1. 側妃になったけど、別に愛さなくていいですよ?
王宮の豪華な部屋の一室。
侯爵家から嫁いだバルバラは、今日から夫となった男と挨拶を交わしていた。
「バルバラ嬢、よく来てくれた。今日からよろしく頼む」
「私を受け入れて下さり感謝します、陛下」
そっけない。
そっけなさすぎる挨拶だ。
そしてこれで結婚の儀式終了だ。
普通の令嬢ならここで心が折れそうなものだが、無理もないとも言えた。
そもそもバルバラは正式な妻ではない。
相手は国王で、そしてバルバラはその側妃なのだ。
しかも末席の四番目、正妃も含めるなら五番目の妻ということになる。
側妃なので結婚式はなく、書類にサインしただけで婚姻契約は為された。
周囲に祝福されることもなく、これからひっそりと初夜が始まろうとしている。
「それでは……」
もう初夜も五回目なら慣れたもんなんだろう。
バルバラよりも10歳以上年上の国王は緊張することもなく衣服に手をかけた。
「陛下、ちょっとお待ちになって下さい」
「ん?」
「お話があるのです。初夜の儀式はその後にして下さいませんか?」
「んん?」
「さあ、お茶を淹れますのでお座りになって下さいまし」
バルバラは国王のはだけた服を直してやると、ティーテーブルの前に座らせた。
「バルバラ嬢、私は……」
「陛下、私は今この時から陛下の妻です。どうぞ呼び捨てにして下さい」
「……分かった。では私のこともドルガンと呼んでくれ」
「はい。ドルガン様」
バルバラは淹れ終わった茶をドルガン王に差し出す。
「どうぞ。媚薬も興奮剤も入っていませんから安心してお飲みになって下さい」
「ああ。……それでバルバラ、話とは?」
「はい、ドルガン様。私たち、今宵は無理にお務めをしなくともよいのではありませんか?」
「え!?」
「見たところ、ドルガン様は酷くお疲れの様子です。私は閨については事前に勉強しましたが、かなりの運動量だとか……」
「あ、ああ。そうなのだ。終わった後は本当に疲れてしまう。昼間は公務もあるのに」
「しかもドルガン様は私の他に妃が四人もいらっしゃいます。ドルガン様のお体は一つなのに……」
「バルバラ……」
自分の体を慮ってくれるバルバラに、ドルガンは感動した。
実はこの若い国王は、現在進行形で四人の妃との夜の事情に頭を悩ませていた。
隣国から嫁いできた正妃と最初の結婚をしてから七年が経つが、彼女を始め側妃の誰とも子を儲けていない。
後継ぎを作るというプレッシャーと闘いながら昼は公務をこなし、夜は妃たちの機嫌を取る。
そんなこんなで30歳になってしまったドルガン王は、夜のお務めの時間を苦痛に感じるようになっていた。
「そう!そうなのだ!最近身体から疲れがなかなか抜けなくて……行為もなかなか最後までいかないのだ。妃たちに『そんなに私に魅力がないの!?』と責められるならまだいい方で、最近は役立たずな種馬だとゴミを見るような目を向けられて……」
「どうぞこのまま私のベッドでお眠りください。ただ私の立場もありますので、どうか朝までここで過ごしていただければ。そして未だ清い関係ということは誰にも話さないでくださいまし」
「あ、ああ」
「それらを了承してくださるのならば、今後もお体を休めたい日は私の部屋でお過ごしくださいませ」
「いいのか?君は王家の子供を産んでみたいとは思わないのか」
「いつかは子供がほしいと思っていますが、今はまだ」
「そうなのか。……助かるよ」
こうしてドルガン王は、妃たちと過ごすのが気が乗らない日はバルバラの部屋で過ごすようになった。
ドルガン王は軽食を取ったり、ゲームをしたり、ひたすら眠ったり、何もせずにだらだらと過ごせるバルバラとの時間を好むようになり、彼女の部屋に通う回数はどんどん増えていく。
もちろん彼ら以外は王と側妃が睦み合いをしていると思い込んでいるので、やがてバルバラ妃は国王のお気に入りだと囁かれるようになる。
「よし、上手くいったわ」
バルバラはドルガン王から手土産にもらったマカロンを満足そうに頬張る。
他にも胡麻を擂りたい貴族たちからの贈り物がぞくぞくと届いていた。
「これで妊娠しなくても実家に帰らなくていいし、陛下に守ってもらえるし、しばらくは平穏に暮らせるわね」
バルバラはバスカヴィル侯爵家の長女である。
侯爵家ともなれば平民はもちろん、貴族のほとんどに傅かれ、媚を売られる家格だ。
だというのに、バルバラは良家のお嬢様とは到底思えない扱いを受けて生きてきた。
バルバラは当主の長女として誕生したが、10歳の時に産みの母が流行病で亡くなった。
そして喪が明けるなり父侯爵は、愛人を後妻として屋敷に引き入れた……もちろん子連れで。
ザ・お約束である。
そこからは語るまでもなく、典型的な先妻の子を疎んじ、虐げる展開である。
バルバラは使用人部屋へ移動させられ、下女の仕事を押し付けられ、食事も満足に与えられなかった。
幸いにも6歳の時に母に連れられて社交デビューをしており、実母が決めた婿入り予定の婚約者もいた。
もし社交デビューをしておらず婚約者もいなければ、自分の娘を後継ぎにしたい後妻に殺されていただろう。
