クラスの女子と同居することになったけれど貧乏時の癖が抜けてないみたいだから定価のお肉を買わせてみた
「白鳥早く彼女作れよ」
「だから興味無いって何度も言ってるだろ」
「それじゃあ俺が困るんだよ」
「私が立候補するよ!」
「美緒がこうなるからさ!」
倉持 隆司と長谷川 美緒は俺のクラスメイトかつ友人で付き合っている。それにも関わらず長谷川さんは俺にアプローチするフリをしてくるんだ。
「倉持苦労してんのな。やっぱり恋愛はまだ良いや」
「そこをなんとか。美緒がお前に取られそうで不安なんだよ」
「俺じゃなくてお前が頑張るべきだろうが」
「そうだよ隆司」
「分かってるけど!」
何を心配してるんだか。誰がどうみても長谷川さんは倉持のことが大好きで毎日バカップルやってるくせに。
「白鳥もてるからなぁ。やっぱり清潔感か。清潔感なのか!」
「お前だって十分清潔感あるぞ」
「白鳥に美緒を取られないように頑張ってるんだよ!」
「そうだよ白鳥君。隆司は最初ダメダメだったけど白鳥君を見習って凄い格好良くなったんだから」
まさか長谷川さんは俺に興味があるフリをすれば倉持が自分磨きに努力すると思ってるのか。ただ揶揄ってるだけじゃなかったのね。
「でもまだ白鳥には敵わねぇ。顔のパーツは負けてないと思うんだけどな」
「俺は特別なことなんかしてないぞ」
人として最低限の身だしなみを整えているだけなんだがな。
強いてあげるならば自分の肌に合った化粧水を見つけたことくらいか?
「い~や、絶対何か怪しいことやってるわ。オラ、吐け吐け」
「うぐ、体を揺らすな」
「私も興味あるんだよね。白鳥君って女子が見ても羨ましい肌質だもん」
「おい触ろうとするな」
「キイイイイ!」
ハンカチ口に咥えて悔しがるとかいつの時代の表現だよ。
「あ、あの倉持……くん」
「え?」
俺らがじゃれてたらクラスメイトの若槻さんがやってきた。
暗い雰囲気の地味な女子で、倉持にかけた声にも元気が無い。
「数学の宿題ノート……」
「あ、忘れてた!」
なるほどね、今日日直当番だから課題を回収してるってことか。
倉持はノートを取りに慌てて自分の席に戻った。
残されたのは長谷川さんと若槻さんの二人。
この二人は特に仲が良いというわけでも無いから話をする気配が無い。
こうして並んでいるのを見ると若槻さんの素朴さがより目立つな。
長谷川さんは髪に潤いがあって毛先まで綺麗に整えているけれど、若槻さんは髪がきしんでそうなほどに艶が無く毛先もバラバラだ。
血行が良く目元の手入れに力を入れている長谷川さんの顔とは対照的に、若槻さんは頬がこけて肌がカサカサで見るからに病的な雰囲気を漂わせている。
他にも制服を綺麗に着崩してファッションとして成り立たせている長谷川さんと、皺が目立ち十年くらい着続けているかのように見える若槻さんなど、違いがありすぎてこれで同じ女子高生なのかと不思議に思ってしまう。
「わりぃわりぃ、はいこれ」
「ありがとう」
か細く消えそうな声で若槻さんは俺達の元から離れて行った。
「なぁ長谷川さん、女子って若槻さんいじめてたりしないよな」
「するわけないでしょ!」
「だよなぁ」
ものすごい不幸オーラがプンプン漂ってるから、そういうこともあるのかなって思ったんだ。こんなことそこそこ親しくなった長谷川さんくらいにしか聞けないけれどな。
「でも白鳥君がそう思うのも分かるけどね」
「若槻さん家って貧乏なんだろ」
「隆司、そういうことをはっきり言っちゃダメ」
「え、わりぃ」
明らかな陰口になっちゃうからな。
でも鈍感な倉持ですらそう思ってるってことは、クラスメイト達は全員そう思ってるってことなんだろう。
「金かぁ……」
安っぽい同情なのは分かっている。
本人が助けを望んでいるかどうかも分からない。
それでも金で解決するのであれば助けてやりたいなと思ってしまうのは人間として当然の感情だと思うのだがいかがだろうか。
――――――――
「正義、悪いがトマト缶買って来てくれないか?」
「はーい」
俺は白鳥 正義ではなくて白鳥 正義だ。
小さい頃はこの名前で色々と言われたけれど、今は自己紹介の定番ネタとしてありがたく活用している。
