73.5 アルフレート様とのお茶会
※アルフレートの縁談相手、エレノアのお話です。
「……様。エレノアお嬢様!」
声とともに読んでいる本がパタンととじられて、目の焦点が上手くあわずに目を瞬いていると、後ろから困ったようなため息が聞こえました。
「ごめんなさい、ノルテ。わたくし、また没頭してしまっていたのね」
「いつもなら良いのですけれど、お約束のある日はやめてくださいといつも言っているでしょう? もうお時間ですよ」
「ええ。ごめんなさい。少しのつもりだったの」
言い訳をしながらそっと立ち上がると、ノルテが本を片付けて衣装にシワがないかぐるりと見回しました。
今日は粗相があってはたいへんなお客様がおいでになるからでしょう。
「お嬢様、奥様から『今日こそは色よいお返事を』との言伝です」
「善処いたします。けれどそれはお相手のアルフレート様のお決めになることですから、お母様のご期待に添えるかどうか」
まだお会いするのも二回目だというのに、お母様のお気の早いこと。
けれど、それも仕方ないのかもしれません。
これまでの縁談のお相手は、三日とあけずにお断りのお返事が届いたのですもの。
そんなところへ、何かと話題の南西侯、その後継者であるアルフレート様から、お断りどころか二度目のお茶会のお誘いが届いたのです。
お母様が今度こそはと期待なさるのも無理からぬことなのでしょう。
アルフレート様は騎士団でも異例の出世頭として、周囲の女性からの縁談が引きも切らない状態でいらしたとお聞きしております。
けれどどの縁談にも首を縦には振らなかったのだそうです。
たいていのお断りの言葉は同じで、「今は仕事のことに集中したい」というもの。
ですから貴族令嬢の間では、どなたか心に思う方でもあるのでは、というのが大方の予想でした。
幾度縁談を整えてもすぐにお断りされてしまうわたくしとは真逆です。
そんな彼から、いえ正確には南西侯夫人からわたくしへ縁談の申し入れがあったことも、思いもよらないことでした。
南西侯夫人とわたくしのお母様は昔から仲良しで、よくお茶会をする仲だったと聞いております。
ですから、お母様がわたくしの縁談をむりやりに頼み込んだのだと思っておりました。
けれど今回の縁談は、むしろ南西侯夫人の側からお願いされたのだとお聞きして、わたくしは思わず目を丸くしてしまいました。
南西侯夫人曰く、アルフレート様が漸く縁談に前向きになられたのでこの機を逃すわけにはいかない、とのことでしたけれど……重要なお仕事がひと段落した、というような何かのきっかけでもあったのでしょうか。
ともあれ、最初の顔合わせは、南西侯夫人と新たにお屋敷に迎えられたという妾腹のお嬢様もご一緒されるという、少し異例のお茶会で行われました。
まだ貴族社会に不慣れなお嬢様の社交の練習相手も兼ねているとのことでしたので、わたくしはそれで合点がいきました。
他所におかしな噂が流れても困るので、南西侯夫人と仲の良いお母様の娘であり、友人が少なくて言いふらす相手のいないわたくしが練習相手として選ばれたのでしょう。
その見返りがアルフレート様との縁談だったのです。
それならきっとお断りされることが前提の縁談なのでしょう。
無理に気に入られる必要はないのだと悟って、わたくしは少しホッといたしました。
縁談のお相手に気に入られようと気をつかうお茶会は、あまり得意ではないのです。
お嬢様のための練習が主目的なら、多少気を抜いても問題はないでしょう。
きっとそうして気を抜いたのが良くなかったのでしょう。
いつもなら微笑んで言葉少なに終わらせるはずの顔合わせのお茶会で、わたくしは自分の趣味のお話を延々としてしまったのです。
お母様から聞いてご存じでいらした南西侯夫人は呆れたように笑っておいででしたけれど、アルフレート様も異母妹であるフィオレ様も興味深そうに聞いてくださるので思わず口が滑ってしまいました。
これはきっといつものようにお断りされて、ノルテから話を聞いたお母様にお叱りを受けることになりそうだと暗い気持ちでわたくしは席を立ちました。
辞去のご挨拶を終えると、アルフレート様が玄関まで送ってくださることになりました。
お心遣いはありがたいのですけれど、お断りされることがわかっているのではいつ言い出されるかと落ち着きません。
「本日は、楽しい時間をありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう存じます。その……わたくし、自分のことばかりお話しして、つまらない思いをさせてしまって……」
