第1話
響は声をかけるか躊躇った。
だが、素通りするのも、おかしな話だ。響は小さくため息をついて、人影、もとい、幼い少女に話しかけた。
「お前、こんな所で何をしている」
「……」
少女は響の言葉に、ちら、と、こちらを向くが、すぐに視線を落として、無言を決めこむ。
「名前は」
「……」
「……年齢は」
「……」
「…………どこから来た」
「……」
響は何を言っても答えない少女に苛立ちを感じ始めた。
「答えないと、しょっぴくぞ」
「荒井……秋子……」
少女が、ぼそりと呟いたその言葉が自身の名前だと気づくのに、響は数秒を要した。
「12、歳……。遠い、遠いとこ……。家出……」
秋子は、ぼそぼそと響に聞かれた事を答えた。
「……」
響は、秋子の言葉と、状況に、昔の自分を思い出した。
だからだろうか。響は、普段ならしないであろう選択肢を秋子に与えた。
「警備隊に行くのと、孤児院に行くのと、俺達の家に来るの、どれがいい?」
「…………家」
秋子は少し考える素振りを見せてから呟いた。
響は、見知らぬ男の家に転がり込むなんて危なっかしい奴だ、いや、子供だからまだわからないだけか? と思った。
「とりあえず、ついて……いや……」
こいつと一緒にいるところを見られるといろいろまずい……。警備隊に連れていかれるかもしれない、と響は考えた。
「……見られるの、まずいなら、私、消えれます」
「……は?」
そう言うと秋子は光の粒子を纏い、ぽわっと消えた。
「!」
響は驚きつつ、その光景がどこか綺麗だとも思った。
何も無い場所から声が聞こえる。
「私、の、能力、で、す……。半径、5m、以内、の、もの、『光』、に、出来……ま、す……。『光速』、で、動けます……。怪我、しても、光、の、粒子、を、再構築、して、治せ……ます。何なら、あなた、も……。けど、動かせる、の、は、私、の、意思……で、念じた、もの、だけ、です……。他人、は、自分、の、意思、では、動け……ません……。でも、喋、る、事、は、出来、ます……。能力、も、使え、ます……」
たどたどしい秋子の言葉から、響は納得した。
「(危なくなったら逃げればいいと思った訳だな)」
「消え……ますか……?」
「……いや、18時頃までここにいてくれ。迎えに来る」
衛芯が先に帰ってくる可能性もある。そこにいきなり秋子がいたら驚くだろう。
秋子は光化を解いて、こくりと、うなずいた。そしてまた最初と同じ様に木の根元で体育座りをした。
響は一旦、その場から立ち去った。
「おお、響。帰っ……って、誰だ? その子?」
日が落ち始めた頃、響達は家に帰って来た。
響は衛芯に経緯を説明する。
「そういう事か。良いぞ! いくらでも置いてやる!」
衛芯は屈んで秋子と目を合わせた。
「家事は出来るか?」
秋子は首を横に振る。
「教えたら出来そうか?」
「わ……わかんない……です……」
「じゃ、ちょっと試してみるか!」
秋子は目を泳がせて、自信無さげに、うなずいた。
晩飯を食べ、風呂に入って、皆が一息ついたところ、響は秋子にあてがわれた部屋の扉をノックした。
「えと……はい……どうぞ」
響はガチャリと扉を開ける。風呂に入った後だからか髪は下ろしている。
その手にはビニールテープでくくった本の束が。
「?」
秋子が疑問符を飛ばしていると、響は本の束を秋子の前に置く。
「俺が使ってた教科書だ。学校には通えないと思うから、家事の合間にでも勉きょ……」
「い……」
「?」
「嫌ぁぁ!! 勉強なんてもうしたくないぃぃ!!」
秋子は本の束を両手で掴んで投げつけた。
「なっ……! お前何やって……!」
「勉強嫌! 嫌ぁぁぁ!」
