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第7章 第9話 ゴミの返事

 俺の腕の中から人は消えない。ただ変わっただけ。俺に包まれていた人から、俺の胸ぐらを掴む人へと。



「早苗の幸せ? 斬波の幸せ? みんなの幸せ? そんな奴らどうでもいいでしょっ!? まずは自分が幸せになってから言えよっ!」



 アクアが叫ぶ。自分勝手なことを。俺だけのために。



「知ったようなこと言うなよ……俺は今幸せで……」

「はぁっ!? 全然そう見えねぇから言ってんだよ! 幸せな人間ってのはなぁ、あーしらクズ家族みたいな周りを踏み台にして他人の幸福をかっさらって浴びる馬鹿のことを言うんだよ」


「俺に……お前らみたいになれって言ってんのか……?」

「そういうの得意でしょ? なんせお前にはあーしらと同じ血が流れてんだから」


「ふざけんな……! お前に俺の何がわかるってんだよ……!」

「知るかよ。あんたのことなんて全然記憶に残ってない。でも……あんたの全部を憎んで、幸せを夢見ていたあの目は、覚えてる。あんたの目指した夢はこれなの? 周りに気を遣って、誰かを幸せにするために努力して。それが叶ったの? 違うでしょ」



 ずっと。ずっとだ。ずっとアクアは自分勝手なことを言っている。自分の幸福を基準にして語っている。そんな奴の言葉なんて聞く価値もない。



「せっかくの逆玉じゃん。もっとわがまま通せよ! この馬鹿女はあんたにベタ惚れしてるから多少の無茶なら効くし、あんたのメイドもめちゃくちゃ使えんでしょ!? もっと好きなようにしていいんだよっ!」

「そんなわけないだろ……! 俺は拾ってもらったんだ……買ってもらったんだよ……! そんな俺が……努力を辞めるなんて……!」


「努力? 勉強すること? 病気を誰にも話さず治そうとすること? なにそれ。それが幸せな人間のすることなんだ。へーえ」

「……元はと言えば! 全部お前らのせいだろうがぁっ!」



 気がつけば俺は。逆にアクアの胸ぐらを掴み、泣き叫んでいた。早苗の前で、自分のために。暴力を使っていた。それでも止められなかった。



「全部……全部! お前らが悪いんだろ!? お前らのせいで俺はしたくもない努力をして……幸せになるために努力するしか……俺にはできないんだよ……! お前らさえいなければ……俺はもっと……幸せに……なれたのに……。全部お前らが悪いんだよ……!」

「……言えたじゃん」



 俺に胸ぐらを掴まれながらも、アクアは。生まれて初めて見る、穏やかな笑みを浮かべていた。



「そうだよ……それでいいんだよ。私を許す? 時間が経てば家族に戻る? 無理でしょ。そんな私にまで気を遣わなくていいんだよ。死ねって思ったら死ねって言えばいい。許す必要なんかない。良い人なら許せるんだろうけどさ……悪いけどあんたも私たちと同じクズ人間だから。そんであんたの大切な人はあんたがクズでも許してくれる。だったらいいでしょ……今まで苦しかった分、幸せになったって」



 そして穏やかな笑みを浮かべながら、その瞳からは。アクアは涙をぽろぽろと垂らしていた。



「塵芥……今までごめん。ごめんごめん……ごめんなさい。こんなこと言いたくなかったし考えてもこなかったし聞きたくないだろうけど……ごめん」



 無意識に掴んでいたアクアの胸ぐらを、俺は無意識に離していた。空になった俺の腕の間には、水滴が零れ続ける。



「こんなの言い訳だけど……環境が変わって。私も拾ってもらって……嫌でも考えるようになった……あんたのこと。今までひどいことをしてたって……でも具体的に何が悪かったのか……何をすれば変われたのかはわからなかったし……考えたくなくて……でもどうしても考えなくちゃいけなくて……。柄でもなくプレゼントを贈ろうかと思ったけど……何を贈れば喜んでくれるかなんて……全然、わからなくて……。絶対、いらなかっただろうけど……ネクタイつけてくれて……うれしくて……でもそんなこと言えなくて……。もう、全然、わかんないから……謝り方も……伝えたいことも……私……馬鹿で努力したことなんかなかったから……。でも……今こうやって謝れて……よかったと……思ってる……勝手だけど……それで……私は……!」



 今度は意識的に。俺はアクアへと手を伸ばしていた。俺も同じだ。何をすればいいかなんかわからない。それでも手を伸ばさなくちゃいけないと思って、手を伸ばす。だがその手はアクア自身によって振り払われた。



「あんたが掴む手は私じゃないでしょ……?」

「アクア……俺は……」


「……ねぇ知ってる。本邸で聞いたんだけどさ……あんたの彼女。許婚がいたんだってさ……」

「……は?」



 早苗を見る。狼狽えていた。明らかに動揺していた。



「ちっ……ちがっ……それは寺門さんが勝手に決めて……パパが断ってくれて……一度会ったくらいで何も関係は……!」

「それでもその相手、乗り気だったんでしょ。しかも有名な医者一家で結婚できれば園咲家はさらに資産を増やせるって。武藤家の人言ってたよ。馬鹿な娘が悪い男に引っかかったって」



 アクアの言っていることが。それが事実だとしたら。俺の存在が、早苗の幸せを潰している。



「井坂家だったっけ……? 残念だけど塵芥……あんたがどれだけ努力しようが、そいつと結婚した方が、絶対に早苗は幸せになれる。あんたの周りの人たちは絶対に喜ぶ。それを聞いて……あんたどうすんの。何を選ぶの。その手は何を、取るの」



 俺がいなくなれば早苗は幸せになれる。そうしたら斬波は俺と結婚できるかもしれないし……俺を救ってくれた義両親や姉妹だって……。俺さえ、我慢すれば。不幸になれば。みんなが幸せに。



「嫌だ……」



 それでも俺の答えは、環境を整えみんなを幸せにするという自分の夢を否定するものだった。



「早苗……幸せになるのを諦めて……俺を幸せにしてくれ……」



 そしてその根本は、俺が早苗に惚れた時と同じものだった。そう……初めからわかっていたのに。ずいぶん遠いところまで来てしまった。



「ふふ。何度も同じ答えは返したくないですよ。これで三度目です」



 俺の手はアクアを掴むことはなく。早苗を抱きしめることしかできなかった。

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