10 白銀の勇者と破邪の剣
「飽きた」
朝食の残りを飲み込んでリュシエルがぼやいた。
「文句あるなら食うな」
木の根元に腰掛けたオレは、炙っておいた巨大魚の切り身を口に投げ込む。多めに持ってきたとはいえ、これからのことを考えると他の食料も確保しておきたい。
同じものばかり食べるのは、グルメなオレには耐えられないことだ。
丘から下を眺める。
モンスターがいれば経験値にもなるし、焼肉にもなってもらうんだが。
「私、果物がいいんだけど」
ハエのように、リュシエルがブンブン飛び回る。
はたき落した。
「いったいわね。何すんのよ」
「やかましい。文句ばかりいいやがって。とりあえず昼寝してるから、食いもんで探してきてもらおうか」
「天使様の私を顎で使うっての?」
「飯食うだけの天使なんぞいらん。オレが死にそうなときもボケーっとしてるしな」
「ぬううう、じゃあ探してあげるよ。見つけたら褒めてよね」
「見つけてから言え」
盗賊退治で血を流して、傷も完治していない。
魚で腹が満たされると、眠気がやってきた。
体を横にすると、瞼が落ちてくる。少し休んで、体力を回復するか。
「ねえ、イズル……」
「うるさいな、ちょっと寝かせろ」
耳元がうるさくて寝返りを打った。
「あれ、鶏肉代わりになるかな?」
「鳥か? まあ夕食に焼き鳥もいいけどな」
バサッと乾いた音がして、空気が揺らいだ。
瞼越しの光が黒く染まった。昼から夜へと移り変わったようだった。
薄く目を開けてみた。骨ばった黒い翼が頭上を覆っていた。翼と同じ色の尻尾が、天を突き刺すように直立する。
オレを映すその両眼は、燃え盛る深紅だった。
「デーモンだけど、褒めてくれる?」
「さすがに、これ食ったら腹壊すだろ」
「見ツケタ」
人語を解する魔物。この小説世界が現実に即しているとすると、レベル3のジュリアンではきつい。
上級魔族だ。
「また死亡フラグかよ!」
体を反転させて、木の裏に回り込む。
炎が走る。
焦げた臭いをさせて木が倒れた。
物理攻撃ならナイフで対処できる。魔法は厄介だ。
「頑張れイズル。いや頑張らなくてもいいけど」
「ちょっとくらい手伝わんかい! オレはレベル3なんだぞ」
「ダメダメ。私は、早く家に帰りたいんだから」
「ったく、飯ばっか食らいやがって」
丘を駆け降りて敵の視線を探る。魔法の発動方向を予測し、攻撃範囲から逃れる。
火の帯が迸り、頬をかすめた。
素早さが絶対的に足りない。村で受けた腿の傷が疼く。
どうする?
血を使うのはダメだ。一撃で葬れる魔力を捻出できるか怪しい。肉体が持たない。
レベル3のこの肉体では、触媒を使用せずに攻撃魔法を発動したところで、デーモンには通じないだろう。
隙を見つけて、ナイフで急所を抉るか?
上空から影が舞い降りた。業を煮やして近距離での魔法に切り替えたか。
デーモンが拳一つ先で炎を放った。
最初で最後。
レベル3ではこれが限界。
一点に凝縮した魔力で、炎の矛先を変えた。
背後に爆音が響く。背中が焼けそうだ。貧弱な体が爆風で加速した。
オレは握りしめたナイフを、デーモンの右目に突き立てた。
もがいて振り払おうとする手を避けて、奥へと押し込む。
雄たけびに似た叫びが響き渡った。ナイフを離して額を蹴り飛ばし、デーモンと距離を取る。
着地すると足元が崩れた。傷と激しい動きで体重を支え切れなくなっているようだ。
「さて、次はどうするか」
手元に武器はない。デーモンに刺したナイフを回収したいところだが。
非常用に用意している石もある。
指で目つぶしする方法もある。
攻撃手段を探っていると、近づく気配があった。
「加勢させてもらうよ」
白銀の鎧が輝いた。若い冒険者だった。ザクザクした金色の毛束が印象的だ。
ジュリアンと同じくらいの年だろうか。
冒険者は黒い柄の白刃を構えた。神秘的な光を放つ剣は、草原の喧噪を飲み込み静寂をもたらした。
一点の曇りもない鎧だった。その出で立ちは、自分こそがこの世の正義だと主張しているようでもあった。
リュシエルに答えを求めるまでもない。世界が、この冒険者は特別な存在だ、と語る。
筋書きを知らないオレにさえ、そう思わせた。だったら、この男が物語の住人に与える影響は相当なものだろう。
「エミルにまかせておけば大丈夫だ」
右隣に立ったのは、鋼のような、筋肉で覆われた巨躯の男だった。
大剣を肩に担いだ男はオレを見下ろして、にんまりと笑う。
「彼こそ、世界を救う勇者エミルです」
左側で白いローブを纏った少年が言った。少し年下くらいだろうか、身長はジュリアンの肩程度だ。膨大な魔力が滲み出しているのを肌に感じた。
「誰だ?」
「我らこそ、竜王を倒すために旅をしている勇者一行よ!」
がははは、と地響きのような笑い声が轟いた。
「自分たちで勇者言うな」
「なかなか面白いな、お主」
男がバンバンとオレの肩を叩く。
やめろ。レベル3の体ではダメージを受けてしまう。
「勇者……」
耳元でリュシエルが呟いた。
「どうして勇者がこんなところにいるの」
「竜王を倒すためだってよ」
「違う。勇者は本来なら村で……」
そこまで言ってリュシエルは口を噤んで考え込む。
「もしかして、あんたが、あの二人を救ったから?」
「おい、いいところだぞ、見逃すでない」
戦士風の男が告げた。
リュシエルの言葉は届いてない。
上空に逃れたデーモンが魔法を発動させた。片目を失ったことに危機感を抱いたのだろう。
障壁により、防御力を向上させる。これで物理攻撃や魔法攻撃に対する軽減効果が付与された。
仲間の二人は、支援する様子もなく見守っている。
勇者一人で、デーモンを制圧できるという算段か。
任せきっているということは、圧倒的に制圧できるという信頼が勇者にあるからだ。
「あれが破邪の剣です」
少年が言った。
勇者の構えた剣が輝きを発した。
「あれこそ、勇者のための悪を断ち切る剣」
勇者がその場で剣を振った。
張り詰めた空気の中で微かに聞こえたのは、ガラスが割れるような音だった。
デーモンを覆った障壁にヒビが入り、砕けた。予想外の出来事にデーモンの瞳が大きく開く。
勇者が跳躍した。水平に剣を払うと、デーモンの体は上下に裂け、弾け飛んだ。
「破邪の剣は、勇者が悪と見なした障壁を無効化する。防御系統の要を破壊されちゃ、たまったもんじゃねえだろうよ」
戦士が高らかに笑った。
お前の手柄じゃないけどな。
着地して仲間に向けた勇者の笑顔は、子供のように明るく一点の曇りもないものだった。
「さすがエミルだ」
「素晴らしい戦いでした」
勇者の仲間たちが口々に褒めそやす。
デーモンは空気に滲み込むように飲まれていった。
甘く、眠りに誘うような香りが、サッと鼻の奥を掠めた。
脳を痺れさせるような余韻が瞼を重くした。
一瞬の出来事だ。気のせいというなら、そうだろうと納得できるくらい微かな香りだった。
嗅いだのはオレだけだろうと、そんな曖昧な確信があった。