いつもこうなのです。
最初は口を閉ざしてうまくいっても、楽しくなってしまうと相手を置き去りにして自分のことばかりお話しして、お相手を置き去りにしてしまうのです。
それだけでなく、いろいろな趣味に次々手を出すことで「飽きっぽい金のかかる女」と捉えられてしまい、結婚相手として不適という判断を下されてしまうのです。きっと今日もそうなのでしょう。
「つまらない? そんなことはありませんよ」
驚いたような声に、俯いた顔をあげると、アルフレート様はわたくしを見て少し困ったように微笑まれました。
「私はこれまで仕事しかしてこなかった無趣味な人間です。ご令嬢とお茶会をする機会も多くなく、話せる話題も騎士団や剣など、ご令嬢にとっては退屈なことしかありません」
その表情から、ただわたくしを慰めてくださっているのではなく、本当にそう思っていらっしゃるのだということがわかりました。
……ああ、なんて良い方なのでしょう。
「きっと私と話すのでは、エレノア様も退屈でしょう」
「そんなことはございませんよ。お聞きしたいです。騎士団のことも、剣のことも」
思わず勢い込んで身を乗り出してしまいました。
騎士団には女性の騎士はいませんし、血腥い話を避けてか、騎士団についてお話ししてくださる方はなかなかいらっしゃいません。
そんなお話を聞けるなんて、絶対に面白いに決まっているではありませんか。
アルフレート様が驚いたように目を丸くなさっているのを見て、わたくしはハッと我にかえりました。
……だめです、今日はどうしてこう素を見せてしまうのでしょう。
わたくしは諦めてお母様からのお叱りを受ける覚悟を固めました。
「申し訳ございません。……わたくし、こういう女なのです。楽しそうだと思った途端、止まらなくなってしまって。……アルフレート様のご迷惑も考えず、申し訳……」
「謝らないでください。迷惑だなどと思ってはいませんから」
「え……」
「先程も言いましたが……私は無趣味で、面白みのない人間です。それは自分が一番良くわかっています。それを、興味を持っていただけただけでも嬉しく思います」
これまでずっと浮かべていた社交用の穏やかな笑みではなく、少し照れてはにかむような少年のような笑みに、思わず息をするのを忘れてしまいました。
金縛りが解けたとたん、早鐘を打ちはじめる心臓を抑えながら、思わず呻き声が出てきました。
「……アルフレート様、それはちょっと反則です」
「反則? 何か無礼なことでも」
「いえ違います。忘れてくださいませ」
だめです。縁談が流れるのはわかっていたにせよ、これでは完全に様子のおかしな女です。
「私と話すのでは退屈だろうと思っていたのですが、そうではないなら……また、お茶会にお誘いしてもよろしいでしょうか」
「え?」
突然の言葉を理解できなくて、思わず聞き返してしまいました。
「自分ばかりが話してしまったと気にされていましたが、私にはエレノア嬢の趣味の話をする姿がとても輝いて見えました。きっと今日話してくださった趣味の他にも、いろいろなことをなさったのでしょう? それを聞かせてくださいませんか」
「……よろしい、のですか?」
あまりにわたくしに都合の良いお誘いに、声が震えます。
それをどう取ったのか、アルフレート様が慌てたように付け足しました。
「もちろん、エレノア嬢がお嫌なら無理にとは申しません。二人きりがお嫌なら妹も同席させましょうか」
「あの、いえ、嫌だなんて滅相もございません。その……わたくしでよろしいのですか?」
今日は変則的ではありましたけれど、顔合わせの後に続けてお茶会を望むことは縁談の進展を意味します。
それがわかっていないはずはないでしょうに、アルフレート様がホッとしたように力の抜けた笑みを浮かべられました。
「ここに貴女以外の誰がいらっしゃるのですか」
その笑みがあまりに自然なものだったせいでしょう。
「……ありがとう存じます。楽しみにしております」
普通なら、直接のお誘いは一度言葉を濁してから改めてお返事をするというようなお作法があることなんてすっかり忘れて、わたくしはあっさり頷いてしまっていたのでした。
またお断りされるとばかり思っていたお母様は、次のお茶会の口約束をしてきたという報告に殊の外お喜びでした。
あっという間にお母様から次のお茶会の招待状が送られて、アルフレート様の社交辞令だったのでは、あるいはわたくしの聞き間違いだったのではないかと思い始めた頃、そのお返事が届きました。
……つまりはそのお茶会が今日なのです。
……やはり夢か何かなのではないでしょうか?