今日は久しぶりに父さんが家でカレーを作ってくれているけれど、足りない物があったから俺が買い出しに行くことになった。父さんのカレーは激旨だから喜んで従おう。
「いつものトマト缶ってことは成街岩井かな」
我が家のマンションの近くには普通のスーパーと高級スーパーの成街岩井が同じくらいの距離にある。今日使うトマト缶は成街岩井の方にしか売っていないのでそっちに向かって歩いていた。
「開けろ! おい!」
すると途中で男性の怒鳴り声が聞こえて来た。
声の出どころは通り道にある今にも朽ち果てそうな古い木造のアパートだった。その一階の中央付近の部屋にて、ガタイの良い成人男性が外から扉を力づくで開けようとしていたのだ。
「いや! 来ないで!」
「帰って下さい!」
部屋の中には複数の女性がいるらしく、二人がかりで男が入って来ないように必死に扉を閉じようとするものの、男が足を扉の隙間に入れているため上手く行っていない。
父さんは刑事なので自宅に電話しようかという考えが頭を過ったが、素直に通報することにした。電話に出られない可能性があるから急ぎなら通報しなさいと事前に父さんに言われていたからだ。今なら間違いなく家にいるけれど、トイレに入って電話に出られない可能性もあるからね。
「事故ですか?事件ですか?」
「事件です。場所は……」
最低限のことをまくしたてるように告げた後、スマホを通話中のままポケットに入れて男の元へ向かった。
「やめろ!」
「何だこのガキ!?」
中の人達を手助けするように男を力づくで扉から引き剥がそうとする。
「くそ、放せ!」
なんて馬鹿力だ。暴れるのを全く抑えられない。
「ぐえっ、ぐっ」
肘がぶつかり、足を蹴られ、痛みで涙が出そうだ。
でも頑張った甲斐あってか、扉はしっかりと閉められた。
「邪魔すんじゃねえ!」
やべぇ、目がいってる。
そういえばこの場合のいってるってどういう意味なんだろうか。逝ってるかな。
なんて現実逃避したくなるくらいには男の尋常ではない様子が怖かった。
こういう場合にどうすれば良いのかを俺は父さんから教わっていた。
「逃げるな!」
逃げるに決まってるでしょ。
その結果どうなったかと言うと、ちゃんと逃げ切れた。
しかも男も逮捕された。
めでたしめでたし。
「…………」
「…………」
「…………」
助けた女性達が俺の家のリビングで立ち尽くしている件について。
しかもその女性達が若槻母娘だった件について。
――――――――
「あの、座って下さい」
「いえ、このままで」
「(こくこく)」
彼女達が我が家にやって来た日、リビングに案内したもののどうしてかソファーに座ろうとしない。
母親の方はボロボロのスーツで、娘の方はボロボロの制服を着ている。
「いや座って下さいよ」
「お気遣いなく」
「(こくこく)」
気遣いとかじゃなくて家の中なのに立ったまま話するなんて変でしょ。
若槻母が頑なに断って来るので俺は頷きマシーンと化していたクラスメイトの方に声をかけた。
「若槻さん、座って」
「(ふるふる)」
学校じゃ普通に話をしてたのにどうして無口キャラになってるんだ。
「どうして座りたくないんですか?」
「だってこんな高そうなソファーに座るなんて出来ないよ!」
「え?」
これ普通のソファーだぞ。
むしろソファーの中では安い方だと思うのだが。
「高いやつじゃないから気にしないで」
「ソファーなんて全部高いに決まってるもん!」
「えぇ……」
床に座らせるわけにはいかないし困ったな。
「本当に気にしなくて良いから座って」
「(ふるふる)」
「座って」
「(ふるふる)」
「座りなさい」
「…………」
よし、粘り勝ちだ。
「秋音、これ以上は白鳥さんを困らせるだけだから座りましょう」
「でも貧乏菌が……」
「大丈夫、お母さんが頑張って働いてお返しするから」
「おかあざーん!」
ちょいまて、貧乏菌って何だ。
そんな訳の分からないものでソファーを拒絶してたのか?
「「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」」
ソファーに座るだけなのに何で母娘そろって怯えて謝ってるんだ!
