12. 笑顔の裏の悪意
エヴァンジェリン王妃の葬儀から、二ヵ月が経った。
人事やら公務やらと忙しくしていたバルバラの下に、珍しく来客があった。
第一側妃だったマリエッタ・マーズ侯爵令嬢だ。
「忙しいのに押しかけて悪かったわね」
手土産を侍女に預けたマリエッタが、用意された席に座る。
バルバラも席に座り、紅茶とクッキーが用意された。
「こちらこそ。お誘いを随分前にいただいていたのにこんな時期になってしまって……」
「いいのよ。アーサー王子はお元気?」
「はい。先日は三歩も歩けたんですよ」
「もう歩くの?子供の成長は早いわね」
紅茶を飲みながら、しばらく雑談する。
「マリエッタ様の結婚式に参加できなくて残念です」
「そ、そう?」
マリエッタが少し上ずった声を出す。
彼女は伯爵家の嫡男との結婚を半年後に控えていた。
五歳も年下の令息に一目惚れされ、怒涛の勢いで口説き落とされたらしい。とはいえまんざらでもないらしく、側妃だった時より明らかに雰囲気が柔らかくなっていた……幸せなのだろう。
バルバラもマリエッタの花嫁姿を見たかったが、まだ王宮を出るのは危険だと式の参加を宰相に却下されてしまっていた。
「そういえば、ベルマン大公に情状酌量を与えるべきだという意見書を却下するのにご実家が尽力して下さったとか……誠にありがとうございます」
「え、あ、……ええ。臣下として当然です」
マリエッタはベルマン大公の名前が出た途端、少し歯切れが悪くなった。
王妃殺害事件の黒幕の侯爵家は当主と嫡男、前当主夫妻の処刑が決まったが、ベルマン大公の処遇はかなり揉めた。
ベルマン大公は今回の企みではほとんど何もしていなかったためだ……小賢しい男だ。もし侯爵家が失敗しても火の粉を被らないように、報告だけ受けて己の手は汚さなかったのだ。事件に深く関わっておらず、王族の血を色濃く引いている彼を死罪にするのはいかがなものかという意見もあったのだが、それをギース公爵とマリエッタの実家のマーズ侯爵家が様々な方面に呼びかけて抑え込んだ。そしてエヴァンジェリン王妃の祖国からの圧力が駄目押しになり、ベルマン大公にも毒杯が与えられることがほぼ確実になっている。
実はマーズ侯爵家もベルマン大公を生かしておいた方がいいという意見に傾いていたのだが、ドルガン王のブチ切れっぷりに気づいたマリエッタが死に物狂いで当主の父を説得したのだ。もしベルマン大公に味方しようものなら、マーズ侯爵家まで粛清の対象になっていたかもしれない。それくらいその時のドルガン王は瞳孔開きっ放しの覚醒状態だった。
「あー、その……。国王陛下のご様子はいかがかしら?」
マリエッタの疑問を正確に察したバルバラは苦笑する。
「もうほとんどいつもの陛下に戻っていますよ。ベルマン大公とユージェニーの処遇もほぼ決まって、なんだか憑き物が落ちたみたいになっています」
「ユージェニー……。彼女は北の山の修道院に送られるようね」
「ええ。でも……拷問で受けた傷が深いようですから。一年持てばいいでしょう」
「……因果応報ね」
ユージェニーは死罪にはならなかった。
北の山岳地帯にある、罪人ばかりが送られる修道院という名の罪人収容所に送られることになったのだ。そこは洞窟のようなところに檻が作られ、夏は日差しが照りつけ、冬は寒風が吹き付ける過酷な場所だ。
拷問ですでに体がぼろぼろになったユージェニーには、死にに行けと言われたようなものだろう。
「聞いたわよ。ユージェニーの二度の流産は、本人が堕胎薬を飲んだんですってね」
「……ええ。己の欲望のために他人のみならず我が子すら利用するなんて、恐ろしい人だったのですね」
拷問されたのはユージェニーだけではなかった。ユージェニーの専属の侍女、そして実家の子爵夫妻も厳しい取り調べを受けた。
そして分かったのは、ユージェニーは側妃になった時にはすでに乙女でなかったということだ。ユージェニーは性に目覚めるのが早く、男遊びが好きで社交界にデビューしてすぐに純潔を失っていた。欲望のまま男から男を渡り歩き、やがて誰が父親かわからない子を妊娠してしまったらしい。
