問❶話 はみ出し者と捻くれ少女
突然、まるで自分が大海を漂っている様な奇妙な感覚に襲われた。それからだ、皆んなが足を揃えて歩く中、自分だけは身体がフワフワと宙に浮いていて、地ベタに足が着かない感覚を常に感じている。
そんな時、自分は周りとは違うのだと気付いた。自分にとっての普通は、皆んなにとっての普通とは違うのだと…その時の事は今でも確かに覚えている。
◇
…──久々に俺が学校に来ると、数人がこちらを物珍しそうにチラチラと見てくる。クラスの連中は教室に入って来た俺に一瞬視線を向けるだけで、向こうから話しかけて来る奴は居ない。
だが俺は、別に一人が嫌とか恥ずかしいなんて思った事は無い、寧ろ一人は気楽で良いもんだ。自分の事だけ考えて生きていれば良いし、何より他人の顔色なんて伺う必要なんて無いから面倒じゃない。
そのまま自分の席に着いた俺は、頬杖を着きながら窓の外を眺める。まだ桜の咲く校庭を生徒達が歩いているのが見える。あの中には、この四月から入学した一年も混ざっているのだろう。
家から学校への往復をする退屈な日々、毎日の様にグルグルと回る螺旋階段を登り教室へ。別に刺激や非日常なんてものを求めている訳じゃない…何よりも平穏が一番だ。
只、時折に漠然とした不安に襲われる…俺はこのままで良いのだろうか?自分なりに今の環境に満足している筈なのに不意に猛烈な虚しさに襲われる。
そして無性に…──”死にたくなる”。
【拝啓…──芥庭深乱に捧ぐ、『世界は廻る、君は遅れて走り出す。』】
常に死にたい訳じゃない、逃げ出したい訳じゃない…でも人間には、何もかも投げ出したくなる時が一度くらいあるらしい。俺の場合は、それが今なんだ…
「あっ、南野くんおはよう!」
そういえば、そうだった…うちのクラスには一人だけ俺みたいな人間に話かけて来る奴がいるんだった。明るい髪の女子が俺の席まで態々来てから挨拶をしてくる。
汐沢恋彩…──汐沢はクラスの人気者で、男女分け隔てなく接するクラスの女子…どの学校にも一人くらい居るタイプだ。
「2週間くらい?学校休んでたみたいだけど、体調治って良かったよ!」
昔の俺なら、こういう相手に『良い人アピールしやがって…』と思ってしまっていたが、他人が何を考えてるかなんて誰にも分からないんだから、勝手に決め付けるのは良くないと考える様になった。
ただ正直、こういう愛想良くて誰に対しても優しい奴は苦手だ。どうしても裏が在るんじゃないかと疑ってしまう。実際、人間には多かれ少なかれ裏表は存在する…でも偶に裏表の無い人間もいるのを俺は知っている。
「おーい?南野くん、どうした?まだ体調悪くかったりする?」
「あー…えっと…汐沢、態々心配してくれてありがとう。もう大丈夫だから、気にしないでくれ」
「そっか、南野くんが元気そうで安心した!またね!」
そう言って汐沢は女子のグループの中に戻って行く。前までなら汐沢の事を疑っていただろうが、あの人が本当に良い人だという事は良く分かってるからな…
『良く分からないのに、その人の事を悪く言うのは良くないでしょ!』…──まあ、あんなの聞かされたらな。
…でも待てよ?もしかして俺、言葉のチョイスをミスったか?…自虐というか…いや、嫌味ぽくなってしまった様な気がする。
「席に着け、お前ら、HRを始めるぞ!」
そんな事を考えていると、教室の扉が開いて担任の松井先生が入って来た。それと同時にHRの時間を知らせるチャイムが鳴る。久々の授業が始まる…勉強が得意ではない俺からすれば、いつも通りの毎日が始まると考えると少し億劫になる。
…只、それもいつも通りにやれば良い。授業は何となく聴いて、休み時間はイヤホンを片耳に付けてスマホを触っていればやり過ごせる。そうしていれば、こうして半日があっという間に過ぎている。
「あれ、もう誰かいるな…」
昼休みになり、購買で買ったサンドイッチと自販機のエナドリを持っていつもの場所に向かうと先客が居た。体育館近くの俺がよく昼飯を食べているベンチ…そこに一人の女の子が座っている。
多分、新入生だろうか?今までは此処で食う奴は俺以外で見なかったから多分、今年入学した一年だとは思うんだが…あの子、誰か友達を待ってるのか?それとも、俺と同類?…は流石に失礼か。
さて、どうしようか…別に教室に戻って食べても良いのだが、一人で食べる方が気楽で良いんだよな。ただ、少しあの子の暗い表情が気になった…何か、何もかもが”つまらない”と言っている様な夜の瞳だ。
余計なお世話だとは知っているが、一人の奴を見ると、どうしても孤立させたくないという気持ちが湧き上がってくる。俺は彼女の隣にあるもう一つのベンチに腰掛ける。
「俺もよく一人で此処で飯食べてるんだ。君は新入生?」
