1 翌日処刑。牢獄の冷たい風、これは現実だ
どんな絵も飲み込んでしまうほどの、黒いキャンバスだった。
月光のナイフが落ちた。
雲に隠れていた月が、幾筋もの光で闇を裂く。眼下の景色がせり出した。
「オレ、レベル1だっけ?」
冷たい夜風が塔を駆け上がり、穴に吹き込んで、オレと天使の間を吹き抜けた。
前髪が暴れる。
穴の前に瓦礫が散乱し、砂塵が舞っていた。
夢でも妄想でもない。これは現実だ。
蹴り飛ばした壁の破片が、闇に沈む森へと消える。
朝を待って処刑されるか、すぐここから逃げ出すか。
「飛んだら死ぬよ」
「飛ばなくても死ぬだろ」
命をかけるのは、初めてじゃない。
こいつの話によると、オレは天使殺しの罪で、小説世界の悪役令息に転生させられたらしい。
死という定めを負って。
あれほど苦労したのに……
…………
天使の魔力源は翼だった。
勝つために、そこを狙った。
羽が散る。
最後の一撃として斜めに振った剣が、肩口から脇へと抜ける。
うめき声とともに、天使の体が揺らぐ。輪郭を失ったかと思うと、光芒が出現し、四散した。
「イズル、まだよ」
サラが叫ぶ。
天使が消えた宮殿内の暗がりに、白く眩い光が立ち込めた。
収束する光の中に気配を感じた。それは人の形を成してるようでもあり、空気のように朧げでもあった。
直後、体に衝撃が走った。足が地から離れ、浮き上がったことを知った。
石畳がひっくり返る。サラの声がかき消される。
届いたのは、サラが放った一筋の糸だった。糸が体に巻きつき、壁への激突を防ぐ。
最後に見たのは、オレを飲み込む光の奔流だった。
意識が、遠のいた。
…………
かび臭い空気が鼻の奥を掠めた。
部屋は薄暗く、石造りの天井付近に小さな鉄格子の窓があった。
月明かりが差し込み、今が夜であることを告げている。
滲んだ汗の不快感に身をよじらせて、起き上がった。
壁と床は煤けて暗く、頑丈そうな鉄の扉が唯一の出入口だ。
「って、どういう状況だこれ?」
声が鉄の扉に跳ね返り、反響する。
牢獄に閉じ込められているようだ。人の気配はない。
気を失った間に閉じ込められたのか?
サラはどこだ。
誰が閉じ込めたのか知らんが、黙ってると思うなよ。
オレは魔法で吹き飛ばすことにした。
「あれ?」
しーん。
手に魔力が宿らない。
「何だこれ?」
魔法が使えなくなってる。
「魔法の構築はできる。でも起動させる魔力が出ない、でしょ?」
虚空にポン、と女の子が現れた。
「例えるなら、設計図で機械を組み立てたけど、動かす燃料がないようなもの」
手のひらに納まりそうなサイズの少女だ。
背中にシルクを思わせる半透明の羽をはためかせると、女の子は存在をアピールするかのように、一回転した。
「私がこの状況を説明してあげよう」
「誰だ、お前?」
「私は天使リュシエル。イズル、あんたの見届け人だよ」
「ふうん。可愛い顔してんな」
切れ長の目尻に、吊り上がった眉は強気な性格を思わせた。鼻筋から口元までの狂いないラインが、そんな彼女の特性を際立たせる。
リュシエルは、オレの言葉に満足したように、肩にかかる金髪の髪を跳ね上げた。
「……って、そうじゃない! そこは見届け人って何か聞くとこでしょ」
「そうか。よし聞いてやる」
「ありがと。なんか、あんた偉そうだね」
「早くしてくれ、オレは待つのが苦手なんだ」
「まあ、いいわ。今のあんたはレベル1。魔法を使える魔力なんてないのよ」
「え、そうなのか?」
オレは改めて手を見る。リュシエルの言葉を肯定するように、やはり魔力は灯らない。
「そして、あんたは、神に逆らった罪で明日死ぬの。私はそれを見届ける役」
「全く覚えのない罪がないんだが」
「あんた、天使をぶった斬ったでしょうが!」
リュシエルがオレの鼻先に指を突き付けた。
「人間が天使を一刀両断なんて、前代未聞よ。そりゃ天罰も下るでしょ」
「敵だったら斬るだろ、普通」
「天使を斬るのは普通じゃない」
リュシエルの説明に、腕を組んで咀嚼する。
記憶はある。確かにオレは、天使を斬り捨てた。それからすぐに、白い光が現れて衝撃波が走ったんだったな。
「サラは?」
オレのことはともかく、サラまで処刑されるとなると、すぐに助けに行かないと。
「天使に危害を加えたのはあんたでしょ。処刑されるのは、あんただけ」
「そっか」
リュシエルの返答にほっとする。
「人の心配してる場合? 自分の寿命があとわずかだって言うのに」
「サラが処刑されないなら、最悪の事態は避けられたってことだろ?」
「最悪なのは、自分が処刑されることなんじゃないの?」
「かわいい女性が処刑されるほうが、この世の損失だ」
「報告通りね。自分よりも女性を優先するほどの女好き」
「もちろん、自分のことも大事だけどな」
オレは壁を軽く叩いて反応を確かめ、拳を振った。
ごきっ!
「いってえな」
激痛に呻いていると、リュシエルが笑い出した。
「悪あがきはやめなよ。イズル、あんたは神の使いを斬ったことで怒りを買い、その結果、この世界に転生した」
「転生?」
リュシエルの言葉を聞いて、オレはようやく服装が自分のものではないことに気付いた。
胸元がレースで飾られたドレスシャツと、深紅の生地に金糸で刺繍したジャケットだった。
「転生って、オレ死んだのか?」
ごわごわして動きにくい。
ジャケットを脱ぎ捨てた。オレが着るはずのない服だ。
いや、と否定する。
「オレはここで生きてる」
意志はある。拳を作って、開く。ほら、思い通りに動かせる。
天使のスカートだって。
めくれ……
「やめろや」
ない。
かったいヒールが額に刺さった。
「この世界では、あんたはイズルじゃない。ここは、覚えられないくらい長いタイトルの、なんちゃらって小説の世界」
リュシエルは大仰に腕を広げて語りだした。
「雑だな。タイトルくらい覚えとけ」
「読んだけど、覚えられないくらい長いんだってば。あらすじみたいなタイトル。まあ、いいや、ここでのあんたは小説の登場人物、悪役令息ジュリアン・エルミオン」
「オレは男の名前を覚えられん」
「ジュリアン・エルミオンだってば。自分の名前だからね、忘れちゃだめよ」
リュシエルは突き立てた親指を首に当て、左から右へと滑らせる。
「そしてジュリアンは明日、反逆罪で断頭台での処刑される」