「ダメお母さん、こんなに柔らかいソファーに貧乏菌がうつっちゃう!」
「我慢するのよ秋音。それにもう遅いわ、私達がここで息をしている時点で汚染は免れないのだから」
「あっ、ごめんなさい。普通に息しちゃってた」
まてまてまて、汚染ってなんだ。息くらいしてくれよ。
つーか返事が首を振るだけだったのってなるべく息をしないためだったのかよ。
「はぁ……とりあえずそのまま待っててくださいね」
ソファーに座ってもらうだけなのにどうしてこんなに疲れなきゃならないのだ。
俺はジャスミンティーを用意してリビングに戻り、彼女達の前に置いてから向かいのソファーに座った。
「父さんから話は聞いているってことで間違いないですよね」
「はい」
若槻母がシンプルに答えてくれた。
若槻娘はジャスミンティーを見て震えているけれどどうした。飲んで良いんだぞ。
「あいにく今日は父さんは仕事なので俺が代わりに説明します」
本当は父さんがやらなければならないことなんだけれど、刑事という職業柄、突然家に帰れなくなるなんてことは日常茶飯事だ。最近は事件も無く平和だったけれど、都合悪く彼女達が訪れる今日に何かが発生してしまったのだろう。
「まず父さんからの伝言です『今日はお出迎えが出来ずに申し訳ありません。これからはこの家を自分の家だと思って過ごして下さい』だそうです」
そう、今日から若槻母娘が我が家に住むことになったのだ。
若槻母の旦那は酷いDV男で、娘と一緒にそいつから逃げてあのボロアパートで隠れ住んでいたらしい。その旦那に居場所が特定されて押しかけられていたところに俺が遭遇。警察沙汰になって判明したのは旦那はクスリを始めとした多くの犯罪に手を出していたとのこと。
無事に男から解放された母娘だが、悲しい事に母親に稼ぐ力が全く無く、極貧生活からは抜け出せそうにない。どうにかならないかと父さんに相談したら、我が家で面倒を見ることになったというのがこれまでの流れだ。
「自分の家だなんてとんでもないです!」
「俺も父さんも納得してるんですから気にしないでください。ただ空き部屋が一つしか無いのでひとまず二人一緒の部屋で生活してください」
母さんが生きていた頃に使っていた部屋を彼女達に割り当てた。後は倉庫になっている部屋があるのでそこを片付けて一人一部屋にする予定だ。
「そんな私達なんかベランダで良いですから!」
「は?」
「お母さん、ベランダなんて贅沢だよ。私達なんかゴミ捨て場で十分だって」
「それもそうね」
「なんでやねん!」
思わず雑に突っ込んでしまったじゃねーか。
これまで丁寧に対応してたのが馬鹿らしくなってきたわ。
今日に至る前に彼女達は父さんと何度も話をして今回の話が決まった。その話をする度に父さんが疲れた表情になっていた理由がようやく分かったわ。
『正義、彼女達が家に来たら遠慮せずに分からせてやれ』
だから父さんは事前に俺にこんなことを言って来たのか。
助けた後にお礼を言われた時は普通の人達だと思ってたのに猫を被ってたって訳ね。
ああ分かったよ。
たっぷりと普通の生活というものを分からせてやるさ。
「もういい、今日から俺達は家族みたいなものだから、遠慮なく接すると決めたぞ」
女性が男性だけの部屋に住むことになるなんて心配だろうとか、下心を感じさせないようにしないととか気を使っていたけれど全部無しだ無し。
「春華さんと秋音さん」
「は、はい」
「うう、白鳥君の目が怖いよぅ」
『若槻さん』だとどちらのことか分からないから名前で呼ぶ。同世代の女子を名前で呼ぶだなんてテンプレ恋愛展開なのに、全く色っぽくねーな。
「まずはそれ飲んで」
「「え?」」
俺が出したジャスミンティーに一切手をつけようとしないのも、どうせ『こんな高価な物を私達ごときが口にして良い訳が無い』とでも思っているのだろう。徹底して価値観を変えてやるから覚悟しろよな。
「二人が飲んでくれないと捨てることになるぞ。勿体ないだろ」
「「!?」」
くっくっくっ、貧乏だった二人に『勿体ない』は効くだろう。
これなら飲まざるを得ないだろう。
「そうですね……でしたら外に捨てましょうか」
「え?」
「うん、私達ごときが口にするよりも道端の草花の栄養になった方が良いもんね」
「いいから飲めや!」
こいつらこんな価値観でこれまでどうやって生きて来たんだよ!
