私の夫はもういない
カラスが屋根の上でカーカーとうるさい。
私は家のドアを開ける。中に入りリビングに向かう。そしてテーブルの上に一枚の手紙と圧力鍋を置いた。
その手紙には乱れた字でたった一文。
『いずれ指輪は返す』
あの日、その手紙を最後に私の夫は姿を消した。
「ねぇ、フレディ!このお肉美味しいでしょ?」
シエラは家でフレディと食事を楽しんでいた。
「うん!めっちゃ美味いよ。しかも柔らかくて食べやすい」
「でしょ!2日も煮込んだのよ」
私は夫とそんな楽しそうな会話を弾ませていた。
しかし次の日の朝、そんな楽しいひと時はすぐに崩れ去ってしまった。
バンバンバンッ!
「シエラ・バーレさんはいらっしゃいますか!」
何事?と私は夫を起こさないようにベッドから起き上がり扉に向かう。外に出ると、そこには制服を着こなした中年の男と若い男が二人で立っていた。
「何ですか!こんな朝っぱらから」
そして中年男の方が懐から何かを取り出し、私を見てこう告げた。
「シエラ・バーレさん、フレディ・アスマン殺害の疑いで逮捕状が出ておりますので署までご同行下さい」
二人は刑事なのだろう。若い男の方がシエラの手を強引に取り、手錠を掛けた。
「ちょっと待ってください!夫がまだ寝てるんですよ」
刑事達は何を言っているんだと言うような顔で私を前に進むように促した。
「夫?とりあえず話は署で聞きますから」
そうしてシエラは無理やり車に押しやられた。
隣人の叔母さんは安心したと言う顔でこちらを見ていた。いつも私の家に獣臭いと苦情を言ってくる人だ。
私の家の屋根にはカラスが数羽。朝なのにカーカーとうるさい。
その音を掻き消すように車にエンジンが掛る。
まだ明るい住宅街に、不安な空気を撒き散らしながら車は走り出した。
そしてそれと同時にカラスが屋根から飛び立った。
数日後、シエラは取り調べ室で罵声を浴びさせられていた。
「お前がやった事は明白だ!家を調べた時に寝室のベッドからフレディ・アスマンの骨が見つかった」
「だから言ったじゃないですか、夫はベッドで寝てるって」
「夫だ?お前に夫はいないだろ。いい加減白を切るのをやめたらどうだ」
シエラは髪の毛をクルクルと指で巻きながら答える。口元に不気味な笑みを浮かべながら。
「フレディは私の夫よ。だって結婚式を挙げたもの」
目の前の刑事の男はバンッと机を叩いて立ち上がった。
「ふざけるな!フレディの奥さんがどれだけ悲しみに暮れていたのかわかってるのか!」
「フレディの奥さん?フレディの妻は私だけよ。他にいないわ」
刑事はもうどうでもいいというような感じで席に座った。
「はぁー、お前の妄想には付き合ってられない。フレディはどこにいる?殺したんだろ。寝室からは右足の骨しか見つからなかった。他はどこにある」
そしてシエラは笑みを浮かべ、子供のようにはしゃぎながら言った。
「私のお腹の中……うふ、あはははー、すごい美味しかったわよ!2日煮詰めてやっと柔らかくなったの、最初はゴムみたいで食べられなかったけど、カラスのお肉より美味しかったわよ。特に胸の部分とか、骨のパンケーキも良かったなー」
刑事は最初、女が何を言っているのかよくわからなかった。食べた?おかしい。もしそれが本当ならこの女は相当に狂っている。いや、狂っているなんてもんじゃない。きっと子供の頃から。
その後裁判が行われた。弁護人側は彼女が精神病を患っている事を主張し、最終的に裁判所は彼女に懲役30年を言い渡した。
シエラ・バーレは小さい時、庭で飼っていた鶏の頭を包丁で切って食べたり、友達の家の猫をオーブンで焼いてみたりと、問題行動ばかりしていた。しかし当の本人はそれらをした事を覚えていなかったのだと言う。
シエラの両親はそのせいで、周りから酷い扱いをされ、精神的に耐えられなくなったのだろう、シエラがまだ9歳の時に首を吊って自殺した。
「おい!ほらこの虫食ってみろよこの化け物!」
「やぁめっ!ゲホッ!」
「さっさと食えよ!ほらもっと口開けて」
シエラは必死に抵抗した。学校のクラスメイト数名に体を拘束され、そしてその内の一人が廊下に死んでいたクモを口に無理やり押し込んで来たのだ。
シエラは抵抗する力を失い、やがてクモを飲み込んでしまった。
「あっはー、やば!本当に食べたんですけどー、ガチきも」
シエラは泣く声すら出なかった。私は化け物じゃないのに。何でみんなこんな酷い事をするのか。全くわからなかった。
「ねぇーエマ、学校の先生来ちゃうよ。もうそろ行こう」
そうしてシエラは拘束から解放され、クラスメイト数名はその場から立ち去っていった。
