第4章 第3話 本音
園咲家本邸での初日はつつがなく終了した。早苗は新メイドの選考、斬波をその補佐として貸し出し、空いた俺は姉妹たちとおしゃべり。あっという間に時間は過ぎ、3人1部屋に就寝する。はずだった。
「ジン、お父さんが呼んでる」
「……へ?」
ちょうど時刻が12時を回った時。斬波にそう言われた。そして指示の通りに本邸の1階。馬鹿みたいに拾い庭を望むことのできる縁側へと向かった。
「お……お待たせしました……」
「ん」
「夜遅くに悪いね」
「どうぞこちらに」
そこにいたのはおじいさんにお義父さん。そして斬波のお父さんという、何ともまぁ豪華すぎる面子。場違い感が半端ない……。
「失礼します……」
お父さんに促され、縁側に腰かける。脚の都合上正座や胡坐はきついが、お偉いさんたちが座布団に座って高そうな日本酒を飲む中こうしていると気まずいなんてレベルじゃない。
「それで……どうされました……?」
「…………」
控えめにそう訊ねると、おじいさんは座布団から下り、
「寺門の件はすまなかった」
俺に対し、土下座した。
「い、いえ……! 顔を上げてください……!」
俺と早苗を誘拐し、殺害しようとした寺門。確か元々はおじいさんの付き人だったんだっけか……。でもおじいさんは関係ないはずだ。
「……あれはな、真面目すぎたんだ。君のような若者にはわからないだろうが、歳を食うとな。昔が輝いて見えるんだ。都合の悪い事実を記憶からなくし、楽しかった思い出だけが記憶を占める。それが長生きする秘訣でもあるが、若者に押し付けるのは間違っている。これだから最近の若者は……と我々老人はよく言ってしまうが、我々もよく言われたものだ。……話が逸れたな。寺門に代わり謝罪する」
初対面の寡黙な雰囲気はどこへやら。酒を飲んだからか、ずいぶんと饒舌だ。
「いえ……その言葉は私より早苗さんにするべきだと思います。私などはただ早苗さんを悪漢から守ろうとしただけ。ですが早苗さんにとっては寺門さんも大切な人でした。今も尚、こうするしかなかったのかと胸を痛めているはずです」
「早苗……か。あいつは優しすぎるな。まったく誰に似たんだか……おっと。今のはシューラさんを批判したわけではないぞ、龍」
「わかっているよ、父さん。優しいのは美徳だからね」
早苗はお義父さんとおじいさんは仲があまりよくないと言っていたが……見た感じそんな風には思えない。早苗の勘違いか……?
「ジンくん……でいいかな」
「は、はい! そう呼んでいただけるとうれしいです!」
「ジンくんもどうだい? 一杯」
「いえ……未成年なので……」
「ははっ真面目だな。龍がこのくらいの時はずいぶんやんちゃしていたが……」
「時代が違うよ、父さん。それに、それこそ昔の話だ」
「儂にとっては昨日のことのようだが……波郎。確か未成年が飲んでも問題ない甘酒があっただろう。注いでやれ」
「かしこまりました」
斬波のお父さんが指示に従い、おちょこに甘酒を注ぐ。
「どうぞ、ジン様」
「あ、ありがとうございます……」
ジン様……ということは仕事モード……ってことでいいのか?
「それじゃあ乾杯をし直そうか」
「は、はい!」
おじいさんに促され、右脚だけで移動して4人でおちょこを突き合わせて甘酒を喉に流し込む。……うまっ! ここが本邸じゃなければ叫んでいたところだ。
「ではジンくん、そろそろ本題に移ろうか」
「は、はいっ!」
「そんなに緊張しなくていい。酒の席は無礼講だ。なんて言っても難しいだろうが」
「はぁ……」
本題、と言ったらあれしかない。せめて自分から言わせてもらおう。
「おじい様! 斬波さんのお父様! お孫さんと娘さんを私にください!」
「堂々と二股宣言とは恐れ入ったな」
「い、いえ……そうではなく……」
まずい、初手でしくった。えーと、何て言おうか……。
「早苗さんはつ、妻として……。斬波さんは私の付き人として……いただきたいというか……」
「儂は構わんよ。もう夫婦のことでごちゃごちゃ言うのは龍の時で飽きた。問題は……」
「斬波のこと、ですね」
斬波のお父さんが座る向きを変え、俺の正面に座る。
「自分で言うことではないでしょうが、斬波は自慢の子でした。代々園咲家に仕える武藤家の当主として文句一つない出来に育ってくれた。それなのになぜ、早苗様の付き人を辞めあなたの付き人となったのか。教えていただけますか」
……やっぱり怒ってるよな。それに斬波の早苗への恋心も言うわけにはいかない。さて、どう言うべきか……。
「申し訳ありません。私は斬波さんの能力については一切の考慮に入れておりません。私は須藤ジンという人間として、斬波さんと共にいたいと思った。それは恋人ではなく、友人として。親友として。信頼できる一人の人間として、です。そしてそれを斬波さんにも納得していただきました。どうかお父様にもご理解していただければと思います」