こうなったらもっと高級な物を体験させて、この程度なら平気だって思わせてやる。
「飲まないなら今晩の夕食は高級焼肉に」
「「頂きます!」」
「おいコラ」
だがこいつらの扱い方が分かって来たぞ。
「なんて爽やかな香りなのかしら……」
「これ絶対お高いやつだよね……」
一口しか飲まないでやんの。
安いって言えば飲んでくれるかね。
「激安セールで売ってたやつだぞ」
「「!?」」
がぶ飲みじゃねーか。
「はいおかわりどうぞ」
注いでやると同時に飲み干すとか、どんだけ喉乾いてたんだよ。
いや待てよ、まさかこいつらこれで腹膨らませる気じゃないだろうな。
「本当は成街岩井で定価で売ってた」
「きゃああああ! 死ぬ、死ぬうううう!」
「貧乏菌が浄化されちゃうううう!」
さっさと浄化されちまえ。
「貧乏人風情が最高級品を口にするなんてきっと死刑よ!」
「私が飲みたいって言ったから悪いの。お母さんは悪くないよ!」
「いいえ、飲みたいって言ったのは私よ。どうか秋音だけはお助け下さい!」
「なんかもう逆に面白くなってきたわ」
もう少し揶揄いたいところだけれど、話が進まないからこのくらいにしておこうかな。
「本当の本当は貰い物でタダだから気にするな」
「「!?」」
「少しは疑うってこと覚えた方が良いぞ」
マジでどうやってこれまで生きて来たんだよ。
ちなみにもちろん嘘だ。
というか俺も知らないんだよな。父さんが趣味で買ってるもので成街岩井にも売ってない奴だ。多分だけれどかなりお高いと思う。本当のこと知ったら卒倒するかもしれないから言わないがな。
「白鳥君、便所はどこかな?」
「便所って言うな。トイレとかお手洗いって言いなさい」
ジャスミンティーの飲み過ぎで催したのかな。
「家に入った時に通った廊下の途中にあるぞ。案内するか?」
「え!?」
「今度は何だよ」
「便所が家の中にあるの!?」
「あのボロアパート共同便所なのかよ!」
びっくりしてつられて便所って言っちまったじゃねーか。
別に悪い言葉じゃないが、俺の感性では女子には言って欲しくない。
「私頑張って便所掃除するからね。得意なんだ」
しかも住人が掃除するんかい。
でも掃除が得意ってのはありがたいな。
彼女達が俺の家に住まうにあたって、無償で助けて貰うのは心苦しいからせめて家事をさせて欲しいとお願いされたのだ。我が家は父子家庭で父さんが家を空けがちなのである程度の家事は俺がやらなければならず、その負担が軽くなるのはとても助かるんだ。
そんなことを考えながら秋音さんをトイレに見送ってから気付いた。
また悲鳴が聞こえてきそうだなと。
「きゃああああああああ!」
やっぱりだったか。
「おか、おかおかお母さん!」
「どうしたの?」
「紙が……紙が……!」
「秋音? 秋音どうしたの? しっかりして!」
「…………ダブ……ル」
「いやああああああああ!」
まるで殉職する刑事を仲間が看取っている古い刑事ドラマみたいなワンシーンなんだが、トイレットペーパーがダブルなのに驚いているだけなんだよなぁ。我が家はダブル派なのだ。
てっきりウォシュレット付きの方で騒ぎになるかと思ったのだが、そっちは気付かなかったのかな。
――――――――
それからも大騒ぎの連続だった。
冷蔵庫の大きさに騒ぎ、オール電化なキッチンに騒ぎ、家の中に風呂があることに驚き、ル〇バの存在に驚き、自分達の住む世界では無いだなんて恐れ戦いていた。確かに我が家は世間一般の家庭の中ではそこそこ裕福な方だとは思うが、そこまで反応せんでも良いのに。
「初日だし疲れただろ。今日は出前のピザでも」
「「作ります!」」
「出前もダメなんかい」
そりゃあ高いけれど、まだ荷物の移動すら終わってないのに家事をやってもらうのはどうなんだろうか。俺が作っても良いが、それだと雑な男料理になっちゃうからな。
「私もお母さんも料理得意なんだよ」
「へぇそうなのか」
それは楽しみだな。
「五十円もあればかさ増ししてお腹いっぱい食べられるからね!」
「おい待て」
そうだった。
こいつらの料理は貧乏料理なのを忘れてた。
このままだと道端に生えてる草とか食べさせられかねん。
「生活費は気にしないようにって言われてるだろ」
「でも無駄遣いは」
「無駄じゃない。普通使いだ。よし決めた。今日は千円以上使おう」
「半月分の食費だよ!?」
「その感覚を絶対に矯正してやるからな」
半月の食費が母娘千円って、栄養失調で倒れるだろ。
でも頬がこけて不健康そうなんだけれど元気ではあるんだよな、ある意味すげぇな。
「お母さん部屋の片づけしてるから秋音行って来て頂戴」
「ずるい! 逃げた!」
逃げた春華さんは後で父さんに躾けてもらおう。
