第7章 第8話 クズの主張
〇ジン
大丈夫だ。何も怖いものはない。俺には早苗がいる。俺を幸せにしてくれると言ってくれた早苗が。
だからこれは幸せになるための過程。早苗が用意してくれた環境。なら何を不安がる必要がある。早苗を抱いている俺は無敵としか言いようがない。大丈夫。問題ない。
「……アクア。お前の言葉を聞いてやる」
「あぁ……そうだね。思ってたこと素直に言わせてもらうわ」
斬波と未来さんを背中に回し、アクアが一度手で顔を覆う。
「昨日とか……正直。あんたに気を遣ってた。一応悪いとは……思ってたからさ。でもそういうのは……もういいや」
そしてアクアの顔が露わになり、俺とよく似た鋭い瞳が俺を捉える。
「お前、気持ち悪い。生理的に無理だわ」
「……は?」
てっきり。謝られるものかと思った。涙ながらに、嗚咽混じりに。それで俺が場合によっては高校に入るのを認めて……少しずつ時間をかけながら許していければいいやと、思っていた。それなのに。
「今まで何となく嫌ってたけど、理由がわかった。普通に嫌い。気持ち悪い。ありえない」
アクアの言葉は罵声と言う他なかった。
「アクアさん、私は反省してくださいと言ったはずですっ!」
「反省したから言ってんでしょ? 改めて自分がやってきたことと、こいつの現状を考えてみて。それで気持ち悪いって言ってんの。あんたが望む言葉が出なかったからってキレんなよお嬢様。私はそんなに善人じゃない」
俺の腕の中で吠える早苗にも酷い言葉を吐き、アクアがゆっくりと近づいてくる。
「普通に考えてみてよ。彼女がいないと何もできない、抱きかかえてないと喋れない。そんな奴が気持ち悪くないとでも?」
「おい――!」
俺と早苗の間に斬波が立つ。顔こそ見えないが、後ろ姿だけでその怒りの強さは伝わってくる。
「あんたいい加減にしなよ。ジンと早苗を傷つけるようなら私だって……!」
「はっ。あんたが言ったんでしょ? そいつを助けろって。だからやってやってんじゃん。つーかさ、あんたらが甘やかすから病気になったんじゃないの? ねぇ早苗様。あんたのせいでそいつ精神病になっちゃったんだって。あんたがいないと不安でしょうがないメンヘラになっちゃったんだってさ」
俺の腕の中で、身体が震える。
「私のせいで……病気に……?」
そして自責の念で死にそうな瞳が、ゆっくりと振り向いた。
「ちが……ちが……! 斬波っ!」
「ちがっ……私もそんなつもりじゃ……!」
「ごめんなさい……ジンくん……。私のわがままのせいで……ずっと一緒にいてほしいって……。それでジンくんが不幸になるのなら……私は……」
俺の腕の中から、俺がこの世で一番大切な存在が零れ落ちる。その瞬間、脳が激しく揺れ動いた。
「ちがう……違うんだよ……! 早苗は悪くなくて……俺が悪いんだよ……!」
血が逆流する。脳が回転する。それでも思考ができない。何を言えばいいのかわからず、それなのに言葉が口から吐瀉物のように溢れてくる。
「俺が全部悪くて……幸せすぎて絶対手放したくなくて……! それで俺が勝手に俺がおかしくなってるだけだから……むしろ俺が……駄目だ……別れよう……! 俺じゃあ早苗を幸せにできない……! 無理だ……無理なんだよ俺じゃあぁぁ……! 勉強も全然駄目で……脚も……何もかも……俺が悪くて……俺が……俺が悪いんだよぉぉぉぉ……!」
何も考えられない。涙と言葉が溢れて止まらない。気持ち悪い。逃げ出したいのに脚が動かない。死にたくて仕方ない。
「大丈夫――」
そんな俺の腕の中に、誰かが入ってくる。温かくて、不快な、誰かが。
「――塵芥は悪くない」
世界で一番好きな人の代わりに、世界で一番嫌いな人が入ってきた。
「いつも変なことばっか考えて! 自分がゴミだって自虐して! それがあんたの自分を守る手段なのかもしれない。それについて何か言うつもりはないよ。でもこの人生はあんたのものだろ! あんたの幸せのために周りを犠牲にしろよ! それが人生でしょっ!?」
この主張は。早苗が俺に告げてくれたものとよく似ていて、それでいて真逆。
「周りが全員あんたの幸せを願ってるのに! 自分でそれを捨ててどうすんだよ! 須藤塵芥っ!」
どうしようもないクズの妹からの、俺への想いだった。