バルバラもそれを知っていたので結婚できる年齢まで耐えればいいと思っていたが、やっぱりお約束の展開が起きた。
婚約者が義妹に篭絡されたのだ。
ザ・お約束その2である。
……いいや、お約束と少し違う点があった。
元婚約者は決してお花畑な男ではない。
実父にすら見捨てられているバルバラと両親に愛される義妹を天秤にかけ、義妹を選んだ方がいいと判断したのだ。
ようは次期侯爵の座がほしい狡猾な男だった。
こうしてぽいっとされたバルバラは修道院に入るか金持ちの商人の後妻に入るかの道しかないと思われたが、婚約破棄の話を聞きつけた王家から側妃に迎え入れたいという話が舞い込んだ。
もちろんバルバラはそれに飛びついた。
王家に嫁いでしまえば実家は手を出せない。
側妃になる娘を身一つで王宮に送るつもりかと父を脅して、持参金としてかなりの額を絞り出させたのはせめてもの嫌がらせだ。
ため込んだ資産が半分以下になれば、後妻たちや元婚約者も多少は打撃を受けることだろう。
こうして王宮にあがったバルバラだが、彼女は今後の身の振り方をずっと考えていた。
ドルガンは三年前に前国王の急死で即位した、このサヴィル王国の現国王だ。
現在30歳。キラキラ金髪碧眼のイケメンだ。
若い国王と言われてはいるが、バルバラとは12も歳の差がある。
そして彼には正妃に加え、バルバラの他に三人の側妃がいた。
まずは隣国スーラン王国から嫁いできた正妃のエヴァンジェリン。
銀髪に緑の瞳の王道お姫様。
まだ王太子だったドルガンと七年前に結婚してすでに26歳だが、元王女なだけあってその美しさは衰えていない。
ただし結婚以来懐妊の兆しは一度もなく、現在は国王と不仲だという噂まである。
第一側妃はマーズ侯爵家から嫁いだマリエッタ。
エヴァンジェリン妃が三年間妊娠しなかったため、上層部の肝いりで嫁いできた亜麻色の髪の迫力美人、24歳。
同じ侯爵家だったので実母が健在だった時に何度か会ったことがあるが、とにかく気が強く自信家だ。
そのまま成長したらしく、派閥を作って堂々と懐妊できない王妃をけん制しているらしい。
だがそんな彼女も四年経ってやはり妊娠せず、勢力は衰え気味だと聞く。
第二側妃はヨーク子爵家出身のユージェニー。
薄い金髪に薄茶の瞳をした儚げ系美人、26歳。
二年前に側妃になりすぐに懐妊したが、その後流産している。
半年後にもやはり懐妊後、すぐ流産。
正妃か第一側妃が堕胎薬を仕込んだのではないかと専らの噂だ。
第三側妃はリプトン伯爵家出身のリンダ。
ピンクの髪に黄緑の瞳の、どこかの乙女ゲームのヒロインになりそうな19歳。
実家が裕福で、金の力で王宮の一部の貴族や使用人を取り込みつつあるらしい。
半年前に輿入れしたばかりだというのに、すでに彼女の派閥はマリエッタのそれに次ぐ勢いだ。
そして第四側妃となったバルバラ。
赤い髪に赤い瞳のちょっと毒々しい外見の18歳。
何を隠そうバルバラは、異世界で日本人だった記憶がある。
お約束の異世界転生です、はい。
実母の死をきっかけに日本人だった記憶を取り戻した。
なのでバルバラはそんじょそこらの令嬢とは違う。
50代で死んだので(ちなみに交通事故だった。自分をひいたトラック絶許!子供たちの結婚式見届けたかった……)、恋や王子様に夢見る少女ではないのだ。
ちなみに義母と異母妹からの嫌がらせは日本人で成人だった知識と根性で何とか乗り切った。そしてたまにやり返していた。
こうして側妃になった見た目は令嬢、中身はおばちゃんの彼女が導き出した答えは、国王の夜の休憩所になるということだった。
なにせバルバラがドルガン王と引き合わされたとき、彼は若い令嬢に喜ぶかと思いきや、うんざりした顔をしたのだ。
女好きではないな、とすぐに気づいた。
そして夜になってバルバラの部屋に訪れた時のくたびれた様子を見て、閨をしたくないのだと判断できた。
というのも前世の夫もそうだった。
結婚したのは二十代後半、子供好きな彼は毎夜頑張っていたのだが、一週間でガス欠になった。
最後までできなくなったのだ……夫はかなり落ち込んでいた。
こちらも毎夜は疲れるので一週間に一度を提案したところ、無事問題は解決した。
はっきり言おう、依存症でもないかぎり毎晩は無理だ。
だからドルガン王も精神的肉体的に疲れていると踏んであの提案をしてみたのだが、当たりだったようだ。
ドルガン王は夜はゆっくり休めるし、男としての尊厳も守られるし、バルバラは周囲にちやほやしてもらえる。
今のバルバラはちょっとした我が儘ならばほいほい聞いてもらえそうである。
もちろん馬鹿ではないのでいざという時にしか使わないつもりだが。
マカロンですっかり甘くなった口の中を紅茶で潤していると、部屋の専属侍女が箱を抱えてやってきた。
「バルバラ様、贈り物が届いております」
「誰からなの?」
「さ、さあ……。カードも何もありませんでしたので」
「あなた、誰のものか分からない贈り物を私に手渡そうとしているわけ?」
「う、えっ……と、それは……」
……どうやら早速国王様の権力を使う時が来たようである。