何か事情がおありなのでは、と考えもしましたけれど、格下であるわたくしの家門をはめたところでアルフレート様や南西侯に何か利があるとも思えませんでした。
そもそも伝え聞く限りのアルフレート様の気性を考えれば、縁談を利用して何か策略を巡らせるようには思えません。
それなら通常通りの意味で縁談の進展をお望みなのでしょうか。
……けれど、縁談のお申し込みも多そうなアルフレート様が、縁談をお断りされてばかりの売れ残りを望まれる意味がわかりません。
人を揶揄って楽しむような方にも見えませんでした。
「……。エレノア様」
「……あ。はい?」
「しっかりなさってくださいませ。お茶会室はこちらですよ」
「あら。……考え事をしていました」
深呼吸してお茶会室に入ると、お母様がすでに待っていらっしゃいました。
お母様は、最初にアルフレート様にご挨拶をして退出なさることになっています。
両家にご挨拶をして、それで問題がなければ縁談は滞りなく進んでいるという外形が整うことになります。
逆に言えば、何か障りがあった場合はこの段階でお話が終わることがほとんどです。
なのでお母様が張り切るのは当然と言えば当然のこと……ではあるのですけれど。
「エレノア、またぼんやりとして。そんなことではいけませんよ。いつも言っているでしょう。殿方の前ではいつも笑みを浮かべて、お話をよく聞くのですよ」
「……はい、お母様」
いつもの言葉に笑顔で答えます。
……けれど、それで縁談が整った場合、いつまでそれを続ければ良いのでしょう。
婚約したら、あるいは結婚したら、素の自分を出しても良いのでしょうか。
……お父様とお母様の様子を見ていると、とてもそのようには思えませんでした。
それなら――むしろ縁談が整わない方が楽だと思ってしまうのは、貴族の令嬢としては失格なのでしょう。
お母様に気づかれないよう、細く息を吐きます。
家のため、わたくしたち貴族令嬢にできることといえば、他家へ嫁いで家門同士の結びつきを強めるくらいしかありません。
わたくしたちは騎士になれるわけでもなく、働きに出られるわけでもありません。
ただ美しく着飾って、愛想を良く振りまいて、少しでも良い家門の殿方に好いていただくこと……それが貴族令嬢の仕事です。
いくら本を読んで教養を身につけても、どんな仕事の技術を身につけても、貴族令嬢である以上はなんの役にも立たないのです。
……ああ、いえ。例外のご令嬢がいらっしゃいましたね。
アルフレート様の異母妹であるフィオレ様は、女性でありながら魔術騎士としてつい先日叙任されたばかりです。
剣だけでなく、魔術も扱えるフィオレ様は、先の魔物の事件での献身的な戦功によって叙任されたと聞き及んでいます。
貴族女性の身でありながら、それほどまでに剣と魔術を自在に扱えるだなんて、どれほどの努力をなさったのでしょう。
フィオレ様は南西侯の妾腹で、侯爵令嬢として迎えられたのはごく最近だというお話でした。
下町では女性であっても剣を手に戦うお仕事もあるのでしょうか。
もしかしたらそれはわたくしが思う以上に過酷な暮らしを送ってきたフィオレ様への情けや哀れみのようなものだったのかもしれません。
「……ア。……エレノア」
剣を習うことを止められたわたくしは、南西侯から剣を握ることを止められていないフィオレ様が羨ましいとすら思いましたけれど、それはもしかしたらひどく不遜な感想だったのかもしれません。
もしかしたら意図せずフィオレ様を傷つけてしまったのかも……。
「エレノア!」
「はっ、はい、お母様!」
「しっかりしてちょうだい。アルフレート様がおいでですよ」
「はい……申し訳ございません」
また怒られてしまいました。
今日もまたおかしなことを言ってしまわないよう、十分気をつけなくては。
案内されて入ってきたアルフレート様は、今日は騎士服をお召しになっています。
このお茶会の後、お仕事なのかもしれません。
「本日はお忙しいところをお越しくださってありがとう存じます。どうぞ我が家と思ってくつろいで行ってくださいませ」
「お招きありがとうございます。こちらの都合に合わせていただいたことに感謝します」
お母様とアルフレート様がにこやかに挨拶を交わすと、お母様は何かを言いたげに、けれど形式に則って退出なさいました。
