10. 凶行
アーサー王子が誕生して、一年が経った。
今日はアーサー王子の初めての誕生日のお祝いだ。
バルバラは王宮で行われる誕生会の準備に大わらわになっている。
最後の方に行われるフェリクスとの結婚発表の時だけは会場に顔を出すが、ほとんどは裏方だ。
外国からの賓客、そして自国の貴族は伯爵以上でかつ国王夫妻と宰相が厳選した家の者のみが招かれる。
かなり絞られたとはいえ会場には50人近く、会場に入れない彼らの従者や護衛も含めると200人以上の人間が王宮に入ることになった。
これを機に良からぬことが起こらないよう、こちらも兵を各場所に配置し、会場には変装した警邏も紛れていたのだが。
……それでも事件は起こってしまった。
バルバラがその凶報を聞いたのは、最後の結婚発表に出るためのドレスを着終えた直後だった。
「バルバラ!バルバラ!!」
会場で待っていたはずのフェリクスが飛び込んできたのだ。
「フェリクス?いったいどうし……血だらけじゃないの!大丈夫なの!?」
「私の血じゃない!私じゃないんだ……」
フェリクスの服には血が付いており、着替えを手伝っていた侍女たちが真っ青な顔をしている。
しかしよく見れば血は手の平を中心についていて、確かに彼のものではなさそうだった。
フェリクスは唖然としているバルバラに近づき、その手首をつかむ。
「フェ、フェリクス……」
「来てくれ、バルバラ。王妃様が君を呼んでいる」
バルバラが連れて来られたのは、会場のすぐ裏にある国王夫妻のための控室だった。
扉を開ける前から聞こえてくるアーサー王子の泣き声に、とりあえずほっとする。
しかし部屋の中に入ると、むっとする血の匂いが鼻を突いた。
用意されたソファに、ドルガン王がエヴァンジェリン王妃を抱きかかえて座っていた。
二人とも血まみれで……そしてあろうことか、王妃の背中には短剣が突き刺さっていた。
「……っ」
バルバラは理解した瞬間、床に崩れ落ちる。
ああ、彼女は死ぬのだ!
「バルバラ……来てちょうだい……」
エヴァンジェリン王妃が、色が抜け落ちて真っ白になった手を僅かに動かした。
バルバラは震える足を何とか叱咤して、ふらふらと国王夫妻に近づく。
部屋には兵や宰相の姿もあったが、誰もが彼らの様子を沈痛な面持ちで見守っていた。
エヴァンジェリン王妃はもう手遅れなのだろう。
背中に刺さったままの短剣を抜かないのは、逆にそれが血止めの代わりになっているからだ。
バルバラと会話をするほんの短い時間のために、エヴァンジェリン王妃が短剣を抜くことを拒否したと思われた。
「お、王妃様……」
「ああ、バルバラ……。アーサーをお願い……あなたにしか頼めないわ」
「王妃様……」
「守ってあげて。愛してあげて。お願いよ……」
バルバラが何と答えたらいいのか迷っていると、エヴァンジェリンの瞳がぐらぐらと揺れた。
「エヴァ!!しっかりしろ!」
「王子殿下をこちらへ!」
慣れない手つきでアーサー王子を抱いていた侍女が慌ててこちらに歩み寄る。
バルバラはとっさにエヴァンジェリン王妃の手を取り、アーサー王子の頬に当てた。
それまでぐずっていたアーサー王子がぴたりと泣き止み、エヴァンジェリン王妃の目にも僅かに力が戻る。
「おお、アーサー……」
アーサー王子は求めていた母親に会えたからか泣き顔から一転、にこにこと笑っている。
「あなたに会えて、母様は幸せだったわ……もっと一緒にいたかった……愛しているわ……」
それが王妃の最後の言葉だった。
エヴァンジェリンは一歳になったばかりの息子を残し、28歳の若さで息を引き取ったのだった。
「どうして……王妃様……あなたの幸せはこれからなのに」
バルバラはそのあと、会場で起こったことを聞いた。
狙われたのはアーサー王子で、エヴァンジェリン王妃の他に王子の乳母と護衛の騎士も犠牲になっていた。
まずどこからか閃光弾と催涙ガスを発生させるものが投げ込まれ、会場が混乱状態になった。
ドルガン王が賓客のもてなしをするために王妃と王子から距離を置いた瞬間を狙われた。
おそらく客に扮して会場に紛れていた暗殺者は、まずは王子の護衛の騎士二人の首を掻っ切った。
異変に気づいた乳母が王子に覆いかぶさり、その彼女も首を切られて殺された。
そしてまさに短剣が王子を貫こうとしたとき、エヴァンジェリン王妃がその背中に王子を庇ったのだという。
閃光弾と催涙ガスが投げ込まれてから一分にも満たない時間の中で起きた凶行だった。
王子を仕留めそこなった暗殺者はあっさりと逃げた。
すぐに警邏と兵が追ったのだが、上手く逃げおおせてしまった。
城内に協力者がいたことは間違いない。
ドルガン王は警邏を全て投入し、会場で起こったことを把握しようとした。
エヴァンジェリンの死を無駄にしないためにも一刻も早く下手人を捕まえ、黒幕を明らかにしなければならない。
そしてアーサーの身の安全を確固たるものにしなくてはならないのだ。
たとえ下手人でなくとも貴族籍にある者は全員容疑者だった。
当然中にはバルバラも含まれている。
調査が進められる中、ドルガン王のもとにある報告がもたらされた。
下手人と思われる男が名乗っていたのは、トレド・バスカヴィル子爵……バルバラの縁戚だった。
