9. 再婚のススメ
ここからシリアスな展開になります。
マリエッタ妃がいなくなって、少し王宮は寂しくなった。
彼女は華やかなものが好きで良くも悪くも目立ちたがり屋だったので、一気に静かになってしまった気がする。
エヴァンジェリン王妃のお腹の御子は順調に育ち、警備を強化するために王宮でのお茶会も制限された。
暇になってしまったバルバラは、エヴァンジェリン王妃の公務をいくつか代理で行うようになっていた。
その日は王都に隣接している伯爵領での孤児院の開設式に、ドルガン王のパートナーとして呼ばれた。
領主の伯爵は国王派で、孤児院は王家の公費によって建てられたのだという。あのミーガン子爵が色々指南したらしく、子供専門の医院も併設された立派なものだった。
式典は平穏に終わり、バルバラも何とか与えられた役目を果たして帰路につくことになった。
行きの馬車ではバルバラはドルガン王とは別の馬車に乗っていたが、帰りは国王の馬車で側近のフェリクスも加わって三人同乗での帰路となった。
「お疲れさまでした、第四側妃様」
珍しくフェリクスからねぎらいの言葉があった。
「あなたこそ。リード王国からのお客様相手に立派に立ち回っていたわね」
今回の式には、やや遠方の外国から招かれた貴族もいた。外国語に秀でたフェリクスが主に応対し、概ね良い評価を貰っていたようだ。
「フェリクスは本当に頼りになる。爵位を与えてこの国に永住してもらおうと思っている」
「まあフェリクス。あなたはそれで本当にいいの?」
「はい。色々考えましたが、両陛下の御代を近くでお支えしたいと思うようになりました」
フェリクスがこの決断をしたのは簡単ではなかっただろう。
彼とエヴァンジェリン王妃の運命を大きく変えたベルマン大公は、まだ王家の一員だ。
それでもエヴァンジェリン王妃はこの国で生きていくしかない。
「それでだな、バルバラ」
ドルガン王が改まった様子で口を開いた。
「そなた、フェリクスと結婚するつもりはないか?」
「……はい?」
思いっきり声が裏返ってしまった。
なんと馬車でのドッキリ見合いだったらしい。
フェリクスはあらかじめ知らされていたのか、真っ赤な顔をしている……いやいや、何で赤くなるの。
「王妃が無事に子供を産んで、それが男児であったならば、私は側妃全員の任を解くつもりだった。……マリエッタだけは自分から去ってしまったが」
「ええ」
「子供の性別を抜きにして、側妃の中で一番若いそなたは希望さえあれば降嫁させるつもりでな……実はすでに降嫁先の選定にも入っていたのだ。そうしたらその話を聞いたフェリクスが、そなたを妻に迎えたいと」
「え、えー……」
まじでか。
バルバラの反応に、フェリクスが眉を寄せる。
「嫌なんですか?」
「嫌というか……あなたこそ嫌じゃないの?私、あなたの足を何度もヒールで踏みつぶしているのに」
「思い出させないで下さいよ……」
ドルガン王が「お前ら何やってるんだ」とこめかみを押さえている。
そんなことを言われても、必要だと思ったから踏んだだけなのだが。
「あなたと一緒なら、楽しいと思いました」
「んん?」
「だって他にいないでしょう。初対面の男に啖呵を切って、足を踏む女なんて」
「んーー」
「その上ライバルのはずの正妻の相談に乗って、そのために閨の指南役まで探しに行くし」
「あー」
「あなたとならこの先の人生退屈しなさそうです。結婚して下さい」
もっかい足、踏んどこうかな……。
そんな物騒なことを考えていたバルバラだったが、馬車を降りるなりもたらされた知らせにそれどころではなくなった。
「王妃様が産気づかれました!」
ドルガン王とフェリクスと共に大慌てで王妃の部屋に向かったものの、邪魔だと産婆に追い出され、三人で部屋の前を右往左往する羽目になった。
