池
ここは、どこなの?
池の底から見えている遠く離れた水面は、光に反射してゆらゆらと揺れていた。
底に沈む彼女は、届かぬ水面へ向けて手を伸ばし叫んだ。
《助けてください…》
《気付いて下さい…》
──その声が、池の外へ伝わる事はなかった。
静かな池の底は、暗く冷たく、淋しい世界だった。
だが、遠くに見える水面のキラキラ反射する光だけは、彼女に希望を与えて続けていた。
《いつの日か、あの向こう側へ戻りたい。》
《そうすれば、誰かが見つけてくれるはず。》
《家族のもとへ帰れる。》
…そして、あの人の所へ
それから、どれだけの日が過ぎたのか池の水が温かく感じてきた。
季節が、夏になったのだろうか。
…水面が下がっている?
あれほど遠く、手を伸ばしても届きそうになかった水面が、私に近づいている事に気づいた。
…早く、早く
《もう少しで私は、この池の束縛から逃れられる》
…早く、早く、早く
──数日後、
夏の水不足はついに、池の水を完全に干上がらせた。
その干上がった池の真中に、泥で汚れた彼女の姿があった。
だが、彼女が待ち望んでいた池の外の世界は、鼠色が広がる寂しい所だった。
鳥も虫も鳴かず、動物の気配さえない。風が、木々の葉を揺らすこともなく本当に静かだった。
また、その世界は何日過ぎても変化を見せず、彼女が期待していた事も起きなかった。
彼女は、骨だけになった右手を太陽へ伸ばし涙を流した。
…寂しい…誰か…
やがて、秋の冷たい雨が降り始め池に水が戻ると、彼女は元の世界へ連れ戻されていった。
──もうすぐ、冬が来る
もはや、何も感じなくなった水面のキラキラ反射する光すら、見られなくなるだろう。
それでも、彼女は手を伸ばし続ける。
《助けてください…》
《気付いて下さい…》
ある日、彼女の前に死神が現れた。
──お前を此処から出してやろう。
…えっ?
──姿も元に戻してやる事も出来る。その代わりに…
……。
──私の言う事に従え。
……はい。
彼女は取引に応じ、彼氏の住んでいるアパートへ歩いていった。