もちろん本物のバスカヴィル子爵は犯人ではない……そもそも彼のもとに誕生会の招待状は届いていなかったことが分かった。
バスカヴィル子爵もバルバラとの縁はほとんど切れているし、身分は子爵なので招待状が来ないことを全く疑問に思っていなかったようだ。しかしドルガン王はこれから降嫁するバルバラの味方は多い方がいいと、彼女の了承も得たうえで子爵に招待状を送っていた。
それが利用されたか、あるいは……そもそも送られていないか。
警邏がさらに調べると、バスカヴィル子爵への招待状は確かに王城を出たことになっていたが、配達人は受け取っていなかったのだ。配達の記録を見ると、招待状の数が一つ減っていた。王宮の中の者がバスカヴィル子爵への招待状を抜き取り、配達人には一つ少ない招待状の数を伝えたと思われた……招待状の手配をしたのはバルバラだ。
バルバラに疑惑が向けられる中、ドルガン王の元を訪れたのは第二側妃のユージェニーだった。
一夜明け、事件から半日経っている。
「此度のこと、まことに残念でなりません」
ユージェニー妃は悲痛な表情で話し出す。
「幼い王子殿下を残し、王妃様はさぞご無念でしたでしょう」
「……ああ。私もそう思う」
ドルガン王はそう言いながら、ちらりと彼女の後ろに視線をやる。ユージェニー妃は彼女の専属侍女の他に、王宮メイドらしい娘を連れていた。
「何か報告があるとか」
「はい。まことに残念ではありますが……王宮内に、賊を招き寄せた者がおりました」
「その娘が何か関係あるのか?」
ユージェニー妃は頷くと、メイドの娘に「お話しなさい」と命じた。
「あ、あの……」
「構わぬ。直答を許す」
「は、はい。私、その、……四日前です。第四側妃様が王宮の厨房に近い廊下で貴族の身なりをした男性と話し込んでいました。話の内容は聞こえませんでしたが、第四側妃様が侍女を連れていらっしゃらなかったので、気になって覚えておりました」
「……続きを」
「あ、あの会場に……私も給仕手伝いとして働いていました。第四側妃様と話し込んでいた貴族の男性が会場にいらしたのを間違いなく見ました。そのあと……あの事件があって……」
「事件の時、その方は何をしていた」
「会場の隅で使い終わった皿やグラスを積んでおりました。ちょうど洗い場に運ぼうと台車に近づいたところで視界が眩しくなって……。そのあとは、同僚や貴族の皆様と一緒に同じ部屋に」
筋は通っている。
確かに事件の後会場は一度封鎖し、その場にいた者は貴族も使用人も関係なく、同じ部屋に一度集めて警邏が聴取した。
「そこで何かあったのか?」
「いいえ、そうではなく。聴取が全て終わり、警邏の方のお話を聞いていた時です。気が付いたのです……第四側妃様と話していたあの男性がその部屋にはいませんでした」
「……」
聴取の時点で、暗殺者はバスカヴィル子爵を名乗ってたことが分かっている。
だが代替わりしたばかりの子爵はあまり顔を知られておらず、暗殺者は髪の色くらいしか偽装しなかった。つまり暗殺者はそのままの顔で犯行に及んだのだ……素顔を知られてもいい、つまりすぐ国外に逃亡するつもりだったのだろう。それにあまりに顔を作り込んで、暗殺する前に違和感が出て目立つのを避けたと思われる。
実際、会場の参加者は子爵の顔を全く覚えていなかった。観察するのが仕事な警邏が何人か辛うじて覚えていて、本物と顔が違うと断言したのだ。
「その男の特徴は覚えているか?」
「髪は茶色……目は水色か灰色のような薄い色だったと思います……鋭い目つきの人でした。歳は三十代くらい、背は平均くらいで、胸が厚くて逞しい体つきでした」
「報告と大体合っているな……」
「あ、あの……。私、恐ろしくて……。すぐにご報告できなくて申し訳ありませんでした。どうしていいのか分からなくて、第二側妃様の侍女の方に相談したのです」
王妃が亡くなり、第四側妃が犯人を手引きした可能性がある。
それで第二側妃を頼ったのだろう。
―――本当に?本当にバルバラがこんな恐ろしいことを?
にわかには信じられなかった。
エヴァンジェリンの懐妊と、アーサーの誕生を誰よりも喜んでくれたのはバルバラだった。
だが状況証拠は全てバルバラを指している。
足りないのは動機くらいだ。
初めて会った時から、彼女は不思議な人だった。
ドルガンが閨の時間を苦痛に感じていることを言い当て、自分と一緒の時は何もしなくていいと部屋を明け渡してくれた。
その空間は心地よくて、次第に彼女に強い信頼と好意を寄せるようになった。
だが彼女は王妃が子供を最初に産むべきだという主張を崩さず、全てを解決するために奔走してくれた。
だというのに、この二年の全ての彼女の功績を自身の手で覆すようなことをするのだろうか。
もしそうだとしたら、何が彼女を変えたのか……。
思考にふけるドルガン王をしばらく見ていたユージェニー妃だったが、やがて侍女とメイドの娘を部屋から出した。
そしてゆっくりと口を開く。
「陛下、実は第四側妃様のことでもう一つご報告が……」
ユージェニー妃の報告を聞いたドルガン王は、今度こそ驚愕で言葉を失うのだった。
あと2、3話で終わる予定です。
重々しいのはここだけで、次話からはもう少し軽快さが戻ってくると思います。