……あれ? おかしいな……なんか頭ふわふわしてきた。まだ12時なんだけどな……。
「ジン様のおっしゃっていることはよく理解しました。斬波が納得していることも態度から頷けます。だが旦那様の前で言うことではないが、斬波は早苗様の付き人でいれば安泰だった。将来も結婚相手も武藤家も。一つだけ問いたい。君に斬波を幸せにできるのかと。それが誓えないのなら、大変申し訳ないのですが、斬波を解放していただきたい」
「それは……そうですね……」
駄目だ……思考がまとまらない。脳を言葉が循環していくだけ。意味のある文章にはならない。
「ジンくん、僕からも一ついいかな」
「……ふぁい?」
お義父さんがおちょこに入っていた酒を一気に飲み干し、俺を見る。
「まだ1ヶ月だが、僕は君と家族の一員として過ごしてきた。善人ではない。常識もない。それでも早苗を充分託せると思ったよ。君なら何があっても早苗を幸せにしてくれると、心の底から思っている」
「ありがとう……ございます……」
「だけど人には限界というものがある。本当は僕も全てを手に入れたかった。妻も、子どもも、会社も、園咲家も。だがそれは無理があった。僕にできたのは家族を守り、会社を大きくすることだけだった。園咲家のことまでは面倒を見切れずここから逃げ出したし……寺門さんの暴走を止められなかった」
「そんなこと……ないですよ……」
「つまり僕が言いたいのはこうだ。早苗と斬波さん。2人を幸せにすることができるのか。それに君は僕に話してくれたね。夢のことを」
「はい……俺は……色んな人の環境を整えて……みんな幸せになってほしい……。この本邸だって全然バリアフリーじゃないし……優しくないからぁ……」
「それは素晴らしい夢だ。応援したいと思う。だが全てを叶えようとするのは少し、よくばりなんじゃないかって思うんだ。まずは一つずつ。幸せを一つずつ掴み取っていく、というのも悪くないんじゃないかな。別に斬波さんを早苗の元に返せなんて言うつもりはないけど、まだ出会って1ヶ月だ。もう少しゆっくりと考えてみるべきだと思う」
「しょ……ですね……」
言われて頭によぎるのは、俺の元家族のこと。確かにあいつらまで幸せにしたいなんて思うのはよくばりだろう。嫌いだし。大嫌いだし。でも……もしちゃんとした家族になれたら……俺は……。
「う……うぅ……!」
「ジンくん!? どうして泣いてるの!?」
「俺は園咲家に拾ってもらって……家族にしてもらえて……すごい幸せです……! だから色んな人にも俺と同じように幸せになってほしくてぇ……!」
「飲ませたの甘酒だよね!?」
「わかってる……わかってますよ……! 俺にできることなんて何もないってぇ……!」
「間違いなく度数1%未満です。未成年でも飲んで問題ないのですが……きっと弱いんですね。とりあえず斬波を呼びます」
「でも……家族だけは……早苗と斬波だけは……絶対に幸せになってもらいたいんです……! 俺じゃなきゃ幸せにできないんです! だから……俺が……俺がぁ……!」
「ちょっとジン!? お父さん! 私の主に何したの!?」
あれ……? 斬波の声がする……。
「きりはぁ……俺が幸せにしてやるからなぁ……」
「はいはい。もう充分幸せだよ。ジンと早苗がいるからね」
なんか誰かに背負われた気がする。すごい……温かい……幸せだ……。
「斬波……本当にその人でいいのか。悔いはないのか」
「さぁ、どうだろうね。現状は最高だし、駄目になったらジンの方から解放してくれると思うよ。そうならないために私がいるんだけど」
「……わかった。お前が決めたのなら何も言わない」
「……ごめんね、お父さん。期待通りの娘になれなくて。でも私、幸せになるから。挨拶はまた今度。次は一緒に、ね」
何か話している声が聞こえ、遠ざかっていく。そして暗い部屋に連れられ……。
「あれ……早苗は……?」
「……私、言ったよね。寝る前に誰かにキスしないと駄目だって。だから……ジンが悪いんだよ」
何かが口の中に入ってくる。幸せだけど……嫌悪感。ほんとはそんなはずないのに……。
「……駄目だ。やっぱり私、悪い子だ」
「だいじょうぶだよ……俺は受け入れるし……早苗にもちゃんと話せば……」
「何もわかってないくせに……。でも……大丈夫。全部話す覚悟はしてきてるから。……捨てられる覚悟もね。だからここに来たわけだし……」
再び揺られ、今度はちゃんと部屋に戻れた気がする……。
「ジンくん!? どうしたんですか!?」
「さなえ……さなえぇ……」
あぁ……一番幸せだ……。
「絶対に幸せにするからな……早苗も……斬波も……」
「抱きっ!? ジ、ジンくん……い、一緒に寝ましょうね……?」
「さなえ……すき……すきぃ……」
「わひゃぁ……。わ、私も大好きですよ……。あ、やば、かわいすぎますぅ……」
何が何やらわからないが。今がすごい幸せで、とても幸せだった。