4. 王妃と王妃の従者のハードな過去
エヴァンジェリン王妃の部屋を訪問してから一週間ほど経った頃。
バルバラはいつものように部屋でだらけに来たドルガン王から思わぬ話を聞いた。
「あのフェリクス卿が陛下の側近に?」
「ああ。最初は従僕にしてくれという話だったのだがな。使ってみたら外国語は六か国も話せるし、数字には強いし事務処理も早いしで期間限定で側近に加えることにした」
「王妃様はご存じなのですか?」
「王妃はフェリクスに祖国に帰るよう強く言ったようだ。……聞いたぞ、君が一喝したんだって?」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。フェリクスに関しては王妃も私もどう対処していいか悩んでいた」
そもそも当時王太子だったドルガンに輿入れすることになっていたのは、エヴァンジェリン妃の一つ下の妹姫だったらしい。
しかしいざ蓋を開けてみれば、嫁ぐのはエヴァンジェリンに代わっていた。
婚約が内々のものだったので、バルバラを含めほとんどの貴族たちが最初からエヴァンジェリン妃が嫁ぐことになっているのだと思っていたが……なんととある貴族令息がエヴァンジェリン妃の妹に横恋慕し、護衛の隙をついて彼女を襲うというとんだ事件が起こっていた。
「王女とその令息を引き合わせたのはフェリクスだったらしい。スーラン王国の貴族の子女が通う学園で親交を深めていたようだ」
フェリクスは事件を知って愕然とした。
その令息は事件当日、フェリクスの名前を使って妹王女を呼び出し、学園の一室に閉じ込めた。
侯爵家の嫡男でスーランの王太子の側近になることが確定していたフェリクスの名前はかなり便利だったことだろう。
しかもフェリクスは令息が自分の名前を使うことを気軽に許し、家の紋章が刻まれたアクセサリーまで貸していたのだ。
確かに責任を感じてもらわねば困る。絶対フェリクスのせいだ。
幸いその令息の異様な雰囲気に気づいていた侍女が妹王女を見失うなり騒ぎ立て、最悪の事態になる前に王女を助け出すことができた。
しかし事件をなかったことにするのは難しい。さらに妹王女は事件がきっかけで男性を怖がるようになってしまい、とても他国に嫁がせることができなくなってしまっていた。そうして急遽姉のエヴァンジェリン王女にお鉢が回ってきたという経緯だったらしい。
気の毒なことにエヴァンジェリンは幼い頃からの婚約者と結婚間近だったというのに、無理矢理婚約は解消されてしまった。
エヴァンジェリン王女は国内で侯爵夫人になる予定だったため王妃になるための厳しい教育を受けずに来たし、もともと大人しい性格で、事件がなければ彼女の両親も他国に出すつもりはなかったようだ。
だというのに急に結婚間近の婚約者と引き離され、他国に次期王妃として嫁がされた彼女の胸中はいかばかりだろうか。
もちろんそれだけだったならば婚約者の交代はあちらの国の事情であり、ドルガン王や大臣たちはエヴァンジェリン妃に気を遣うことなどなかっただろう。
しかし妹王女を襲った貴族令息というのが……。
「ベルマン大公なんだ」
「うち(サヴィル王国)の大公?え、マジですか?」
「……マジだ」
ベルマン大公は、サヴィル前国王の歳の離れた弟にしてドルガン王の実の叔父君だ。
まさかの身内!!