正義感たっぷりで情に厚い父さんなら徹底的に甘やかしてくれるはずだぞ。くっくっくっ。
「それじゃあ秋音さん、行きましょう」
「いやああああああああ!助けてええええええええ!」
「それ外でやるなよな」
俺が捕まってしまうわ。
「秋音さんは普段どこで買い物してるの?」
「近所のスーパーだよ」
具体的に聞いてみたら、俺も良く通っているお店だった。
特に極めて安いお店では無いけれど、激安店が他に近くに無いから仕方なかったのかもな。
「小腹が空いたな」
「え?」
まだ夕方にもなっていない時間帯だ。
先程家で騒いでいたこともあり、少しだけ何かを摘まみたい気分だ。
「コンビニ寄ってくか」
「こ、ここ、コンビニ!?」
「マジか。コンビニもダメなのか」
コンビニは高いからしゃーないか。
「ううん、だ、大丈夫。コンビニに入ったことはあるから」
「そうなのか?」
「公共料金の支払いとかで」
ああなるほど、便利だもんな。
「でもちょっと待ってね。深呼吸するから。すーはーすーはーふうううう。私は一般人私は一般人私は一般人私は一般人」
「おにぎり一個百五十円」
「いやああああああああ! 言わないでよ!」
「あははは!」
めっちゃ楽しいわ。
悪い遊びを覚えちゃったかも知れんな。
「無理なら外で待ってな。直ぐ買って来るから」
「うん、ごめんね」
秋音さんの反応を見ていたら、買いたいものがすぐに思いついた。
くっくっくっ、もっと普通の幸せを堪能させてやるぜ。
「お待たせ」
「ううん、待ってな……そ、そそ、それって」
「肉まん」
熱くてホッカホカな肉まんを二つに割り、片方を秋音さんに差し出した。
「はい」
「え?」
「あげる」
「無理無理無理無理無理無理無理無理!」
遠慮する言葉ですら無かったか。
「ほら食べて」
「いやあああむ!?」
ここで叫ばれると迷惑なので口に突っ込んでやった。
「あづっあっあっふっあづっ」
「おっと悪い悪い」
口の中が火傷しちゃうな。
いったん肉まんを口から離してやる。
「はい、自分で食べて」
「無理無理無理無理無理無理無理無理!」
「でも秋音さんが口をつけたし」
「私は気にしないから白鳥君が食べて!」
「そこは気にしろよ」
「白鳥君が無理なら蟻さんにプレゼントするしか……」
「いいから食え」
「あづっあっあっふっあづっ」
「食べないと繰り返すからな」
「酷いっ!」
ふわっふわの生地と肉汁たっぷりの餡を余すことなく味わうが良い。
「どうだ、美味しかったか?」
「お母さんごめんなさい。秋音は汚されてしまいました……」
「旨かったかって聞いてるんだよ!」
「はい、美味しかったです! 天にも昇る気分とはこのことです!」
「そうか、なら良かった」
なんだかんだ言って食べてる時に幸せそうな顔してたから分かってたけれどな。
もっともっとそういう顔をさせてやるから覚悟しろよ。
「肉まん食べたら喉が渇いて来たな」
「え?」
「飲み物は……途中の自販機で買えば良いか」
「じはんきぃ!?」
「おう、自販機だ」
この反応にもう慣れて来たぞ。
「つーか、普段秋音さんは何を飲んでるんだ?」
「お水か麦茶だよ。いつもは水筒に入れて持ち歩いているの」
そういえば学校でも水筒で何かを飲んでるの見たことあるな。
「鶴〇ってすっごく安いから重宝してるんだよ」
「麦茶のこと〇瓶って言うな」
「あはは」
でも初めて秋音に共感した気がするわ。
確かに鶴〇は異常なくらい安い。一回買ったら一夏もつからな。
「お、この自販機で良いか。何飲みたい?」
「え?」
「だから飲みたいの。ああ、水と麦茶しか飲まないんだっけか。試しにコーラでも飲んでみるか?」
「いえいえいえいえ、私は喉乾いてませんからお気になさらずに!」
「いきなり敬語に戻るなよ。それにさっき無理矢理食わせようとして火傷しかけたんじゃないか? そのお詫びだから気にするな」
「あんなに美味しい物を恵まれたなら火傷どころか腕一本斬り落とされても文句は言えませんって!」
「言えよ」
母娘揃ってそんなだから悪い男から逃げられなかったんだろうな。
もういいや、無難に水と緑茶を買おう。
「はい水」
「要らないって言ったのに! それになんで二本も買ってるの!」
「え?俺と秋音さんの分だけど」
「少し喉が渇いた程度なら一本を二人で飲めば十分の量でしょ!」
「いやそれだと間接キスになっちゃうじゃん」
「…………わ、私はむしろそれが良いかな」
「恋愛脳のフリして節約しようとするの止めろ」
少し考えて『それだ!』みたいな顔したらバレバレだぞ。
「余ったら後で飲め、ほら行くぞ」
「うう……お水を外で買うなんて罰があたっちゃう……」
「なら売ってる奴は罰当たりすぎで死んでるな」
でも正直なところ、水を自販機で買うのは少し勿体ない気がしなくもない。