それを隠したまま国王の側妃に手を上げ、純潔を調べる医師を買収して王宮に潜り込んだ。しかし子供の髪や目の色などで不貞がばれることを恐れ、自分から堕胎薬を飲んで子供を流したのだ。二度目の妊娠もドルガン王との閨では満足できず、実家に里帰りした際に親が用意した男と密通した末のことだった。王宮に戻った後にやはり同じ理由、同じ方法で子供を流している。そのうえ子供が流れた後は、王妃と第一側妃が毒を盛ったのだと噂を流し、周囲の同情を買うなど抜け目がなかった。
儚げな印象を裏切る、とんでもない淫乱悪女だったのだ。
「ユージェニーは、手引きした暗殺者がアーサー王子を殺した後、どさくさに紛れて王妃を自殺に見せかけて殺すつもりだったようです」
「人事を掌握していたんだもの。できると信じていたんでしょうね」
「そして罪を全て私に被せ、自分が王妃になる……。ドルガン王との間に子供ができなければ、また男を引き入れるつもりだったのでしょう」
「不貞をして、王家乗っ取りをしようとしていたのは、他でもないユージェニーだったのね」
自分が考えていたことだからこそ、バルバラを陥れる際はすらすらと嘘が出てきたのかもしれない。
「マリエッタ様、もしかして……ユージェニーの本性に気づいていました?」
「うーん、気づいたというか、おかしいと思ったことはあったわ」
「どのような?」
「第三側妃だったリンダが修道院に送られた後のことよ。リンダの周りをうろちょろしていたメイドが、ちゃっかりユージェニーの侍女になっていたのに気づいたわ」
「……」
「リンダは王妃様を嵌めて側妃を辞めさせられたけど、もしかしてユージェニーが裏で何かしたんじゃないかってその時は思ったの。何の確信もなかったけど」
リンダが王宮を追い出された主な理由は、王妃を公式の会合に遅刻させて国益を損なわせたことだ。
しかしそれが、ユージェニーの入れ知恵だったとしたら。
「リンダはあの時あそこで退場して良かったのかもしれないわね。下手に側妃の座にしがみついていたら、バルバラの代わりに王子暗殺の首謀者に仕立て上げられたんじゃないかしら」
そうしたら、王妃になるというユージェニーの企みは成功していたかもしれない。リンダだったら王妃の座を狙っているという動機も成立して、ドルガン王はあっさり騙されていたことだろう。
バルバラのおかげでリンダは修道院に入るだけで済んだとも言える。
「そうでしたか……」
「ユージェニーはいつ修道院に送られるの?」
「三日後の予定でしたが、実は昨日のうちに王宮を出ています」
「え!?」
「ドルガン様は、一分一秒でもユージェニーがこの王宮にいるのが嫌だったみたいで」
「そ、そう……。ユージェニーと何か話した?」
「いいえ。……あんな卑怯な人と、何も話すことなんてありませんもの」
「そういうのって、普通最後にびしっと説教して反省の心を引き出してやるものじゃないの?」
「マリエッタ様、小説の読み過ぎですよ。『君子危うきに近寄らず』と言うでしょう」
「……?」
実際、ユージェニーの旅立ちは淡々としたものだったらしい。
ユージェニーは立つことさえ困難な体で必死にドルガン王の姿を探したが、王はもちろん知り合いの誰も彼女を見送ることはなかった。冷たい目をした兵士と監視の役人だけが彼女の見送りに立ち会った。
ユージェニーはドルガンの名とバルバラへの罵倒を叫びながら護送用の馬車に家畜のように押し込められ、無情に運ばれていったという。
お茶会を終えたマリエッタを見送ると、バルバラは侍女たちにテーブルを片付けさせた。
バルバラが側妃になってからこれまで住んでいた部屋にはもはや調度品はおろかベッドにシーツも敷かれておらず、がらんとしている。バルバラがこの部屋を使うのは、今日が最後だった。
王妃は亡くなり、第一側妃は自ら王宮を辞した。そして第二側妃と第三側妃は罪を犯してその地位をはく奪された。最後まで残った第四側妃も、今日を限りに役目を辞すことになる。
側妃のための御殿を出たバルバラは、そのまま王妃の御殿に入る。
いくつかの調度品とカーテンだけ取り替えたその部屋が、今日からバルバラの住まいとなるのだ。