成人するまで見聞を広めるために他国に留学していたと聞いたことがあるが……エヴァンジェリン妃の祖国だったとは。
フェリクスがつい名前を貸してしまったのも、留学していた他国の王子だったのならば納得がいく。
そして甥の婚約者を襲うという暴挙を犯しておきながら大きな罰を受けることもなく、今ものうのうと大公をやっているということか。
なるほど、ドルガン王や大臣たちがエヴァンジェリン妃に気を遣うはずである。
そしてフェリクスがこの国の貴族に敵意を向けている理由も理解した。
だがベルマン大公を大々的に罰すれば、襲われた妹王女の醜聞まで周囲の国に広まってしまう。
前国王は身内に甘い処分を下したのではなく、むしろ被害者の方の将来を気遣い、ベルマン大公を国内に縛り付け監視をきつくするに留めたのだ。きっと前国王が今も健勝だったのならば、ベルマン大公は折を見て毒杯を賜っていたはずだ。
しかしドルガン王太子とエヴァンジェリン妃の結婚の直後から前国王は急激に体調を崩してそのまま回復することなく亡くなった。子供を為せる可能性がある王家の直系はドルガンとベルマン大公だけになり、ベルマン大公の処分は棚上げされてきたのだ。
ちなみに今のベルマン大公は国内で大した役職を持っておらず、大公でありながら王都外の別荘に引き籠っていると聞いている。
病を得ているという噂もあったが、実質半幽閉状態だということか。
厳しい監視のもと、慎ましい暮らしをしているのだろう……少なくとも、今は。
変わったのはフェリクスだけではなかった。
フェリクスがドルガン王の側近になったと聞いてしばらくして、比例するようにエヴァンジェリン王妃も外の公務に参加することが増えたのだ。
情緒不安定気味だったフェリクスと距離を置いたことで、エヴァンジェリン王妃も外に意識を向けるようになったのだろう。
リンダ妃の嫌がらせがなくなってから初めての他国からの賓客との会合は、大成功と言っていいほど上々の結果だったそうだ。
……ということをご本人からの報告で聞いている。
現在進行形で。
「全てバルバラ様のおかげですわ。宰相殿に初めて褒められましたし、陛下とは公務をきっかけに何気ないお話をする機会も増えました」
「そうですか……それは良かったですわ」
やって来ました王妃様。
すっかりフットワークが軽くなり、気軽にバルバラの部屋をご訪問中である。
ただ先日の王妃の部屋でのやり取りを開口一番に謝罪され、バルバラは内心ほっとしていた。
あのまま王妃との仲がこじれることも懸念していたのだ。
「バルバラ様の言う通りでしたわ。陛下には何の落ち度もないのに、私は心に壁を作っていたのですね。フェリクスにも悪いことをしてしまいました。彼がこの国に同行したいと申し出た時に断るべきでしたのに、あまりに突然のことで心細くて頼ってしまったのです」
「ご婚姻の経緯は陛下から伺いましたわ。フェリクス卿が王妃様を心配するのは致し方ありませんが、私は彼が元凶の一つだったと思わざるを得ません」
奴はもっと反省するべきだ!
「そうかもしれません。……でも彼は祖国の王太子の側近になり、いずれは侯爵家を継ぐはずでした。でも若い頃の一度の失態で、全てを投げうって贖罪をしているのです。それを拒否するのはあの時の私には難しかった」
「そうですか。……まあフェリクス卿は一人で勝手に出世するでしょう。しばらく放っておきましょう」
フェリクスはいまや水を得た魚のように仕事をこなしているらしい。
ドルガン王との相性も悪くないようだ。
お菓子も運ばれて打ち解けたところで、バルバラは侍女たちを下がらせた。
彼女には何としても遂行したいミッションがある。
いずれ王妃を訪ねるつもりだったので、彼女から関係改善を図ってくれた今がチャンスだった。
「王妃様、あなたは国王陛下の御子を授かりたいと今でも思っていらっしゃる……間違いありませんね?」
「ば、バルバラ様?どうしたの、急に……」
「お答えください、大事なことなのです」
「……も、もちろん思っています。流されるようにこの国に嫁ぎましたが、私も王族に生まれた女です。嫁いだ以上は夫の血を次代に繋げることが一番の役目と思っております」
バルバラはゆっくり頷くと、エヴァンジェリン王妃の緑の瞳をのぞき込んだ。
「王妃様、かなり赤裸々な質問をします。全て私の胸一つにしまっておきますので、どうか信用して正直にお答えください」
「わ、わかりました」
「月のものはきちんと来ておりますか?」
「は!?」
「大事なことです!」
「き、き、きてますけど……」
「来た日を記録しておりますか?」
「す、するわけないでしょう!?」
「しなくては駄目です」
「そうなの?」
「御子が欲しいんですよね?」