だからいつも水じゃないやつを買っちゃうんだよな。
そんなこんなで騒ぎながら歩いていたら目的のスーパーまでやってきた。
「ほら着いたぞ」
「え?」
着いた場所はもちろん高級スーパ成街岩井だ。
「あはは、白鳥君ったら冗談きついんだから」
「冗談じゃないぞ」
「私みたいな貧乏人は入店拒否されるに決まってるでしょ」
これまでみたいに騒がないってことは、まさかこいつマジでそう思ってるのか。
「いや、この店は誰でも使えるぞ」
「いくらなんでもその嘘には騙されないって」
「マジだぞ」
「しつこいな。ほら、別のスーパーに行こうよ」
「マジだぞ」
「も、もう、何回言われても」
「マジだぞ」
「…………」
「マジだぞ」
「…………本当に?」
「よし入ろう」
「いやああああああああ!」
だから店の前で叫ぶなっちゅうに。
「他の人の迷惑になるからさっさと入るぞ」
「待って引っ張らないで、貧乏警察に捕まっちゃう、入れても貧乏菌がお店を汚しちゃう、私を見たブルジョワの皆さんのお目が腐っちゃう、こんなところで人生終わりたくない、お願い許して、なんでもしますから!」
「おい馬鹿、こんなところで土下座すんな!」
「白鳥ぐううううん、貧乏人にごごは無理でずうううう!」
「ドン引きするくらい号泣してんな」
マジで高級焼肉とか時価のお寿司屋さんとかに連れていってみたくなった。
結局他の人の迷惑になるので、秋音さんがいつも行っているスーパーの方に向かうことにした。
「この時間に来たことないけど大丈夫かな」
「え? いつも何時くらいに来てるんだ?」
「もちろん閉店間際だよ」
「半額狙いか」
「うん!」
半額狙いを否定する気は毛頭ない。
むしろ安く買えるのならばそれに越したことは無いし、フードロスが減るのならば喜ばしい事だろう。
しかし残念ながら今はまだ真昼間。
半額コーナーなどほとんど無いのだよ。くっくっくっ。
「何してるの!?」
「何って食材をカゴに入れてるだけだぞ」
「だってそれ割引されてないよ!」
「知ってる」
彼女達はいつも『ある物』で料理を作っているので、今日も『買えた』物を使って料理する予定で特にメニューは決まっていないとのこと。どんなとんでも料理が出て来るか分かったものでは無いので、いざという時に自分で料理が出来るようにと肉野菜炒めの材料となるものを適当にかごに放り込んでいた。
「というか野菜ってあまり割引にならなくね?」
「白鳥君は無知ですなぁ。世の中には見切り品って言うのがあってね」
それその日のうちに食べないとヤバいやつだろ。
でも秋音さん達なら『まだ大丈夫』とか言ってギリギリを攻めそうだ。我が家ではそんなことさせないからな。
「我が家のルール、新鮮なものを新鮮なうちに食べましょう」
「地獄だ!」
むしろ天国だろ。
「ということで、次はお肉な」
「に……く……?」
「初めて聞いた単語みたいな反応やめい」
豚肉か牛肉か。
お、今日は美味しそうな牛肉売ってるじゃん。
「じゃあこれを……あれ?」
買い物かごを入れたカートを押していた秋音さんが消えた。
あいつ逃げたな。
カップ麺の棚の方に移動する後ろ姿が見えたから追っていく。
「いや、来ないで!」
「だから外でそういうのは止めろって言ってるだろうが」
すぐに追いついて肉のパックをカゴに押し込んだ。
「そんな……どうして……」
「この世の終わりみたいな顔をすんな」
「だってこれ定価のお肉だよ! 国から選ばれた人しか買っちゃダメなやつなんだよ!」
「そんなもん普通のスーパーで売るなよ」
周りの人達は選ばれし者だらけなのか、多すぎてありがたくねーな。
「どうしても嫌なら戻して来いよ」
「え? いいの?」
「いいぜ。だがそのパックに触れた瞬間、貧乏菌がうつるかもしれないがな」
「白鳥君、戻して欲しいな」
「い・や・だ」
「うわあああああああん」
さっさと貧乏菌だなんて自分を卑下するのを治すんだな。
もっとも、その頃には定価のお肉を買う抵抗感も薄れているだろうが。
「ちなみに秋音さんが逃げたから罰として『国産』お肉選んどいたから」
「…………」
「卒倒したら高いのばかり買うぞ」
「鬼畜ぅ!」
なんだか泣かせるのが癖になってきた。
俺って実はドSだったのかも。
「さて、最後にお惣菜買って帰るか」
「ホント待って。どうしてそんなに酷いことするの。割り引かれてないお惣菜を買うなんて人間の所業じゃないよ」
「そろそろこのスーパーのお客さんに謝った方が良いと思うぞ」
もう知らん。
ポテサラとコロッケ買って帰ろう。
「私、白鳥君の家でやっていく自信が無いよ……」
「大丈夫、すぐに慣れるさ。慣れさせるさ。染めさせてやるし逃がさないからな」
「ぴえん」
本当は余裕あるんじゃね?