こちらに意味ありげな視線を送るのを忘れてはいません。
わたくしは少し重くなった気持ちを吐き出すように深呼吸してから、対面に座ったアルフレート様に笑みを向けました。
「お越しくださってありがとう存じます。このあとはお仕事なのですね」
「ええ。無骨な格好で申し訳ありません。今日は何が起きても対応できるようにしておきたかったものですから」
少しアルフレート様の目が鋭くなりました。
「今日……何かあるのですか?」
つい先日の魔物騒ぎがふと頭を掠めました。
あれはたいへんな騒ぎだったと聞いています。
何か予兆でもあるものなのでしょうか。
「……先日の魔物騒ぎを覚えていらっしゃいますか」
心を読まれたように感じて思わずびくりと震えてしまいました。
それを見たアルフレート様は、わたくしを怯えさせてしまったと思ったのでしょう。
少し慌てたように言葉を続けました。
「ああ、いえ、あのようなことが起こると決まったわけではありません。妹が、その調査をしに向かったのです」
「……ああ、国王陛下からの御下命でしたね」
わたくしは叙任式で凛と立つフィオレ様のお姿を思い出します。
ドレスのようにも見える鎧姿のフィオレ様は、軽やかに天馬で空を駆け、自在に魔術を操って見せました。
あのように細い体で民を守って戦ったと聞いて、その勇気と清廉さに心が震えました。
「それではさぞご心配でしょう」
「ええ。……幸い妹には頼りになる相棒がついているので、そう滅多なことにはならないと思ってはいますが――しかし、何が起こってもおかしくはありません。二人が探索を終えるまでは、何があっても駆けつけられるようにしておきたいのです」
騎士服を身につけていらっしゃるのはそのためなのでしょう。
馬車に鎧が用意されているのなら、すぐに武装して駆けつけることができます。
「フィオレ様を大事にされていらっしゃるのですね」
何の気なしに口にした言葉に、アルフレート様が固まりました。
「アルフレート様?」
「……まぁ、そうですね。手のかかる妹ですが……最近は自分の手を離れて好き勝手やっているので、心労が募るばかりです」
苦笑しながらそっと胃の辺りを押さえていらっしゃいます。
「先日の魔物騒ぎの折も、民を救うために単身で魔物と戦っていて、怪我こそなかったものの心に傷を負ったようでした。……私が指示を出したことではありましたが、騎士としては正しかったとしても、兄としては失格でした」
アルフレート様の顔が後悔と苦悩に軽く歪みます。
貴族街はすぐに魔物が駆逐されていましたが、下町ではかなりの被害が出たと聞いております。
そちらで戦っていたのなら、たいへんな目に遭われたことでしょう。
「アルフレート様……」
「……申し訳ありません。エレノア様にこのような話を」
はっと我に返ったように、アルフレート様が社交用の笑みを浮かべました。
確かにお茶会で縁談相手にするようなお話ではないかもしれません。
けれど、これはアルフレート様の大事なご家族に関わる話なのです。
「わたくしに気を遣ったりせず、聞かせてくださいませ。大事なご家族のお話ですもの。……フィオレ様は、ご無事だったのですね?」
「無事、ではありました。友人が作った鎧が守ってくれましたから。……ただ」
アルフレート様が迷うように一度言葉を切りました。
戦場の話をすることを躊躇っておいでなのかもしれません。
「どうぞ、気を遣わないでくださいませ。わたくしは大丈夫です」
「ありがとうございます。……妹が我が家門に迎えられるまでは下町で暮らしていたことはご存知だと思います。妹は――その時の知人を救うことができなかったそうです」
自分が切られでもしたような苦しそうな顔で、アルフレート様がポツリと仰いました。
「それは……お辛かったことでしょうね」
「血の気の失せた、真っ白な顔をしていました。……妹はいつも、騎士として民を守るために剣を振るのだと言っていました。妹は、もともと心の優しい娘です。相手を傷つけるための道具を、誰かを守るために振り続けていました。それがあの日は、見知らぬ『誰か』ではなく顔を知る知人を守ることができなかった……あんな顔をさせるために……」
剣を教えたわけではなかったのに。そう呟いたように聞こえました。
……フィオレ様に剣を教えたのはアルフレート様だったのでしょうか?
