第8章 第3話 踏み出せない一歩
江草明里とと俺は、特別仲がいいわけではない。俺が女子と話すと早苗が怖い顔で見てくるし、向こうも積極的なタイプではない。だから普段話すわけではないのだが、超絶おせっかい女。山村幸子がやたらと仲良くさせようとしてくる。
その理由はただ一つ。俺と江草さんが、両方脚に障害を負っているからだ。だから何だという話だが、奴にとってはそれが重要らしい。適当に受け流しているが、とてつもなく面倒だ。
というわけで決して知らない仲ではない。だが……。
「江草さんは応援団入りたかったんだ」
「別に。山村さんに無理矢理入れられただけ」
こうやって2人で話すのは、中々しんどいものがある。放課後に小中高大の応援団員の集まりがあったから仕方ないんだけど……。申し訳ないけど俺はコミュ力が高くない。この学校に入るまで友だちなんていなかったから。向こうから積極的に話しかけてくれないと困るんだよな……。前に杏子さんにも言われたが、敵ではない相手と話すのはやはり苦手だ。
「それよりも、押さなくていい。自分で動かせるから」
「そう……」
一応気を遣って車椅子を押していたのだが、必要ないようだ。カバンに入れていた杖を伸ばして突く。
「……あなたは車椅子乗らなくていいの?」
「ああ……別に俺はなくても歩けるから。それに車椅子は案外腕が疲れるからな……」
「電動なら疲れない」
「室内だと使えないしな……。重くなるとやっぱり取り回し悪くなるし俺はいいかな」
どういうことだろう。俺が想像していた江草さんよりかなり饒舌だ。彼女も気まずいのだろうか。
「……須藤君は偉い。周りに迷惑かけないようにできて」
だが次の言葉を聞き、そうではないことがわかった。
「別に迷惑とかは……多少思うけどさ。迷惑かけてない人間なんていないし、失礼かもしれないけど……障害も個性だと思ってるから。ほら、頭が悪い奴や性格が悪い奴だっているだろ。頭が悪ければできることができないし、性格が悪ければ周りを不快にさせる。でも生きてちゃ駄目なんてことはない。それに俺は障害者っていう概念じゃなくて須藤ジンって人間だからな。脚が悪いことが俺の全てじゃない。江草さんだってそうなんじゃないの?」
たぶん江草さんは、共感してほしいんだ。同じ脚にハンデを持つ人間として。周りから勝手にくっつけられれば腹が立つが、当人たちじゃないとわからない苦しみもある。それを分かち合いたいだけなのだろう。だから俺は正直に告げたが、江草さんがほしかった言葉はそうじゃなかったようだ。
「……須藤くんは恵まれた環境にいるんだね。そんな考えができるなんて」
「……まぁな」
思わず元家族のことを言いそうになったが、今現在。俺は恵まれた環境にいる。これを否定してはいけない。
「……私の家族は私のことを迷惑だと思っている。親が私から目を離したから車に挟まれて動かせなくなったのに。電動車椅子を与えて、学校の寮に入れて厄介払い。私も須藤くんのように、理解してくれる家族がほしかった」
そう語る江草さんの表情は何も変わらない。ずっと無表情に見えるし、ずっと抑揚のない声でしゃべっている。でもその内心はそうではないのだろう。
普段の俺ならたぶん、努力しろと言っている。自分が認められるように努力しないで周りに責任をなすりつけても何も変わらないと。
でもそんなことを言っても何も変わらないだろう。今日初めて話したと言っても過言ではない俺が偉そうに語ったところで不快にさせるだけだ。それに脚が動かないという苦しみは、俺もよく知っている。
「俺はさ、左脚の膝から下が動かしづらい。医者はこれ以上良くなることはないって言ってるし、まぁそれは仕方ないと諦めてる。江草さんは?」
「……私は両膝から下が、完全に動かない」
初めて江草さんの表情に陰りが見えた。言いたくなかったのだろう。自分の状況を。
「そっか。で、江草さんは何がしたいの?」
「何がしたいって……?」
「脚が動かなくたってできることはいくらでもあるだろ。やりたいこととかないの?」
「……特にない。考えたことも、ない」
「俺のやりたいことは、俺自身が徹底的に幸せになること。そして恵まれない人の環境を整えて全員を幸せにすることだ。だから江草さんのことも幸せにしたい。できないこともたくさんあるだろうけどさ、それを嘆いても幸せにはならないだろ。何かしたいことがあったら言ってくれ。俺ができる限り協力するから」
「……わかった」
結局このやり取りに何か意味があったのかはわからない。俺は全部が全部素直に言ったわけではないし、江草さんも同様だろう。
所詮人生なんてそんなものだ。できることなんて限られてる。だからとりあえずはこれでいいのだと、思うことにした。