――――――――
若槻母娘が我が家に来てから毎日がとても騒がしい。
ことあるごとに高級だ、貧乏人には相応しくない、などと叫ぶ彼女達に対して最初に手を付けたのは食生活の改善だった。
良い物を食べれば元気になり健康にもなるだろうということで、泣き喚く母娘に強引に食べさせ続けたところ、血色がよく不健康そうな感じは大分薄れて来た。
水が勿体ないからとお風呂に入ろうしないところを叩き込み、同じく水が勿体ないからと洗濯をしようとしないところを脱がしてぶち込み、食べ物以外の生活も改善の兆しが見えて来た。
だが一つだけずっと気になっていたことがあるんだ。
「秋音さんって制服とジャージしか着ている姿を見たこと無いけれど、私服はどうしたんだ?」
「え……あ……ええと」
「まさか持ってないなんてことは無いよな」
「あはは、まっさかー」
「…………」
「…………」
やっぱり持ってなかったのか。
さてはジャージと制服を着まわしてそのまま寝ているな。
どうりで制服が皺だらけでボロボロなわけだ。
「よし買いに行こう」
「待って違うの。制服とジャージが着心地が良いから他のが要らないだけなの」
「私服の方が着心地が良いかもしれないぞ」
「…………」
どうせ節約したいだけなんだろ。
秋音さんって年頃の女子にしては節約以外のことに全く興味がなさすぎるんだよな。
綺麗になりたい、可愛くなりたい、恋をしたいといった気持ちがゼロなのはこれまでの生活状況からして仕方ないのかもしれないけれど、せめて人並みになりたいくらいは思ってくれても良いだろうに。
「よし決めた。美玲姉にお願いしよう」
「誰?」
「従姉妹だ」
俺が同行して秋音さんの服などを買い揃えるにしても、女性的な観点で選べないんだよな。
ということで従姉妹の大学生の美玲姉に協力を仰ぐことにした。
「まっかせて、とびっきりの美少女に磨き上げてあげる」
「いやああああああああ!助けてええええええええ!」
美玲姉は読者モデルを経験したことがあるくらいにファッションセンスが抜群な綺麗な人だ。俺に『清潔感』の大切さを教えてくれたのも彼女であり、美には妥協しない姿勢が秋音を変えてくれると信じたい。
流石にいきなりエステに連れてくような無茶はしないでくれってお願いしてあるが、果たしてどうか。
「父さんは春華さんとお出かけ?」
「ああ、家具を見にな」
もう一つの部屋の準備が終わったから、家具を買いに行くのだろう。ベッドを買う話をしたら狂乱してたなぁ。
「ふたりともいってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
「い、行ってきます……」
春華さんが顔真っ赤にしてるけれど、父さん気付いてるのかな。
恋する女性は逞しいらしく、春華さんは秋音さんよりも先に貧乏性から抜け出して今の生活に染まりつつある。というのも、父さんの気を惹くにはしっかり食べて健康になって身だしなみを整えて魅力的な女性にならなければと思っているからっぽい。
父さん格好良いし、頼りになりそうだし、ガタイが良くて力強い感じがするもんな。
元旦那もガタイ良い系だったから好みのタイプなのかも。
俺は別に亡くなった母さん一筋じゃなきゃ嫌だなんて思ってないから父さんの自由にして欲しい。
父さんが幸せなのが一番だからさ。
「まぁでも先は長いよな」
父さんは生真面目だから落とすのは大変だぞ。
まぁでもあれだけ卑屈だった春華さんの姿を見ていたからこそ、結果はどうあれ幸せになって欲しいとは思うな。まだ一緒に過ごして数日だけれど、心からそう思う
「さーて、俺は何しよっかな」
今日は三人がお出かけしたから俺は一人だ。
家の中が久しぶりに静まり返っていて少し寂しさを感じるな。
「秋音さん大丈夫かな……」
ルームウェアはジェ〇ピケを買って来るらしいけれど、お店で卒倒しないだろうか。
化粧品も買って来るらしけれど、毎日使ってくれるだろうか。
洗髪方法もレクチャーしてくれるらしいけれど、コンディショナーが勿体ないだなんて言って結局水洗いになるのではないか。
不安しかないわ。
そうだ、使う使わないに関わらず、定期的に強引に買っちゃおうかな。
使わなきゃ勿体ないぞって思わせればきっと使ってくれるはずだ。
せめてあのかっさかさの肌ときっしきしの髪を何とかしたいよな。
それにボロボロの制服もクリーニング出して……いや、いっそのこと二着目を買っちゃおうか。
「はは、秋音さんのことばかり考えてら」
まるで恋する男子みたいだ。
恋ねぇ。
クラスメイトの女子と同居しているなんて恋愛物語の定番みたいなものだけれど、全くそんな気持ちにならない。同居生活自体は楽しくはあるんだけれどな。
いつか恋人が出来るだろうと思っていたけれど、この状況でもなんとも思わないなんて案外重症なのかね。
まぁ今はまだ子供時代を堪能させてもらおう。
ゲームや~ろうっと。
「ただいま~」
「た、ただいま……」
先に帰って来たのは秋音さんと美玲姉だった。
「おかえ……り……」
いつも通りに美人な美玲姉はまぁ良い。
だが隣に居るのは誰だ?
