饗応の宴①
饗応の宴の朝、王宮の厨房に向かう潘誕の傍には、華鳥と耀春に加えて、炎翔と胡蝶も付き添っていた。
「父様。今日は頑張って下さいね。大丈夫ですよ。父様の料理ならば、絶対に全ての人を満足させる事が出来ますから。」
励ますように声を掛けて来た耀春を見て、潘誕は思わず苦笑いした。
「お前から、そんな言葉を掛けられるとはな…。お前だって今日が本番だろう。そう言えば…。お前も今夜は宴会場に入れるのか?」
「設営を確認した後は、絵皿が使節団の皆様にどのように評価されるかを見届けなくてはなりませんから…。お陰でこっそりと父様の料理を食べる事も出来ますね。」
そう言って笑う耀春に笑みを返した潘誕は、側にいる他の三人に眼を移した。
それに気づいた華鳥が、笑いながら手を振った。
「私達は、会場には入れませんよ。私達は、病人が出た場合に備えて待機するだけですからね。でも、厨房脇で味見程度の相伴には預かれるでしょう。」
王宮の厨房に足を踏み入れた潘誕は、待っていた料理人達に向かって丁寧に頭を下げた。
「本日は、宜しくお願い申し上げます。俺のような者が料理頭を務める事には、ご不満の方も多いと分かっていますが…。」
そんな潘誕に、王宮料理長が声を掛けた。
「なにを言うのです。今日を迎えるまでの様々な献立のご指導には、全員が感服しています。それにもうお気付きでしょう? 此処にいる者達全て、前々から潘誕殿の店にこっそりと通って、貴方の味を盗もうと躍起になっていたのですよ。今回の事で、貴方様の味付けの秘密の一端を知る事が出来ました。それに皆が喜んでおります。我々こそ、宜しくお願い申し上げます。」
それを聞いた潘誕はもう一度全員に頭を下げた後、力強い声を掛けた。
「本日の料理は、一つ一つ出すのではなく、多くは一斉に会場に供します。温かい料理は、冷めないように気を配らねばなりません。召し上がる方々の目の前で、最後の仕上げや切り分けをする料理もあります。宴会が終わるまで気が抜けません。それでは、宜しくお願いします。」
宴会場の扉が開くと、待ちかねた使節団の群れが一斉に会場へと雪崩れ込んだ。
宴会場に足を踏み入れた使節団の面々は、今迄見た事のない光景に眼を瞠った。
会場のあちこちに篝火が焚かれ、会場全体が昼間のような明るさに包まれていた。
会場の中央に設られた楕円形の大きな卓には、色とりどりの多くの料理が並び、くり抜かれた卓の内側では数多くの料理人が整列していた。
食卓の光景に眼を瞠った使節団の皆は、次に会場の壁に眼を移して驚愕した。
二面の壁全体には大きな木枠が設置され、そこには二つの巨大な山水画が浮かび上がっていた。
その絵画を見遣った人々の口から驚嘆の声が漏れた。
「これは、全てが絵皿だ…。無数の絵皿が組み合わさって、この絵が出来上がっている。」
「本当だ。凄いものだな。青一色の絵だが、まるでこの風景の中に呑み込まれるようだ。」
二つの絵は、一つは遥か遠くまで連なる深山の光景、そしてもう一つには海をのぞむ海岸の光景が描かれていた。
絵の前に立つ者すべてが、壁の向こう側に別空間が存在しているような不思議な感覚に囚われた。
食卓と壁の絵が彩なす光景に使節団の一同が声を失う中、会場内に涼やかな声が響いた。
「羅馬よりはるばるお越しの使節団の皆様。成都にようこそ。暁の代表として皆様に歓迎の言葉を贈ります。短い日数ではありますが、皆様にとって良き日々でありますように。」
声の主は、志耀だった。
羅馬使節団の中で、小さな騒めきが起きた。
「今挨拶をしたのは、暁の帝だよな。帝自らが使節団全員に声を掛けるなんて事があるのかよ。少なくとも、ローマじゃこんな事無いよな。」
そんな会場の騒めきの中、次に姜維が言葉を発した。