十五時間にも及ぶお産がようやく終わり、元気な赤ん坊の泣き声が聞こえてきた時にはバルバラは腰を抜かしてしまった。
「元気な王子殿下です!!」
誰もが待ち望んだ待望の王子は、アーサーと名付けられた。
「ああああーーー。アーサー王子ぃ……なんてかわいいのぉ。世界一かわいいわあ」
アーサー王子が生まれてすぐ、バルバラは王子に会わせてもらった。
流石に乳母でもないのに抱くことはできず、ベッドで寝かされているのを眺めるだけだが、久々の赤ちゃんにバルバラは夢中だった。
前世での自分の子供たちを思い出す。残念ながら前世の自分も夫も美形ではなかったので皆平々凡々な顔立ちだったが、それでもやっぱり可愛くて愛おしかった。
ドルガン王に子供はまだいいと言ってしまったが、やっぱり赤ちゃんを見るとついつい生んでみたくなってしまう……お産の時は死ぬほど痛いけど。
アーサー王子は父親に似て金髪碧眼の、もう完璧すぎる赤ちゃんだ。
「おめめくりくり……。唇も可愛いわ。はあぁ……嘗め回したい」
「やめなさい」
「じゅるっ……あ、よだれが」
「食べる気か!!?」
アーサー王子に顔が緩みっぱなしのバルバラを、フェリクスがひやひやした様子で見張っている。
そもそも何でこいつがいるんだっけ?と首を傾げ……そしてびっくり馬車見合いのことを思い出した。
見合い見合い……こいつと結婚?
「あなた子供好きなの?」
「え?」
だらけ切った顔をしていたバルバラが急に真顔になったので、フェリクスは驚きで目を瞬いている。
「す、好きですけど。何ですか、急に?」
「私と子供を作れるの?」
「!!」
会話を聞いていたエヴァンジェリン王妃(実はいました)と乳母がぎょっとしている。
「あ、あーー……。つ、つつ作れますとも!」
フェリクスは半ばやけになったように言い返した。
「……そうなの」
バルバラは考えた。
こいつでもいいかな、と。
心の声を誰かが聞いていたら、失礼だ!と彼女を叱っただろうが、逆に声に出さなければバルバラは問題ないと思う。
フェリクスはバルバラと結婚したら退屈しなさそうだと言った。
その言葉が、なんだか急にすとんと落ちたのだ。
バルバラは王妃の部屋を辞すと、そのままドルガン王にフェリクスとの婚姻を進めてほしいと願い出た。
ドルガン王は少し悲しそうな顔でそれを了承したのだった。
アーサー王子が誕生し何か月か過ぎた。
ふにゃふにゃの赤ちゃんがお座りできるようになり、先日はハイハイするようになったとエヴァンジェリン王妃が嬉しそうに話してくれた。その頃には王子誕生のお祭り騒ぎも落ち着き始めている。
ある日公務を一段落させたバルバラは、第二側妃ユージェニーの御殿を訪ねていた。
ユージェニー妃に相談があると言われたためだ。
「よく来てくださいましたわ、バルバラ様」
「ユージェニー様。お招きありがとうございます」
型通りの挨拶をし、席を勧められる。
ユージェニーが侍女に下がるように命じ、部屋に二人きりになった。
「陛下に降嫁を勧められたわ」
開口一番呟くように言ったユージェニー妃に、バルバラはやはりその話かと思った。
アーサー王子が誕生してから、バルバラとは対照的にユージェニー妃は精力的に公務を手伝うようになっていた。
特にまだ産後で休暇中の王妃に代わり、女官と侍女の管理は彼女が主に担うようになっている。
王宮を離れたくないがゆえに仕事に積極的になったのかもしれないと思っていたが、どうやら当たっていたようだ。
「お相手とのお見合いは?」
「……まだよ。気持ちの整理がつくまで待ってほしいとお願いしたわ」
「そうでしたか」
「あなたは、バルバラ?あなたにも降嫁の話はあったのでしょう?」
「え、ええと……その……」
ありました。
