第6章 第6話 嘘
「なぁここ……高いんじゃないの……?」
「そんなでもないよ。2人合わせて私の日給いかないくらい」
「いやつまり高いんだけど……!」
夜。私は駅前にあるフレンチレストランにジンを連れてきていた。実際そんなに高くないし、高くする意味がない。ジンに味の違いなんてわかるわけないし、景色にも興味がない。ていうかうちより良いところも早々ない。
じゃあなんで連れてきたかというと、私がジンと一緒に行きたかったからだ。
「パーティーには早苗のおじいちゃんや私のお父さんも来るんだから。こういうとこでマナーを覚えとかないとね」
相変わらず私は最低だ。早苗にキスをした時から何も進歩していない。
「ほら、これにマナー載ってるから覚えてね。私に恥をかかせないでよ?」
「ああ……わかった」
コースメニューを食す際のマナーが書かれたサイトを開き、スマホをジンに渡す。ジンの地頭は決して良くはないし、不器用でまだ箸をちゃんと使えない。それでも私に恥をかかせないよう必死にマナーを頭に叩きつけるジンを見て、私の口角は思わず上がってしまう。
そしてマナーを学んだジンはほとんど完璧だった。フォークやナイフの使い方、ナプキンの取り扱い、様々な所作。ぎこちなさはあるし、私から見たらまだまだだけど、書かれていた内容は完璧にこなせていた。
それでも表情は偽れない。野菜や味の薄いスープに苦しみ、肉料理やデザートにはわかりやすくテンションが上がっていた。その仕草があまりにもかわいくて、今日ここに来てよかったと心から思った。
「美味かったな。ありがとう、斬波」
「いやいや。これくらいなんてことないよ」
食後のコーヒーを口に含み、苦い顔を隠しながら思ってもいないことを言うジン。からあげにごはんとかの方が絶対好きなのに。必死にかっこつけてるよ。ほんとにいいなぁ……。
「ねぇ……ジン。手出して」
私がそう言うと、ジンが両手を差し出してくる。
「これ、少し早いけど誕生日プレゼント。高かったから大事にしてね」
私はジュエリーショップで指輪を買っていた。ジンの指のサイズなんてとっくに確認してある。そこでちょうどサイズがあったものを購入した。
5月の誕生石、エメラルドが目立たないよう入ったシルバーの指輪。本当ならちゃんとオーダーしたかったけど仕方ない。そもそも買うつもりなんてなかったから。そんなつもりなんてなかったのに、気がついたら買っていたから、仕方ない。
「いや指輪なんてそんな……」
「もう買っちゃったんだから仕方ないでしょ? 受け取ってよ」
そして私はジンの左手をとり――固まった。
「何やってんだ私……」
薬指に指輪を嵌めようとした手が震える。こんなことをしても意味なんてないのに。ジンが私と付き合ってくれるはずがないし、早苗を裏切ることにもなる。そんなこと初めからわかってたのに、なんで私は……。
思えば今日一日ずっとそうだった。どうして脚に密着するスキニーパンツを履かせた。どうしてジンを歩き回した。どうして苦手だとわかっているフレンチなんか食べさせた。
自己満足。全部自分のために、ジンを人形のように扱った。
ジンだけじゃない。早苗にも失礼なことをした。私は早苗を好きだと言った。それなのにジンも好きで、奪うような真似をして。それでもまだ早苗が好き? そんなことを口走れるものか。
今までは私一人が苦しいだけだった。でもそれに耐えられず、ジンに救ってもらった。その恩を私は、2人も一緒に苦しめることで返そうとしていた。最低だ。最低すぎて反吐が出る。
「今斬波が思ってることを当てようか?」
正気を取り戻した私が固まっていると、ジンが口を開いた。
「早苗のことが好きなのに俺に指輪買っちゃってしまったーって思ってるだろ」
「……正解。さすがだね」
残念、はずれだ。ジンは私が早苗だけを好きだと思ってるから答えなんて出るわけがない。キスしちゃうくらいには好いているとは思っているかもしれないけど、どうせキス魔くらいにしか思っていないだろう。
「……ねぇ。たとえば早苗がさ、私もジンも好きでどっちでも付き合いたいですーとか言い出したらどうする?」
「斬波のアタックが成功したら? あー……それは少し嫌かもな。やっぱり俺は一番がいい。だからがんばって俺だけを好きにさせるよ」
「……じゃあジンが私も早苗も好きになったら?」
「んー……。がんばって2人と付き合おうとするかな。どっちか選べないなら、どっちも好きにさせるし認めさせる。まぁありえないと思うし……どっちも幸せにするって誓ったから似たようなもんかもしれないけど」
そうだよね。ジンは努力できる人だから。早苗も自分が欲しい物なら何をしてでも手に入れようとするだろう。でも私にはやっぱりそれは無理だから。
「左手の小指の指輪は。恋の成就を願うって意味になるんだって。ジン、がんばってね」
結局いつもの通り、嘘をつくことしかできなかった。