九話「好青年」
鬼村が誰かと出かけると言う話は聞いた事がなく、まともな”人間”が家に訪ねて来た事もなかったので、失礼ながら彼女は友達がおらず家族とも疎遠で、関わりのある人間は担当である私と編集長の二人しか居ないものだと思っていた。
だからその日、玄関で男と談笑する鬼村を見て私は大層驚いたのである。
男は二十代前半で、若々しい笑みを惜しげもなく振り撒き、大好きな主人を見る犬のように鬼村を見つめて何やら熱心に話している。鬼村の方も普段見せないような穏やかな表情で相槌を打っていた。どうやら相当親しいようである。
門の所で立ち止まっている私を見つけた鬼村は、「おう」と声をかけてきた。声をかけられては仕方ない、遠慮がちに二人の元へ向かう。
着くや否や鬼村は私を自分の傍に引き寄せ、男にこう言った。
「これ、アタシの姪っ子」
一瞬ぎょっとしたが、奇行が目立つとは言え鬼村が意味のない嘘を吐く事はない。ここで空気も読めず姪である事を否定するとなんだか良くない事が起きる気がして、私は軽い会釈と挨拶でもってそれを肯定する事にした。
「わあ、そうなんですね!」男はテレビドラマから出てきたような好青年然とした口ぶりでニコニコしている。「沢田です。いつも、先生にはお世話になってます」
先生。出版関係の人だろうか。少なくとも我が社の人間ではない。もしや鬼村は他の会社から本を出そうとしているのか?
「じゃあ、そろそろ」
そう言って鬼村はいかにも原稿が入ってそうな茶封筒を沢田に差し出した。沢田は賞状のようにそれを恭しく受け取った。
「はい、確かに。大ヒットさせましょうね、滅三川先生!」
弾ける笑顔で沢田は言い、私達に深々と礼をして去っていった。
二人とも、彼の背中が見えなくなるまで黙りこくっていた。
「あいつね、アタシの最初の担当なの」私が何か問うより先に、鬼村はボソボソと喋りはじめた。「自分が死んでるって気づいてなくて、もうかれこれ七年くらい原稿とりに来るんだよね。アタシ、あいつの初めての作家で、すごい張り切ってるから、なんか可哀そうでさ」
憂いを孕む、密やかなため息。
「……あんたは、死んだらちゃんと成仏してね」
冗談ぽくそう言い、鬼村は家の中に入って行く。私はその場から動けずしばし呆然と門の方を見つめていた。
彼の死因を聞く勇気を、今の私は持ち合わせていなかった。