プロローグ
「…………セリーナは、もう寝たのか?」
……聞こえてきた父のその声に、セリーナは扉をノックしようとしていた手を止めた。
「……はい。今日は疲れたでしょうから……。
ねぇ、あなた。あの子を領地の屋敷でのんびり過ごさせてはどうかしら。王都にいては、何かと気を使う事も多いでしょうし……」
子を気遣う母の言葉。……いや、母はこれ以上この事で世間に気を使うのが嫌なのだ。
「……それは出来ぬ! 貴族の子女が皆が通う学園にも行かぬとなれば、それこそ陰で何を言われるか……! それに学園で刺激を受ければもしかするとあの子の魔力も人並み程度には伸びるかもしれぬ……」
そう期待するかのような事を言いながらも、絶対にそうはならないだろうと思っている父。
「学園に行って伸びるのであればとっくの昔に伸びておりますよ。……『療養中』だとでも言って母上の仰る通りに領地で過ごさせてやればいいのです。そうすれば、世間も事情を察しこれ以上何も言いますまい」
コレは、2番目の兄。家族の中でセリーナに対して1番キツく当たる。今もさっさと領地に行かせろと心の声が聞こえるようだ。
「……どちらにしても世間から何かを言われるのならば、せめてセリーナが辛い思いをしないように領地で過ごさせてあげるのが良いのかもしれません」
優しい長兄。けれど、いつも困った顔でセリーナを見ているのは知っている。
「そうですわ。このままならセリーナは今日のような辛い事がずっと続いてしまう事になりますもの。それならばあの子を領地に行かせてやりましょう。私達が時々訪ねて行けばあの子も寂しい思いはしませんわ」
ただ1人の姉も、今日の王宮での茶会でセリーナが力を使えないところを人々の目に晒された事でかなりショックを受けていたのだろう。姉の公爵家嫡男との婚約が危うくなってはいけない。
魔法大国とも呼ばれるレーベン王国。しかもセリーナの生まれた侯爵家は代々特別強い魔力をもち何人もの優れた魔法使いを出す由緒正しき家として有名だった。
父は筆頭魔術師。母も公爵家出身で魔力が強い事もあり、その4人の子供達もそれぞれ素晴らしい魔力を持って生まれてきた。……末っ子のセリーナ以外は。
セリーナの生まれたその夜には一際輝く紫の星が流れ、生まれた子の瞳を見れば美しい澄んだ紫。コレは相当に魔力の強い子に違いないと両親は確信し喜んだ。
……が、蓋を開けてみればセリーナは全くと言っていいほど魔法を使えぬ子だった。ほんの少しの、『治療魔法』が使えるだけ。この魔力の強いレーベン王国の貴族ならば治療魔法師でない者でもその程度なら誰でも使えるというレベル。
両親の落胆ぶりは相当なものだった。……が、落ち込みながらも一生懸命に努力するセリーナ本人を見て、なんとかこの王国の人並みくらいになるようにしてやろうと思って接して来た。
何より可愛い我が子なのだ。
……しかし。このレーベン王国に住む者が、しかも力の強い家に生まれた者が魔法をほぼ使えないという事は、とてつもなく生きづらい事なのだと家族も本人も思い知らされてきた。
そして、今日の王家主催の高位貴族の年頃の全令嬢が呼ばれた茶会。レーベン王国の高位貴族らしく美しい銀髪に濃い紫の瞳の美しい少女セリーナは見事? 王子に見初められてしまった。そしてこの王国では挨拶と同程度のような魔法を、その場で披露せよと言われてしまったのである。
……しかし、セリーナは『治療魔法』以外の魔法を使えない。
そして王子を始めとした王家の人々には呆れられ、周囲の貴族達にはセリーナが一度は王子に選ばれたという嫉妬も相まって、散々な悪意の噂をたてられることになったのだ。
余りの出来事に、家族はセリーナをこれ以上王都に置いておけないと決めたようだった。
……迷惑をかけて御免なさい、と謝ろうと思ったのだけれど……。私が領地に籠ることで、家族みんなが穏やかに過ごせるのなら……。
セリーナは胸が痛くてそれ以上家族の話を聞いていられなかった。そして気付かれぬようそっとその場を離れ部屋に戻った。
…………その日の夜。
この偉大なる魔法王国レーベンに、未曾有の大事件が起こったのである。
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