目をかっ開いたバルバラにずずいっと迫られ、エヴァンジェリン王妃は仰け反りながらも何とか首を縦に振る。
「最後に来たのはいつですか?」
「お、覚えてないわ……」
「侍女なら覚えているでしょうか」
「かもしれないわね。月のものが来ると色々と準備するものがあるから」
「では侍女に聞いて、来た日と終わった日を記録して下さい。今後もずっとやるんですよ?」
いいですね!?と念を押すと同時にバルバラの赤い瞳がかっ!と光った……ような気がした。
エヴァンジェリン王妃は分かりました、と素直に頷く……もはやどちらが王妃なのか分からない。
「それから食事の記録を拝見しましたが、肉が少ないです!もう少し体力をつけるように」
「コーヒーと紅茶の飲み過ぎは良くありません。どちらも一日三杯まで!」
「食事は毒見があるので仕方ありませんが、せめて飲み物は温めるように。体を冷やすのはいけません」
「それから……」
「あとは……」
いくつかアドバイスをして、終わったころにはエヴァンジェリン王妃は魂が抜けたようになっていた。
ちょっと可哀想だが、彼女には無事にドルガン王との御子を授かってもらわねば困る。
バルバラが一番困るのが、ドルガン王が子供がいないことを理由に譲位を迫られることだ。
まさかそんなことで……と思われそうだが、ないとも言い切れない。
現在第一王位継承者が、あの強姦野郎ベルマン大公なのだ。
ちなみに第二位の公爵は独身を貫いたまま50歳を過ぎ、第三位以下は血筋が遠すぎてわんさかおり、逆に内紛の火種になりかねない。
そしてベルマン大公は甥と歳が近いとはいえもう36歳、ドルガン王が駄目ならば彼に良家の妻を宛てがって王家の子供を増やそうと言い出す大臣がそろそろ出てくるかもしれない。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、彼のやらかしから八年近く経っているのだ。
というか、二十代後半で留学していたのか……やらかす前から王家はベルマン大公を持て余していたようだ。
もし万が一にでもベルマン大公が王位に就くようなことがあれば、後ろ盾のないバルバラのお先は真っ暗だ。
なので絶対エヴァンジェリン王妃に御子を産んでもらい、ドルガン王の治世を確固たるものにしてもらいたい。
そしていずれは悠々自適のぐーたら年金生活を送るのだ。
なのでバルバラはエヴァンジェリン王妃にこの考えを説明した……もちろん自分のぐーたら計画の件は省いたが。
するとエヴァンジェリン王妃の目にみるみる生気が戻っていく。
「分かりました。今の教えを実践します」
ベルマン大公は彼女の妹を傷つけ、大した罰も受けずにいる。
そんな現状すら腹立たしいのに、夫を差し置いて王になるかもしれない。
エヴァンジェリン王妃にとって許しがたい事態だろう。
「私は信用できる医師を探しておきます。頃合いを見てお体に異常がないか調べていただきましょう」
「分かりました」
エヴァンジェリン王妃は力強く頷いた後、その緑の瞳でひたとバルバラを見返してきた。
「バルバラ様、バルバラ様はどうしてここまでして下さるのですか?」
「ドルガン様を大事に思っているからです。ドルガン様のためには、王妃様のご協力が必要です」
しれっと麗しい理由を述べる。
全く嘘じゃないです。バルバラのぐーたら生活のためにはドルガン様が必要なんです。だから大事にしますよ?
「ご自分が御子を授かりたいとは思わないのですか?」
これは初夜の日にドルガン王にされた質問と同じだ。
「子供は好きです。だからいつかは産みたいと思っています……。ただ私は侯爵家の娘でありながら家族に虐げられ、後ろ盾はあってないようなものです。今の状態で陛下の御子をなせば、皆を不幸にしてしまうでしょう」
「まあ……」
「それに私はベルマン大公が許せません!か弱い女性を手籠めにしようなどと、女の敵ですわ!!そんな男が王になればこの国は終わりです」
ベルマン大公への感情は本物だ。
もっと権力を手に入れたら、不能になる薬を手に入れて幽閉中の奴の食事に混ぜるくらいのことはしたい。
だがそれ以上に、エヴァンジェリン王妃に味方なんですよーとアピールする必要があった。
「王妃様!王妃様が御子を授かれるまで全力でサポート致します。どうか二年……いえ、一年でいいので私を信じていただけませんか?」
「バルバラ様。……ありがとうございます。私の方こそよろしくお願いいたします」
こうして王妃様のハッピーベイビーカモン計画(バルバラ命名)がスタートした。
とはいえこれだけでは不十分だ。
前世の知識があるバルバラは知っている。
不妊の原因は、意外と男性の方だったりする事実が多いことを。