だが相手が相手なので言い淀んでいると、ユージェニー妃は別に解釈したらしい。
「そう、そうよね……。陛下があなたを手放すわけないわ」
「え?」
「陛下が本当に好きなのはあなただもの」
「は、はい!?そんなわけないじゃないですか!おかしなことを言うのはやめてください」
「気づいていないの?確かに陛下は今は王妃様を大事になさっているわ。それは王子を産んだからよ。でも女として愛しているのはきっとあなたよ」
「まさか……そんなはずはありません」
「悪いことは言わないわ。ギース公爵様という立派な後ろ盾があるのだから、今のうちに陛下から離れるべきよ。このまま王宮にいたら、陛下の執着が強くなって面倒なことに巻き込まれると思うわ」
そのあとユージェニー妃と何を話したのか記憶にない。
気づくとバルバラは部屋に戻っていた。
そのままぼんやりしていると、陽が傾きかけた頃になってからフェリクスが訪ねてきた。
表向きは国王の伝言を預かって来たことになっているが、その実は国王公認の交流だった。
数週間前に子爵位を賜る予定のフェリクスとバルバラが結婚することが内々に決まり、新しい領地での政策などで何度も打ち合わせをしているのだ。まだ国王夫妻と上層部の一部しか二人の関係を知らない。
だがそれも一か月半後に控えたアーサー王子の一歳の誕生日パーティーまでで、その際に吉事としてバルバラとフェリクスの結婚を正式発表することになっている。発表後そのまま婚姻届けが出されることになっているので婚約も正式には結んでいないのだ。
いいのか?と思わなくもないが、そもそも側妃になった時も結婚してるんだっけ?あ、してたかーみたいなノリだったので、もう気にしないことにしていた。
「何かあったのか、バルバラ?」
すっかり口調が砕けたフェリクスが、様子のおかしいバルバラを慮る。
バルバラはユージェニー妃に言われたことを、そのままフェリクスに話した。
「ユージェニー妃がそんなことを……」
「私、驚いてしまって」
だが確かにバルバラを初めて妻にした夜、ドルガン王はバルバラに惚れたと言った。
その直後の彼の技術の下手さにそれどころではなくなってしまっていたのだが、そういえば告白されていたのだ。
「彼女の言っていることは当たっていると思うよ。ドルガン王は君のことが好きだ」
「……」
「でも、アーサー王子を授かって、エヴァンジェリン王妃の夫になる覚悟ができたんだと思う」
だからこそ、バルバラに真っ先に降嫁の話をしたのだ。
彼なりにどこかで心のけじめをつけたかったのかもしれない。
「結婚しよう、バルバラ」
「前にも聞いたわ」
「何度でも言う。俺と結婚しよう、きっと俺たちは幸せになる」
「きっとって何よ。絶対にしなさいよ」
素直になれないバルバラにフェリクスが苦笑する。
「俺たちは燃え上がるような恋はできない」
「……」
「でも、信頼し合えるよ。そして二人で一緒に歩いて行ける。きっと……いや、絶対に楽しいよ」
そう言って差し出されたフェリクスの手を、バルバラは取った。
そしてフェリクスと初めてのキスをした。
そうだ。
確かに恋はできない。
でも愛ならば育んでいけるだろう。
王宮を去って、彼と王都のタウンハウスに住んで。
そしてタウンハウスと領地を行き来する生活を送るのだ。
いつかは子供も生まれるかもしれない。
仮に恵まれなくとも、彼とならば……。
そう思っていたのに。
まさか、まさかあんな事件が起こるなんて……!
上手く話を切れなくて、この一話に色々詰め込んでしまいました。
ここだけで丸一年経っています。
バルバラとフェリクスの関係も急に進んだわけではなく、お見合いからほぼ婚約状態になるまでに10か月かかっていて、その間は意識はし合っているもののただの同僚関係でした。