響は秋子の豹変ぶりに戸惑った。
「何だ、どうした?」
騒ぎを聞きつけ、衛芯がやって来た。
「教科書やったらいきなり……」
響は秋子を指差す。
髪の毛を両手で鷲掴み、半狂乱になっている秋子の肩を衛芯は、がっしりと掴んだ。
「秋子、どうした」
しっかりと、落ち着いた声で衛芯は言う。
「あ……あ……。もう……勉強やだ……」
「そうか。秋子、秋子の好きな事は何だ?」
衛芯は優しげな声で問いかける。
「漫画、と、ゲーム、と、インターネット、と、音楽、と、絵を描く事、と、小説を書く事、と……」
「秋子は好きな事いっぱいあるんだなぁ」
衛芯は明るく言う。
「じゃあ、家事の練習と、余った時間はそれをしよう!」
「え……」
「ちょっ……! 衛芯さん!?」
秋子は呆け、響は非難混じりの声をあげる。
「やる事やったら、後は好きな事をやる! 今はそういう時期なんだ、きっと」
「でも……」
「はい、じゃあ、この本は衛芯さんが回収していきま~す」
響の言葉を聞いてか聞かずか、衛芯は放られた本の束を掴んだ。
「生活と趣味のものはまた揃えていこうな」
そう言って衛芯は部屋を出た。
残された響は、手を強く握り締めた後、部屋を出た。
1ヶ月後……。
「きゃー! きゃー! やられちゃうー!」
「大丈夫だ、秋子! 後ろに回りこめ! 俺が頭側をやる!」
「ただい……、またゲームか……」
響が買い物から帰ると、秋子と衛芯は携帯ゲーム機を持って遊んでいた。
「響もやるか? お前の分も買ってあるぞ」
衛芯はゲーム画面を見ながら響に話しかけた。
「……やらない」
響は淡々と買った物をしまった。
響は秋子の部屋の扉をノックした。
「はーい」
中から秋子の応答の声が聞こえたので、扉を開けた。
「? 響さん、どうしたの?」
秋子は、もう、普通に喋れる。家事もやる。だからこそ、響は納得出来なかった。
「今、何してた?」
「え、えっと、小説、書いてたの……」
秋子は響の不穏な圧に押された。
「何で勉強しない」
「……」
秋子は下を向き、黙る。
「小説を書くにしろ、将来の事にしろ、勉強は必要だ。衛芯さんに言われて黙ってだが、お前がここに来て1ヶ月。充分好きにやれただろう?」
響は低い声で言う。
「わ……私は勉強は……」
「将来どうするんだ」
「私……は……」
秋子の瞳が潤んだ。
「健常者のくせに……」
ふと、思わず口をついて出た言葉。その言葉に、秋子は響を睨み付けた。
「……あなたは、あの人達と、おんなじだ」
「は?」
響が秋子の言葉を汲み取る前に、秋子は言った。
「出てって……」
「おい……」
「出てってよ!!」
秋子は響を突き飛ばし、扉をバタン! と大きな音をたてて閉めた。
「……何なんだよ」
それから、秋子は響を徹底的に拒絶した。
衛芯がいる時は、楽しく笑っている。
だが、そこにまるで響がいないかの様に振る舞う。
料理も、ちゃんと響の分まで作ってくれる。
だが、響とは一切喋らない。
響のノックも無視する。
「(ああそうか。なら俺も好きに言わせてもらう)」
響は、たとえ無視されても秋子に話しかける様になった。その内容は……
「勉強もしないで遊ぶなんて、良いご身分なもんで。将来が楽しみだ」
「おーおー、健常者のくせに。働くつもりは無いんですかぁ?」
だいたいこんな内容を嫌味たっぷりに毎日毎日投げつけた。
それでも秋子は黙っていた。
そんな生活が、1年程続いたある日の事。
「響っ! 大変だ!」
衛芯がドタドタと響の部屋までやって来る。
「どうしたんだ?」
机に向かっていた響は、椅子をギイッと軋ませて衛芯の方を向いた。
「秋子が……帰って来ない……」