けれど、侯爵家に迎えられたのはごく最近と聞いています。
もしかしたら、それ以前から親交がおありだったのでしょうか。
「……今回の叙任も、それが本人にとって長年の夢だったとしても、私は兄として止めるべきだったのかもしれない――そう思えてならないのです。妹は……フィオレは騎士になるには優しすぎる」
そう仰るアルフレート様があまりにも苦しそうで、わたくしは思わず立ち上がってその手を取りました。
「アルフレート様は、フィオレ様をとても大切に思っていらっしゃるのですね」
アルフレート様が驚いたように目を瞬きました。
「フィオレ様のお気持ちはフィオレ様ご本人に聞かなくてはわかりません。けれど、こんなにも想ってくださるお兄様がいらっしゃるのなら、大丈夫ではないかとわたくしは思います」
「……そう、でしょうか」
「きっとそうです。フィオレ様がお悩みになった時、お辛くなった時、そういう時に支えてあげてくださいませ。騎士としての先輩であり、お兄様でもあるアルフレート様がついていらっしゃるのなら、きっとフィオレ様は大丈夫です」
「……そうかもしれませんね」
アルフレート様の笑みに、少し苦いものが混ざりました。
……何かわたくしはまたおかしなことを口走ったのでしょうか。
「的外れなことでしたら申し訳ございません」
「ああ……いえ。……敵いませんね。どうやら貴女に隠し事はできないようだ」
アルフレート様が少し困ったように眉を下げました。
「妹が悩んだ時、辛くなった時に支える役目を担う相手は、もう私ではないようです。まだ内内にではありますが、恋人と将来を約束しているようで」
「まあ」
そういえば、最初のお茶会でもそのようなお話をなさっておいででしたね。
「今回真っ白な顔をしていた妹も、次に会った時には存外平気そうな顔をしていました。……兄として、妹を守ってやる時期はもう終わったのだと思います」
なんとも複雑そうなお顔を見ていると、突然全てが腑に落ちてしまいました。
こんなにもフィオレ様をご心配なさっているのも、恋人ができて手が離れたことを寂しそうにしていらっしゃるのも。
それは異母妹だからだとばかり思っていましたけれど、これは、もしかして。
「……わたくし、身を引いた方が良いのでしょうか?」
「は?」
呆気に取られたように、アルフレート様が目を丸くなさっていらっしゃいます。
……もしかしたら、こんな顔を見たことがあるのは、貴族の令嬢ではわたくしだけかもしれませんね。
少しチクリと胸が痛むのは、うまく行きかけた縁談を自ら手放すことの心苦しさからでしょう。
「大丈夫です。異母妹なら、婚姻の事例はございます。まだ内内の婚約関係だと言うのでしたら、まだ巻き返せます」
「待ってください」
「いいえ、待っている暇はございません。その恋人という方が今も同行していらっしゃる魔術師の方なら、一刻の猶予もございません。今からでも調査に同行されてはいかがですか? お休みを取るのでも、職務上お二人の補助をするためとでも、いくらでも申し訳は立つはずです」
「落ち着いてください、エレノア嬢。そういうのではありませんから」
「ご自分のお気持ちに嘘をついてはなりませんよ、アルフレート様。わたくしだけでも応援いたします。助力も惜しみません」
「だから違います。既に私は一度――」
慌てたようにアルフレート様が口を押さえました。
……既に一度? いったいどういうことなのでしょう。
アルフレート様は一度目を伏せてため息をつくと、盗聴を防ぐ魔術具を取り出して見せました。
「本来このような席で使うものではありませんが、複数の家門に関わる話なので、使わせていただけますか?」
「もちろん構いませんけれど……そのような秘密をわたくしに話して大丈夫なのですか?」
「……エレノア嬢は誰にでも言いふらすような軽率な方ではないでしょう」
どこからそう判断されたかわかりませんけれど、信頼してくださるのが素直に嬉しくて、少し視線が泳いでしまいます。
その間に魔術具を起動させたアルフレート様は、口元を覆いながら言葉を続けました。
「……フィオレはもともとは別の家門の庶子でした。それが故あって先日当家に迎えられたのです。その際、私の異母妹となるか、私の妻となるかを選んだのはフィオレ自身です。――つまり、私は一度妹に振られているのですよ」
あまりのことに、思わず目を見開いてしまいました。
まさかそのような関係だとは思いもしなかったのです。
「……あの、知らぬこととはいえ、配慮のない発言をしてしまい申し訳ございませんでした」