「おお、正義君まさかの脈あり?」
「え、ええっ!?」
「…………」
秋音さんが見違えるような美少女に変貌していた。
髪がふわっと柔らかく膨らんでいて毛先までしっかりと整っている。
肌艶も良く、唇に艶があり、野暮ったかった目元がくっきりしている。
シンプルなワンピースの前で組んでいる手を見ると薄くネイルしているのが見えた。
もちろん一日で全てが完璧に変わったという訳では無い。
髪の艶も肌の質もまだまだで、どことなく無理矢理整えている感じがする。
だが今朝までの飾りっ気ゼロの様子と比較すると天と地ほどの差がある。
どうして俺、ドキドキしてるんだ。
これまで女子に対してまともに見るのが照れ臭くなるようなことなんて無かったのに。
「やったね秋音ちゃん」
「あ……うん……」
ぐっ、ヤバい。
そんなおしとやかに照れるのは秋音さんのキャラじゃないだろうが。
もっと激しく『なんでええええ!』とか『いやああああ!』とか叫んでくれよ。
調子狂うなぁ。
「そっかそっか、正義君は『ギャップ』に弱かったんだね」
そういうことなのか?
確かにこれまでと劇的に違ったところに衝撃を受けている感じはあるな。
「正義君、なにか言う事は?」
分かってるって。
びっくりしてタイミング逃しただけだからな。
「すげぇ似合ってる。可愛いぞ」
「ふぇっ!?」
「はいよろしい」
女子を褒めるのは当然のことだからな。
これもまた美玲姉に仕込まれたことだけれど。
「そろそろ中に入りなよ」
自分の家なんだからいつまでも玄関で立ち話ってのも変だろう。
秋音さんから荷物を奪ってリビングへと戻ろうとしたら美玲姉が俺に何かを囁いて来た。
「秋音ちゃんのこと好きになっちゃった?」
「ねーよ」
「え~つまんないの」
そんなこと言われても、俺は秋音さんのことを少なくとも高校生の間は好きになることは無い。
そう決めている。
だって若槻母娘を助けて欲しいって父さんにお願いした時に約束したからな。
『高校生の間は秋音さんと恋愛関係になるな。正義がそれを守れるなら我が家で暮らしてもらおう』
『どうして?』
『彼女は正義に助けられた恩がある。正義が彼女に好意を寄せたら彼女は断れないだろう。しかも同じ部屋に住んでいるとなると彼女は逃げられない』
『…………分かった』
正直なところ、俺が誰かに恋をするなんてあり得ないだろうと思って軽く考えていたが、まさか女子を見てドキドキすることになるなんてな。
でもだからといって父さんとの約束を破るつもりは全く無い。
春華さんと秋音さんが一般的な幸せを享受することこそが俺が一番に望んだ事であり、それを脅しのような形で自分から壊すなんてことは絶対にやりたくないと強く思っているから。
「美玲姉、今日は家で夕飯食べてくれって父さんが」
「マジ? やった。お寿司食べよお寿司」
「そう言うと思ってチラシ用意しておいたよ」
「分かってる~」
チラシとはもちろん出前のことだ。
ネットにも載ってない近所のちょっとお高い寿司屋の出前だよ。
「いやああああああああ! 出前のお寿司なんて食べたら溶けちゃうううううううう!」
「溶けるってことは秋音さんは大トロか」
「かっぱ巻きで!」
「大トロ追加?」
「ひどい!」
そうそう、秋音さんはやっぱりこうでなくっちゃ。
でもこの貧乏感性が無くなって普通になっちゃったら、騒がしさが無くなって彼女にドキドキしっぱなしになるのかな。それともギャップが無くなって何も感じなくなっちゃうのかな。
そのことが少しだけ気になった。
「正義君、人数多いしピザも頼まない?」
「おお、良いね」
「ピジャアアアア!」
「とりあえず一番高い奴で」
「いじわる!」
けれどまぁしばらくはそんな心配をしなくても良さそうだな。