次の日も、頭を地面に押さえつけられて口に死んだ小鳥を突っ込まれた。臭い。そのせいで、シエラは嘔吐した。
「うわー汚、せっかく餌あげてるんだから食えよ!」
「何で、何でこんな事するの!私何も悪いことしてないのに……」
「はぁっ?何言ってんの。この前あんた校庭で死んでたカラス美味しそうに食べてたじゃない」
えっ、シエラはそんなはずはないと言う顔でクラスメイトのエマを見る。
「私……そんな事してない」
「してたじゃない、それも数回。あんたのお弁当はカラスかっつうの」
するとエマはシエラの髪を掴み、嘔吐物のところに顔を押し付けようとしてくる。
「自分の体の中のもんだったら食べれるでしょ」
周りの生徒達はその様子をクスクスと笑って見ていた。
しかしちょうどその時、誰かの声が遠くから近づいて来る。
「おーい!君たちそこで何をしてる!」
学校の先生だろうか。
そしてエマ達はまずっ!とその場を後に走って逃げていった。
シエラは耳を塞いだ。怖くて、気持ち悪くて、情けない自分を隠すように、またその場で蹲った。
数日後。クラスに新しい生徒が転校して来た。
名前はフレディ・アスマン。とても顔立ちが良く、明るい性格の子だった。私の席の隣りで、最初の内は良く話しかけて来てくれて、帰りには一緒に帰ることもあった。
彼のお陰で一時期はいじめもなくなった。
ついにはフレディから告白されて付き合うようにもなり、私はすごく嬉しかった。初めての彼氏。そして私はフレディを深く愛するようになっていった。
しかしそんな夢のようなひと時はすぐに崩れ去ってしまった。
フレディからある時急に別れようと切り出された。どうやらフレディの耳にもよからぬ私の噂が入ったらしい。
そんな女とは付き合えないと。その時私は何も言えなかった。悔しかった。
別れる様子をゲラゲラと笑うエマ達が教室の外に見えた。
本当の化け物は誰だろうか。私はそれから、人を信用する事をやめた。学校もやめ、ずっと祖母の家に引き篭もるようになっていた。
しかしそれでも、祖母は何も言わなかった。優しく私を支えてくれた。それだけが私の唯一の救いだった。
数年後、祖母は肺がんで亡くなった。シエラは悲しみに暮れ、数日間何も食べずソファーで膝を抱えていた。しかしそんな生活も長くは続かず、シエラは倒れた。
それから次に目を覚ましたのは家のベッドの上でだった。シエラは倒れた後から記憶がない。だが体が何故か元気だった。
誰かが私を運んでくれたのだろうかと起き上がりリビングに向かう。しかしそこには想像を絶する光景が広がっていた。
シエラは異臭で鼻を手で覆う。目の前には沢山のカラスの死骸が無惨に転がっていた。シエラは息を呑む。誰がこんな事をしたのだろうか?急いで清掃道具を取りに洗面所に向かう。
しかしそこでシエラは目を疑った。
鏡を見るとそこには、全身が赤く染まった自分が映っていたのだ。そうと気づくとシエラはその場に崩れ落ちた。全身を急に気持ち悪さが襲う。
そうか。私がやったのかと。
ある日、買い物の為に街を歩いてると、昔のクラスメイトに偶然鉢合わせしてしまった。しかも最悪な人物に。
「あっ!久しぶりじゃない、シエラちゃん」
エマだ。私を散々いじめて来た挙句に、フレディから切り離された。あの時の屈辱は今でも忘れていない。
しかしエマの隣には見覚えのありすぎる顔があった。私は思わずその人を凝視してしまう。
「あーそうだ!知らないわよね。私たちこの前結婚したばっかなの、ねぇーフレディ!」
フレディは気まずそうに顔を背けながら、あーと少し返事をした。
そしてエマは自分のお腹を摩りながら言った。
「ほら見て!私、妊娠したの」
それを聞いて私はどこかネジが外れたように笑いだした。気安く私の名前を呼びやがって、今まで化け物呼ばわりして来たくせに。しかもフレディと結婚してるなんて、そんなの絶対に許さない。
それを見ていた二人は顔を歪め去っていた。最後にエマがボソッと何か言っていたが、もう何も聞こえなかった。
私はその時完全に壊れた。頭が真っ白になり、全てがどうでも良くなった。でも何故か楽しい気分に襲われた。
そして私はやっと、心に縛っていた鎖を解放し悪魔と一つになった。
「へー会いに来てくれたんだ。嬉しいわよエマ。裁判の時以来かしら」
私は目の前のこの悪魔を今すぐどうにかしてやりたかった。私の夫を殺して、食べたこの悪魔を。
「シエラ!!お前絶対に殺してやる!よくも私の夫を」
「うふふ、落ち着いてよエマ。それより私が書いた手紙読んでくれた?」
「手紙……何のこと」
「うふふ、まぁいいわ。フレディはどうだった?」