「今宵は、皆さんを歓待する為にこの宴を催しました。多くの交流が図れるように、今回の宴は立食形式です。暁の山海の珍味を使った料理を供しますので、存分に味わって下さい。壁に飾られた絵皿は、これら料理を生み出した暁の自然を表現しています。料理を召し上がる際には、各々お好きな皿を棚から取って、中央の卓にお持ちください。担当の料理人が盛り付けを致します。会場内各所に設置されている円卓で、歓談をしながらお召し上がり下さい。」
華真の言葉が終わると、使節団の面々は一斉に壁の絵皿に向かって殺到した。
「凄えぞ。おい、この海老を見てくれ。さっき目の前で料理人が料理してくれた。生きたままの海老の殻を掻っ捌いて壺に入れたと思ったら、その中に酒をぶっ掛けて蓋をしたんだ。壺の中でびんびんと跳ねる音がしたぞ。口に入れるとぷりぷりの歯ごたえが堪まらんぞ。」
「そうなのか? しかしこの豚の煮付けも凄い。これを見てくれ。匙の端で肉がさっくりと切れる。しかも今まで味わった事の無い香辛料で煮つけてあって、舌の上で蕩ける。」
料理に夢中になっている使節団の皆を横目に、マルクスは会場の一角に佇んだまま、手にした絵皿に眼を落としていた。
そんな姿を見た司馬炎が、流暢なローマ語でマルクスに声を掛けた。
「どうされました?料理には、手を付けられないのですか?」
いきなり声を掛けられたマルクスは、ようやく我に返った表情で顔を挙げた。
顔面全体に包帯を巻き片目に眼帯を装着した司馬炎の風貌に驚きながらも、マルクスは司馬炎に拝礼をした。
「この絵皿に見惚れていたのです。描かれた絵も美しいが、この皿の手触りが凄い。滑らかで指に吸い付くようだ。」
「陶芸師達が日日精進した成果ですよ。羅馬にはこのような陶器は無いのですか?」
司馬炎に問われたマルクスは、もう一度手にした皿に眼を落とした。
「見た事もありません。ローマに持ち帰れば、この皿一枚に金貨十枚以上の値がつくでしょう。クイントスが言っていました。絵皿を組み合わせてこのような壮大な風景画を描くなど、とても信じられぬと。ローマにも壁画は多く有りますが、このような緻密に計算された壁絵は、私も初めて観ます。」
それを聞いた司馬炎は、笑みを浮かべながらマルクスを中央の食卓へと誘った。
「過分なお褒め恐縮です。しかし、皿とは本来は料理を盛る物ですぞ。」
そう言った司馬炎は、目の前の料理人に指示を送った。
すると料理人は、食卓の大皿の上にある大きな鶏の炙り焼きに包丁を入れ始めた。
マルクスから受け取った絵皿に料理人が、鶏から削ぎ落とした皮ばかりを盛り付けるのを見て、マルクスは怪訝な顔をした。
「中の肉は食べないのですか?」
「勿論それも食べますよ。しかしこの料理は、この皮の部分が最も美味いのです。」
そう言った司馬炎は、鶏の塊の横に置かれた皿に向かった。
そして蒸し麺麭と茶色の餡が載った大葉を、各々幾つか白い取り皿に盛った。
その後、会場のあちこちに設置されている円卓の一つにマルクスを案内した。
司馬炎は、平たい蒸し麺麭の上に餡が乗った大葉を乗せ、更にその上に削いだ鶏の皮をたっぷりと乗せるとそれを二つに折り畳んだ。
どうぞ、と司馬炎に差し出された麺麭を受け取ったマルクスは、それを齧るなり思わず手を停めた。
鶏の皮から溢れ出る脂と旨味が、餡の甘みと絶妙に絡んで口の中で踊る。
それに大葉の爽やかさと麺麭の香ばしさが重なり、飲み込むのが惜しくなる味わいだった。
「これは…凄い…」
頬を緩めるマルクスを見て、司馬炎がにこりと笑った。
その二人の側に、酒瓶と酒杯を両手に持った華真が歩み寄った。
「マルクス殿、こちらの酒も是非賞味して下さい。」
そう言いながら、華真は陶器の杯に酒を注いだ。
勧められるままにその酒を口に含んだマルクスは、思わず咳き込んだ。
「これは…。何とも強烈な酒ですね。いや…。しかしその後に芳醇な味わいが残る。これは相当に上等な酒ですな。」
