十三話「美命」
鬼村に頼まれ、自宅の郵便物を仕分けしている時の事だった。
ある封筒を開けると、普通の手紙用の封筒であるにもかかわらず中に一万円札が二十枚以上も入っていた。私は仰天し、不躾ながら何事かと同封されていた手紙に目を走らせる。そこには現金よりも衝撃的な事が書かれていた。
曰く、これは養育費なのだそうだ。
「先生、お子さん居たんですか!?」私は執筆中の鬼村の書斎に飛び込み、手紙と現金と封筒を鬼村に押し付けた。彼女はろくに手入れのされていない太い眉をぴくりともせず、それを受け取って言った。
「居ないよ」
「でも、美命ちゃんの養育費って……」
「あっ!」
鬼村は目をひん剥いた。
「えっ、なんですか?」
「いや……あーあ……まあいいや」明らかに何か言いたげな鬼村だったが、すぐに諦めたようにため息を吐くと私に体ごと向き直った。「その手紙ね、昔別れた元カレなのよ。なんか急におかしくなって、アタシたちの間に子供が居ると思い込んで、時々養育費と手紙送って来るんだわ。こちとら出産どころか着床もした事ないわ」
「訂正しないんですか?」
「言っても聞かないんだもん。来年小学校だからって、ランドセル送ってきたからね」
「え、どうするんですか、そのランドセル」
「メルカリで売る」
妙な息が喉から漏れた。嫌な人だと思うと同時に、不思議な事に言いようのない同情じみた感情が込み上げてきたのだ。この歪な元カレとの関係と存在しない娘に対して、外野の私はどういう感情を抱けばよいのだろう。
一切考えの読めない鬼村の顔を見つめながら息を止める。存在しない彼女の娘が私の中で突然何か意味のあるものになってしまったみたいだ。
しかし、言葉を失う私をよそに、鬼村は他の事に気をやっていた。
「で、アンタ今子供の名前呼んじゃったじゃん」
「美命ちゃん?」
「あのね、これ覚えといて欲しいんだけど、名前を与えるのって存在を与えるって事と同じなの。だからあんたが名前を呼んじゃった事で、あんたの中でアタシの娘が存在する事になっちゃったんだわ」
「はあ?」
「止める暇なかったから、もうしょうがないんだけどさ」
いつにも増して訳の分からない事を言われ、私は眉根を寄せて口を半開きにした。幽霊が云々というならまだ分かる。しかし、存在しないものが存在するようになるとはどういう事だ。オカルトならまだしも私はスピリチュアルは信じていない。
だが、混乱している私に答えを与えてくれたのは、鬼村ではなかった。
「ママー」小さな子供の声。「このクッキー食べていいー?」
弾かれたように顔を上げる。廊下の奥、台所の方から確かに子供の声がした。それを見た鬼村は小さな目を細めた。
「なんか聞こえたの?」
「……クッキー、食べていいかって」
「ふうん」鬼村は廊下を一瞥したが、それほど興味なさそうに唸った。「ま、無視してればそのうち消えると思うよ、多分。だから、何が聞こえても、何が見えても、何がここに入ってきたとしても、気づかないフリするんだよ」
生きた心地のしないまま暫くのち、私は原稿を手に鬼村の家を後にした。
幸い姿を見ることはなかったが、そこかしこから「美命ちゃん」の気配がしたし、生活音もしていた。
しかし一番ぞっとしたのは、家の門から出る時に微かに聞こえた鬼村の言葉だった。小さかったし、恐らく勘違いだと思う。そう思うのだが、けれども、私にはどうしてもこう言ったような気がしてならないのだ。
「よし、美命ぉ、オヤツ食べよっか?」




