぐしかない。
「嘘でしょ。あの絶望的な状況から生き残るなんて」
「簡単に諦めてたまるかよ。お前が家に帰れるのは当分先だな」
「悪運も今だけだよ。まさか、これで罰を免れたとは思ってないよね」
「受け入れるつもりもないけどな」
「そう……」
リュシエルは呟いた。
まるで、結末を知る物語の序章を読み始めたかのように。
「私は、そう遠くない未来を待つだけ。一番近くで、あんたの死を見届けるために、ね」
「いや、死なないって。オレは全力で生き抜くタイプの男だ」
「そういうわけにはいかないよ」
遠くから笛の音が聞こえた。
「あんたは、この世界に存在してはいけない人間になるんだから」
追手が、近づく。
「死ぬはずの人間が生き残るっていうのは、そういうことだよ」
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