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三十四話「お仕事」

「あ、すいません」

 スマホの画面を確認するや、そう言って一口は立ち上がった。

 チェーンの中華料理屋で、昼食をとっていた時の事である。

「編集部から電話です、ちょっと外行きます」

 鬼村は返事代わりに頷きはしたものの、ほおばった天津飯の熱さに意識のほとんどを持っていかれている。

 どうにかそれを飲みくだし、水で口の中を冷やす頃には、一口はもう店の外に出ていた。入口の所で見るともなく道路の方に顔を向け何事か喋っている。

 鬼村は彼女から視線を天津飯に戻し、その山を切り崩して冷ましにかかった。レンゲを入れる度にもわもわと元気よく湯気が立ち上るのに辟易する。

 まったく、これだから猫舌は――。


 突然、走り抜けるような耳鳴りがした。

「好きでございやすねえ、天津飯」

 ひたりとレンゲを持つ手が止まった。

 無意味でささやかな抵抗として声のした方を見ないようにしたが、結局すぐに諦めて嫌々目だけ先ほどまで一口が座っていた向かいの席に向ける。

 男が座っていた。

 ニタニタ笑っている。

「しかも絶対に甘酢ダレ」

 遊行僧の恰好をした子供くらいしか背丈のない小男は、昼時の客で溢れた中華料理屋にはあまりに異質な存在だ。否、このシチュエーションだから異様なのではない。どこにどのような形で存在しても、この男は常に異物である。

 しかし、誰も男を指さして「なんだあいつは」とひそひそやる者はいない。それどころかちらりと一瞥をくれる者さえいない。店の平穏は続いている。

 見えない事がどれだけ幸せか、奴らは分かっちゃいない。

「……暇なんですか」

 いつも通り周りを気にせず誰も居ない目の前の席に話しかけても良かったのだが、隣の席に子供が居たので極力声は抑えた。これなら独り言でもかなり小さな部類だ。

 辺りに気を遣う鬼村が可笑しかったのか、男の肩がひくひくと揺れた。

「逆で御座いやすよ。近くで仕事がありやしてね、来てみたら先生がいらっしゃるじゃあございやせんか。こりゃあ向こうに行く前にご挨拶をと思いやして」

 ぎょろりとよく回る目を細め、男は口端を吊り上げた。

「こんな所で会うとは、つくづく縁がございやすねえ、先生」

「……因縁でしょう」

「同じでございやすよ」

 鬼村は冬眠明けのクマのようにのそのそと天津飯を口に運ぶ。

 男は嬉しそうにそれを眺めている。

「縁、因縁、えにし、ゆかり――呼び名がいくつあろうがそれの意味するところは一つ。やつがれの呼び名がいくつもあるように、先生の呼び名がいくつもあるように」

 小さな体には持て余し気味な大きい頭を傾がせ、男はうっそりとため息を吐いた。

「貴女の真名が知れたら良いのに」

 噛み砕いた天津飯を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。

 鬼村は静かに男を見つめ、ぴくりともせず固まった。瞬きもしない。息をしているかも怪しい程じっとしている。男はそれに気が付くと、肩を竦めて笑った。

「――こんな所で聞いたんじゃ、ムウドってやつがないでやすね」

 まるで愛の告白について話しでもしているような口ぶりに、ようやく鬼村の目元がひくりと動いた。

 男は少し照れたようなそぶりを見せ、視線を窓の外にやると醜い顔を笠の裏へと隠してしまった。

「さて、そろそろ行きやせんと。それじゃあ先生、また今度」


 瞬きと同時に男が消えたのと、一口が店に戻ってきたのは同時だった。

 鬼村はすぐに席を立ち、自分の天津飯を持って反対側の席に移った。一口の食べかけた中華そばは今の今まで自分が居た所に押しやって、いそいそ自分の水が入ったコップも手繰り寄せる。

 戻って来るなりなんの脈絡もなく席を交換された一口は一瞬立ち尽くしたのだが、鬼村の奇行には慣れたものだと何も言わずに空いた席に腰かけた。

「すいませんでした」

「なんだって?」

「なんか、そこの駅で人身事故があって電車止まっちゃってどうしようもないから、タクシーで来てって」

 鬼村はふいと窓の外を見た。

 いつの間にか、食欲は失せていた。


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