「ああ、怒っているわけではありませんからお気になさらないでください。しかし、事情を知らないのに何故そうお考えになったのですか? いえ、別に私は妹をそういう目で見ていたわけではないのですが」
「アルフレート様が心からフィオレ様を心配して、大切になさっていらっしゃるのがわかったからです」
「大切に……。それは、そうかもしれませんね。けれど、エレノア嬢が思っていらっしゃるのとはまた別の感情ですよ」
アルフレート様が困ったように苦笑されました。
「……避けようのない事情から、まだ幼い頃のフィオレの世話をしていたのは私です。彼女に剣を教えたのも、騎士としての有り様を教えたのも。だから、勝手に自分で責任を取るつもりでいたのですよ。フィオレにはいらないと言われましたが」
責任を……だからこその先の二択だったのかもしれません。
……でも、別の感情だというのはきっと嘘です。
ただの勘でしかありませんけれど。
「……失礼ながら、フィオレ様は見る目がないと思います。こんなに真っ直ぐに思ってくださるアルフレート様ではなく、別の方を望むなんて……」
わたくしの言葉に、アルフレート様がふきだしました。
そんなにおかしなことを言ったつもりはないのですけれど。
「失礼。……何故、そこまで怒ってくださるのですか?」
「だって、好きな方にはお幸せになっていただきたいではありませんか。隣に立つのが自分ではなかったとしても」
何も考えずに思ったままを口に出してから、慌てて口を押さえました。
顔といわず、耳といわず、全身が赤くなっていくのを感じます。
声になった後で慌てて口を覆っても意味がないのだと何度繰り返したらわかるのでしょう。
アルフレート様が驚いたように目を丸くしてこちらを見ていらっしゃいます。
貴族令嬢がこんな明け透けに好意を伝えることなんてないのです。
もっと搦手で婉曲に遠回りでもったいぶったやり方でお伝えするのが一般的なのです。
「……忘れてくださいませ……」
「頷くのが紳士なのでしょうが、承服しかねます」
どこか笑みを含んだ声が返ってきて、わたくしは顔全体を覆ってしまいました。
そこへ、微かなはばたきの音が聞こえてきました。
顔を上げると、光る鳥がアルフレート様の手元に止まっているのが見えます。
騎士団が使うという伝令の魔術具の鳥でしょう。
男性の声で簡潔に命令を伝えると、伝令の鳥は姿を消しました。
「お仕事ですか?」
「はい。……申し訳ありません。お茶会の最中に中座するご無礼をお許しください」
その真剣な顔を見て、誰が否と言えるのでしょうか。
「お気になさないでくださいませ。お忙しいところ、お時間を作ってくださってありがとう存じます」
魔術具を片付けたアルフレート様が席を立つと、何故か退出するのではなく、わたくしの前に跪きました。
「あの、アルフレート様?」
「……私は騎士です。父のような政治向きのことは得意ではありません。後進にその場所を譲るまで、ずっと剣を握っていることでしょう。国のため、民のために命を落とすこともあるかもしれません」
真っ直ぐにわたくしを見るアルフレート様を見ながら、わたくしは頷きました。
「存じております」
わたくしにできることは、フィオレ様のように横に並ぶことではなく、陰ながらそのご無事を祈ることだけです。
何もできないことがひどく歯痒く思えます。わたくしも魔術が使えるように教えていただくべきでしょうか。
「私は貴女を幸せにするために何かをできるわけでもない、面白みのない人間です。けれど、家に帰った時に貴女が楽しく生きていてくれれば、それを聞くだけで私も幸せになれるような気がするのです」
「はい……?」
何を仰りたいのかわからず、目を瞬いていると、アルフレート様が恭しくわたくしの手を取りました。
「今日は私と妹の話ばかりでした。……この件が終わったら、次は貴女の話を聞かせてください。また貴女と話せることを楽しみにしています」
そう言ってアルフレート様はわたくしの手の甲に軽く口付けを落とすと、騎士の顔で立ち上がり、颯爽と部屋を去っていかれました。
「エレノア様、やりましたね! エレノア様!?」
「……ふぇぇぇぇ……?」
間抜けな声を上げながらくたりと椅子に倒れ込んだわたくしは、興奮したように声をかけてきたノルテにあわてて支えられたのでした。
アルフレートのような堅物には、エレノアのようなマイペースでおもしれー女が横にいた方が楽しい人生を送れるんじゃないかなぁと思います。
アルフレート自身は真面目な堅物ではありますが、ロートやリンのような面白い生き物が大好きですからね。