「火酒と言います。酒精が強いので飲み過ぎると悪酔いしますが、味は悪くないでしょう。暁では、賓客を持て成す際には必ず出される酒です。あちらには、黄酒という酒も揃えています。まろやかで酒精も強くないので、酒が強くない方でも安心して召し上がれますよ。」
華真にもう一度火酒を勧められたマルクスは、一礼すると酒杯を下げた。
「有難いのですが、これ以上頂くと交渉に差し支えます。酔ってしまう前に、もう一度華真殿とお話をさせて頂きたいのですが…」
マルクスの言葉を聞いた華真は、既にそれを予想していた顔になっっていた。
「おや、饗応の席でも、まだ交渉事が有るのですね。何でしょうか。お伺いしますよ。」
マルクスが華真と話し合いの姿勢に入ったのを眼にして、クイントスとミアケスが二人の側に歩み寄って来た。
それを見た司馬炎が、近くにいた暁の文官を呼び寄せた。
「大勢を前にして話し合う内容ではないようだ。直ぐに部屋の準備を…。それと徐苑殿を呼んでくれ。」
宴会場から少し離れた会議室に場所を移すと、早速マルクスが口を開いた。
「素晴らしい饗宴、心より御礼申し上げます。しかし我ら代表には気掛かりが残っています。それが確認出来なければ、この宴の料理も充分に堪能出来ないのです。」
「それは困った事です。折角の宴ですから、代表の皆様にも是非楽しんで頂きたいのですが…。それで…。気掛かりとは何でしょうか?」
華真から促されて、クイントスが口を開いた。
「本日、帝からローマとペルシャの間の紛争を収める為に、暁が間に立つとのお言葉がありました。大変有難いお言葉のですが、二国を和平に導く為に、暁はペルシャに何を提案されようとお考えなのでしょうか?」
クイントスの問いに、華真は無表情のまま答えた。
「その事であれば、皆様は既に察しておられるのではありませんか?」
あっさりと切り返されたクイントスは言葉に詰まったが、思い直したようにもう一度華真を見た。
「シルクロードの中間に位置するペルシャが、絹を運ぶ隊商から通行税を得る提案を考えておられるのではないですか?」
それに華真が頷くのを見て、クイントスは顔を顰めた。
「そうであれば、確かに二国の和平の為には素晴らしい提案かもしれません。しかし、それはローマにとっては、簡単に受け入れられる提案ではありません。」
クイントスの言葉に、華真は首を傾げた。
「ほぅ…。なぜ受け入れられないのですか?」
「通行税を受け入れると言うことは、ローマがペルシャに対して頭を下げるという事も意味するのです。宿敵に対して一部とは言え頭を下げるなど、皇帝陛下も他の重臣達も簡単に同意されるとは思えません。」
クイントスの言葉を聞いた華真は、目の前の三人の使節団代表に対して冷徹な視線を向けた。
「皆様は、皇帝陛下から直々に指名された使節団の代表である筈。それにも関わらず、皇帝陛下の英邁さを信じておられないのですか?」
華真にそう言われた三人は、一斉に座った席から立ち上がった。
「何を言われるのです。我らは、いや使節団全員が、皇帝陛下に忠誠を誓っています。それは皆が陛下の英邁さに敬服しているからです。」
その言葉を聞いた華真が、三人を宥めるように手で制した。
「それならば、勝手に自分達の思い込みに陥らない事です。皇帝陛下にありのままをお伝えすれば良いのではないですか。」
華真の言葉に戸惑ったように顔を見合わせた三人を前にして、華真は言葉を添えた。
「未だ不安ならば、一つ情報を差し上げましょう。今回の通行税ですが、税の三分の二は暁で負担します。波斯国が法外な金額を要求して来るようなら話は違って来ますが…。しかしながら、羅馬と暁の二国が揃って臨めば、そんな事にはならないでしょう。」
そう言われた三人は、信じられないと言う眼で華真を見詰めた。