私は胃が煮え繰り返りそうだった。目の前のガラスをバンバンと叩いて言った。
「黙れ!お前が気安く夫の名前を呼ぶな!殺して食べたくせに!」
目の前の悪魔は、爽快に笑っていた。後ろにいた刑事が急いで私を止めて、椅子に座らされた。
「フレディはあなたの夫じゃないわ。私の夫よ。だって二人で結婚式を挙げたもの。しっかりと彼が私に愛してるって言ってくれたの!」
「結婚式?何を言っているの」
「フレディを椅子に縛り付けて、爪を一枚一枚剥がしていったの。私を愛する事を誓いますかって何回聞いたっけ?でも最後には誓ってくれたわ」
エマは急にお腹に痛みが走った。お腹を押さえて痛みを我慢する。
「あんたは化け物よ!」
ここにいたら怒りが抑えられなくなる。そのせいで血圧が上がってるんだろう。
「フレディとの結婚指輪。返して、今日来たのはそれが目的」
シエラはあーと、首から何かを外しエマに見せびらかした。首飾りなようなものにハマっているプラチナの指輪。
私は咄嗟に立ち上がった。
「返して!」
シエラはあっさりといいわよと、小さい窓からそれをエマに渡した。
渡された首飾りにハマっている指輪を取ろうとするが外れない。
「その骨を砕けば外れるわよ。ただ接着剤でつけただけだから」
「骨?……何を言っているの」
私はすごく嫌な予感がした。いや、嫌だ。聞きたくない。
「あー言い忘れてた。それフレディの鎖骨の骨を削って作った首飾りなの、綺麗でしょ!」
咄嗟にエマは悲鳴をあげてそれをどこかに投げてしまった。
「えー、せっかく作ったのに気に入らなかった?それフレディの」
「やめて!それ以上何も言わないで!」
私は頭を抱えた。もう何も聞きたくない。本当にもう何も。でもその化け物はまだ何か言うつもりだった。
「そういえばあれ、残さず食べてくれた?ビーフシチュー」
もう嫌だ。何も考えたくない。
「もうやめて!黙れ!何も聞きたくない!!」
「うふふ!アハハハー、気づいてた?あの中に入ってたお肉、柔らかくて美味しかったでしょ!あれね、フレディの太もも辺りのお肉なの。最初は固かったけど、2日も煮込んだらほろほろになっちゃった」
私は発狂した。狂ったように何度も目の前のガラスを叩きまくった。頭がおかしくなりそうだった。
「死ね!!死ね死ね!」
暴れる私を後ろの刑事がまた抑える。
「この悪魔!!あんたは人間じゃない!」
「えへへ!でも貴方もフレディのお肉を食べちゃったんだよ、同じ化け物ね!」
刑事はもうこれ以上面会は危険と判断したのだろう。おかしくなった私を引きずってドアに向かった。
「面会は終わりです。あの女の話は聞かないで、もう駄目です」
「あっ待って、もう一つ言い忘れてたわエマ。ちなみにあのビーフシチューの中にすごい量の堕胎剤が入ってたの。お腹の子、もう死んじゃってるかもね……あはっ!アハハハ!」
その後の私の記憶はない。次に目を覚ました時には病院のベッドの上だった。その後の診察でお腹の中の子は死亡と告げられた。
カラスが屋根の上でカーカーとうるさい。
「おい見ろよ。ここがシエラ・バーレの家だよな」
「ねぇー、勝手に入って大丈夫なの?」
「大丈夫だろ。今更ビビってんのかって、お前が肝試し行きたいって言ったんだろ」
「そうだけどさー」
「ほら、いいから着いてこいよ」
そうして少年達二人は恐る恐る立ち入り禁止ロープを潜り抜けてシエラ・バーレの家に入る。
「うわー!うっ!何だよこの匂い」
「うぇー、やっぱまずいよもう帰えろう。外もうすぐ暗くなるし」
「じゃ、お前ここで待ってろよ。俺ちょっと中見てくるわ」
「ねぇー、ちょっと待ってよ!」
二人はどんどん中に入っていく。少し行くと広々とした部屋に出た。
「暗いなー、ライト照らせよ」
うん、ともう一人の少年がカバンからライトを取り出す。
パッ!と明かりをつけた瞬間、少年達は悲鳴をあげた。
目の前には獣のようなものが天井からぶら下がっていて、こちらを睨んでいた。
そして二人は急いでその場から走って逃げ出した。
後日、シエラ・バーレの家で首を吊った状態のエマ・アスマンが見つかった。亡くなってから3週間が経過していた。
カラスに食べられ、見るも無惨な光景が広がっていたと言う。
それから30年が経ち。シエラ・バーレは出所した。
「ねぇ、フレディ!このお肉美味しいでしょ?」
そして今日もまた、カラスが屋根の上でカーカーとうるさく鳴き続けていた。
最後まで読んで下さりありがとうございます!数ある作品の中から私の作品を見つけてもらった事に感謝です。
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