第1章 第4話 立場
「ジン様。朝食のお時間です」
朝5時から斬波に園咲家のことを聞くこと3時間。8時になった途端、さっきまで眠そうな目で話していた斬波がキッと目を吊り上げてそう言った。
「勤務開始ってやつか?」
「その通りでございます。会場までお送りしますのでどうぞお座りになってください」
なんか今まで普通に話していた分やりづらいが……仕事である以上仕方ないだろう。車椅子に乗り、最上階へと向かう。
「ジンくんっ。おはようございます!」
「おはよう、早苗」
朝食会場の大部屋前に到着すると、白いブラウスと黒いスカートといういかにも清楚なお嬢様感のある服装の早苗が笑顔で出迎えてくれた。
「脚の調子はいかがですか? まだ痛みますか?」
「まぁ痛むけど……大丈夫。赤ん坊の頃から虐待受けてたから痛みには強いんだ」
「私のせいで……申し訳ありません……」
「い、いや! ナイフで刺されるのもよくあることだし! ほら、俺の母親ヒステリックだからさ。刃物で刺されるなんて年一のイベントみたいなもので……!」
泣きそうになった早苗を安心させようとしたが、余計ショックを受けたのか本当に目に涙を浮かべてしまう。
「斬波、お前からも何とか……」
「今の私はただのメイドです。主たちのお話に混ざるわけにはいきません」
「……斬波とは。ずいぶん仲がよろしいようですね」
早苗と親しい斬波に助けを求めようとした途端。涙で揺れていた早苗の瞳が暗く染まった。
「斬波。ジンくんとどんなお話をしましたか?」
「3時間ほど家の説明を。それと早苗様にどのような感情を持っているかを訊ねたところ、一緒に生きていくために好きになりたいと語っておられました」
「斬波さん!?」
あれはあくまでもプライベートだって……。いや、主から訊ねられたら答えざるを得ないのか。めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……だが。
「そ……そうですか……ぇへへ……」
どうやら俺の言葉はお気に召したらしい。早苗さんは顔を真っ赤にして頬を手で隠す。
「ところで今日は家族全員いるのか?」
「はい。家族とその側近が今もジンくんの到着を待っています」
「もういんの!?」
「はい。今日の主役はジンくんですよ? 主役を待たせるわけがないじゃないですか」
「マジか……やらかした」
「? あ、ご安心ください! 朝食はあくまで顔合わせ! 夜ご飯はお偉いさんも呼んでパーティーだそうです!」
早苗さんは全然わかっていない……! 自分の立場ってやつを……! さっき斬波にこの話を聞いてこっちは心臓バクバクなのに……!
「……早苗さんの姉妹って全員女性なんだよな」
「はい。女性6人の仲良し姉妹です」
「それで早苗さんは実質的に長女だ」
「? 次女ですが……。あー、姉のことを言っているんですね。確かに姉は母の連れ子。ですが家族は誰もそんなこと気にしてませんよ?」
「家族はそうだろうな。でも大事なのは周りがどう見るか。ミューレンス社長であるお父さんの血を引いてる中で一番上は早苗さんだ。正当な後継者は早苗さんになる可能性が高い」
「うーん……それはどうでしょう。私たちみんな会社のことには興味がなくて……」
「それを決めるのは早苗さんじゃない。周りの人たちだ」
「それはそうでしょうが……ごめんなさい。何をおっしゃりたいのかよくわかりません」
まだわからないか……あくまでも俺と斬波の推測だからな。それでもおかしくないが、そう外れはしないと思う。
「将来早苗さんと結婚する俺は。それなりのポジションが与えられるんじゃないかって話だ」
最悪……と言えばいいのかはわからないが、次期社長の線もあると斬波は言っていた。
「私の夫となる人物……夫……ぇへへ……ですから。そうなるのも当然でしょう」
「よくないよ……俺の人生の目的は家族や学校の奴らを見返すこと。そこまで偉くなる必要はないんだから」
言ってしまえば、同窓会で俺大企業務めなんだーって自慢できればそれでいい。むしろそれ以上のことは考えていないし、背負いたくもない。
「それで、結局何が言いたいのですか?」
「ようするにだな……先に着いてて一人一人に挨拶したかった。むしろそうするのが筋ってやつだろ」
「でも偉くなりたくないのでしょう?」
「早苗さんと結婚したら自動的に偉くなるのが問題なんだよ。ただ結婚したいだけなのに、最大限のパフォーマンスが求められる。挨拶もできないような奴だと思われたら結婚を許してもらえないかもしれない」
「結婚できないのは嫌です! ですが私の家族はそんなことで結婚をやめさせるほど厳しくないですよ?」
「問題なのは周りの目なんだって。少なくとも斬波は俺が邪魔みたいだし」
「斬波……?」
「早苗様には申し訳ありませんが、これは私だけの駄々ではありません。園咲家を支える武藤家の意志です。我々は園咲家に仕えている以上、ジン様が婿入りすれば自然と彼が主になるわけです。慎重になるのは当然でしょう? 仕事上の立場を除いた私個人の意見では最低限彼を信頼しています。ですがそれは人間として。早苗様の夫としてです。ミューレンスを継ぐとなると、まだ学生で何よりまともな教育を受けていない彼を諸手を挙げて賛成とはいきません」
「……斬波は武藤本家長女でしょう。少しくらいは融通を……」
「だからこそです。武藤を継ぐ立場にある以上私情を優先するわけにはいきません」
つまり、つまりだ。
「朝食は挨拶と同時に面接でもあったんだよ」
面接に遅れて主役面するような奴が合格するわけがない。主役だとしても、下手に出るのが当然の礼儀だ。
おそらく朝食の時間に遅らせたのは武藤家の指示だろう。そう思う根拠は斬波の発言。朝斬波はホワイトな仕事ーと軽く言っていたが、早苗さんとの発言を聞く限り一族単位で重要なポストに就いているようだ。何かと能天気な園咲の人間を傍で支えているのだろう。どこの馬の骨とも知れない俺なんて追い出したくて仕方ないはずだ。俺を油断させて印象を下げるつもりだったのだろう。
「……話が飛躍しすぎでは? それに武藤家が何を言おうが結局は園咲家の意思が優先されます。だからあまり硬くならないでください。それより早くみんなにジンくんを紹介したいです!」
早苗さんに促され、斬波が車椅子を押す。まぁ確かに両親が納得してくれるなら特に問題はないか……。
「早苗様の仰る通り園咲家は優しいです」
しかし朝食会場に入る寸前、斬波が小さくつぶやいた。
「ですが問題が一つ。ジン様は男性です。年頃の女性からすれば、間違いなく興味の対象となるでしょう。あるいは、忌避の対象か」
やけに派手な装飾がついた扉が開かれ、女性5人の姿が目に飛び込んでくる。早苗さんのご両親には受け入れてもらえたが、彼女たちとは初対面。
「へー、この子が早苗ちゃんの彼氏か。お姉さんワクワクしてきちゃった」
「顔……怖い……」
「おねぇがベタ惚れっていうからどんな男かと思えば。たいしたことないじゃない」
「みんな失礼だよ! ちゃんと挨拶しないと!」
「おにーさん! あたらしいかぞくだー!」
彼女たち早苗さんの姉妹に認めてもらえなければ。結婚の話は白紙となる。