後輩だろう女子に話しかけて、横を見てみると…さっきまで暗い顔をしていた女子の表情が険しいものになっている。いや、まぁ…同じ学校の制服着てても知らない男子に話しかけられたら身構えるよな…
「…嘘ですね、私はこの学校に入ってからずっとこの場所で食べてますけど、貴方がここでお昼を食べているの見た事ないですよ」
「嘘じゃないって。だって俺、入学式の前の日から風邪で今日まで学校休んでたからな」
「たかが風邪如きでに2週間ですか?…嘘を吐くにしても、もっと真面な嘘がありません?それとも仮病ですか?」
「いや俺、昔から身体が弱くって…昔からただの風邪でも結構長引くんだ」
「それが本当だとして、何故、私に話かけて来るんですか?…こんな場所で一人で食事をしている私を哀れんでいるんですか?”良い人アピール”なら他所でお願いします」
何だろう…凄い既知感だ。何か昔の自分を見ている様な感覚になるな。中学時代の自分もこんな感じだったなぁ…みたいな…
「いや別に一人は可哀想でも変でも無いだろ?…それを言ったら俺も似た様な感じだしな」
「何故、親近感を感じてるんですか?私を分かった気になったつもりですか?気持ち悪い…」
「うっ…かなりドストレートなのが来たな…他人が何を考えてるかなんて分かる訳が無いだろ。お前って捻くれてるって、よく言われない?」
「はい、そうやって良く褒められますよ」
「いや、褒められてはないだろ…それ多分、悪口だぞ?」
「いいえ、私にとっては褒め言葉ですね。彼奴等みたいな有象無象共とは違う考えた方が出来るって事ですから」
そう言って彼女は、手に持っていた三角の食パンみたいなものを頬張る。ああ、これは重症だ…拗らせてるってレベルじゃない。もしかしたら中学時代の俺以上じゃないか?…まぁ、俺も人の事を言えないレベルでは捻くれてるけどさ。
「えっと、有象無象っていうのは?…」
「教室で騒いでいるパリピに陽キャ、『昨日、友達がさ〜』『彼女がなんだ〜』『彼氏がどうした〜』とかほざく可哀想な連中です。そのくせに、テストで赤点を取ったら嘆く…哀れです」
「まぁ、奴等にとっては赤点や補習も青春の1ページになるんだろうさ」
「チッ…哀れを通り越して愚かですよ。嘆くくらいなら最初から準備を怠るなという話です」
「言いたい事は分かるが…その言い分だと、お前は随分と成績優秀そうだな?」
「はい、今ままで人生で80点以下は取った事は無いですよ」
「えっ…マジで?見栄とかじゃなくて?凄っ…」
「はい、というか普通にテスト勉強していればそんなものでは?」
マジかよ…俺、小学校卒業してから中学での理科の70点以上を超えれたの家庭科と保険体育くらいなんだけど…というか真面目に勉強しても他は赤点ギリギリなんだけど!?
「…用が無いのなら、もう食べ終わったので私は行きますね」
「あっ…そうだ、俺は2年の南野夜永。お前の名前は?」
「何故、明らかに怪しい貴方に言わなくてはならないんですか?…では、私は暇じゃないので失礼します。もう良い人アピールは私にして来ないで下さい…反吐が出ます」
まるでこっちが暇だとでも言いたい様な、一方的にそんな捨て台詞を残して少女は去って行く。事実、年中暇だから何も言い返せないが…めっちゃ見下されてない?あれじゃ周りに敵を作るだろうな、俺も人の事を言えない人間だが…
実際、当時の俺は他人の顔色を伺ったり誰かに合わせる奴をダサいと思ってたし、彼女の様に他の連中を見下して信用しなかった。
正直、今でもそういう人間は好きではないし信用できないが…別に他人の顔色を伺って、誰かに合わせる事を悪だとは思わない。飽くまでそれは自分を守る為の手段、誰だって自分が可愛いのだ。
別にそんな事をしないといけない世界が悪い訳でもない。確かに《《この世界はくそったれだ》》…それは事実だが、全部を世界や周囲の人間のせいするの間違いだ。
俺だって世界や周囲を見限って、卑怯な傍観者、こちらを見下す偽善者…そういうレッテルを自分の中で相手に貼り付けていた。
本当は手を差し伸べてくれる人間も居たのかも知れない…自分が気付かずに、いや…哀れまれているの様な気になって、『救いなんて、望んじゃいない…』と、その手を振り払ってきたのだ。
少なくとも今の俺は、他人を見限って、決め付けて…誰かを傷付けて、それを繰り返して此処に居る。あの捻くれ者は昔の俺に似ている。何もかもを見限っていたあの頃に…
だから彼女を放っておけなかったのかも知れない。どれだけ世界を嫌っていても、救いなんて望んでなくても…諦めていても、本人も気付かない内に…──自分の世界を変えてくれるのを待っている人間だっているんだから。
問①話 はみ出し者と捻くれ少女 [完]