29 勇者に見えないものは
翌朝、目が覚めたオレは、村長の家から出て顔を洗った。
ちょうど道を挟んだ向かいで、カチャカチャと金属音がする。
エミルが白銀の鎧を装備して、出立の準備を整えているところであった。
「もう行くのか?」
早朝で朝もやがかかっている。
話しかけるとエミルは顔をほころばせた。
「やあ。昨日竜王が剣の完成を待ってるようなことを言ってただろ? 先を急ぐべきだと思ってね」
「先ってどこだ?」
「悪いが、それは内緒だ。キュロに口止めされてね」
「嫌われたもんだな。男に嫌われても痛くもかゆくもないが」
「許してやってくれ。ゴードンもキュロも、僕のことになるとムキになることがあるんだ」
「それだけ、勇者に希望を見出しているんだろ」
「やりがいがある。でも……」
エミルの表情が陰る。
「ときどき危うさも感じるよ。僕よりも自分たちを優先してほしいってね」
そこまで言って、エミルはそんな気持ちを振り払うかのように口元を引き絞った。
「大切な仲間だからさ」
「本人たちにそれを言ってやれ」
「そうだね」
エミルは眩しそうに、朝日を浴びた。
オレも釣られて空を仰ぎ、真っ白い雲に目を止める。
ウサギに似た形の雲だった。長い耳が印象的だ。
「ジュリアン、君はレベル18になったよ。レベル25くらいの冒険者では、もう君の足元にも及ばないだろうね」
「真贋の目、か」
勇者が持つ鑑定能力だ。いかなるものも、勇者を騙すことはできない。
「僕たちはレベル35だ。まだまだ君には負けないよ」
「そうか」
オレは上の空で答えた。
「追いつかせはしない。僕たちが先に竜王を倒す」
「ああ」
オレは指先を天に掲げようとした。
「だから、僕たちを抜けるものなら……どうしたんだい?」
エミルはオレの指し示す方向を見た。
ウサギの耳の間だ。
昨夜、星空にあった亀裂だ。朝になってもまだ見えている。心なしか広がっているようだった。
空飛ぶリュシエルが亀裂に重なった。彼女が入り込めそうなくらいの大きさだろうか。
「見えるか? あれが」
「分からない、どれ?」
「ウサギに似た雲の、耳の間だ」
オレはエミルに近づいて言う。
「いや、何も見えないが」
「糸はどうだ?」
「何もない。それがどうかしたのかい」
「ははっ、そうか。見えないか」
大声で笑いそうになった。
「ああ、何も」
勇者の真贋の目をもってしても認識できない亀裂。
つまり、この世界に存在しないものだ。
そして亀裂の中心から垂れる糸は……
「エミル?」
様子を伺うように、建物の影からキュロが姿を現した。オレの顔を見て、眉根を寄せる。
「こらこら、あからさまに嫌そうにするんじゃない」
「君がいたらそんな気分にもなります」
「そっか。ま、いいや」
女の子に同じ態度をされたら傷ついたりもするが、キュロは男だ。気にするほどでもない。
エミルは苦笑いをしている。
「そろそろ行くよ。僕たちは必ず竜王を倒す。ジュリアン、君は竜王をぶちのめすと言った。それが本気ならぜひ見せてくれ」
「そんなことも言ったな」
竜王に襲われた直後だ。勢いの発言でもあったが、竜王にやられたことはきっちりやり返しておかないとな。
「エミル!」
キュロがたしなめるように勇者の名を呼ぶ。
「ふふっ、キュロは君を脅威に感じてるんだよ。僕らの役目を奪われるんじゃないかってね。僕は世界が平和になれば、どちらが竜王を倒してもいいと思ってる」
「私は先に行きますよ」
不貞腐れてキュロが歩き出した。
影から重厚な鎧に大剣を背負った巨体が出てきた。
戦士ゴードンだ。
「やあ、ジュリアン殿。昨日はご馳走になったな」
「竜王にやられたケガはもういいのか?」
「頑丈なところが我の取り柄よ」
「尻尾でやられて、目を回してたくせに」
「ふむ」
ゴードンは真剣な表情で頷き、腕を組む。
「我らでは、まだまだ竜王には勝てぬな。それが分かっただけでも昨夜の戦いは収穫よ。ありがとう、ジュリアン殿、竜王に襲われてくれて」
どういう意味だ、それは。
オレは差し出されたごつい手の平を叩いた。
礼を言うところでもない。ゴードンとキュロの反応は正反対だ。
そんな二人でも、最優先させるものは、あつらえたかのように一致し、ズレることはない。
「お前らは真面目過ぎるからな。時には逃げることも必要だぞ。勇者勇者なんて言ってると判断も鈍る」
「肝に銘じておこう」
豪快に笑いながらゴードンは、ズシンズシンと村の外へと向かう。
オレの言葉など、きっと届いてはいないのだろう。仮に覚えていたところで、お前たちは勇者パーティの一員。
与えられた役割から逃げることはできないし、しようともしないのだろう。それが物語に与えられたものである限り。
「ジュリアン。僕は君が竜王の鱗を斬り裂ける存在だと思ってる。これまで会った他の冒険者とはまるで違う」
「オレは意識高い系冒険者だからな、努力家なんだ」
「君はどうにも掴みどころがない。この真贋の目でも、まだ見えていない何かがあるようだ」
エミルはオレの目を覗き込み、隣を飛んでいるリュシエルを見つめた。その瞳に天使の姿は映らなかった。
「どちらが竜王を倒しても恨みっこなしだ。僕らが先に竜王を倒しても、復讐の機会を失ったって怒らないでくれよ」
「楽できたって思うことにするか」
どちらかというと、今のオレは竜王よりも、亀裂から垂れる糸の行方が気になる。




