第3章 第11話 真の悪 2
「いやっ、いやぁっ! 死にたくないっ、死にたくないよぉっ! たすけてぇぇぇぇっ!」
ナイフを突きつけられ、悲痛な叫びをあげる山村を見ながら。俺は全く彼女の存在に意識を向けられなかった。
頭がふわふわしているというのもある。だがそんな頭でもはっきりと物事を考えられるほどにあいつらの存在は強烈で。
「アクア……! イフリート……!」
派手な髪色をした2人の男女。俺の兄妹。完全に隙を突かれた……!
「伏兵を用意してたなんて……ビビってんのかよ……!」
「お前と違ってダチはたくさんいるんだよ。ま、100万だからな。念には念を入れてだ」
俺たちに変な液体をかけてきた奴。イフリートの友人なのは間違いないとして、問題は数だ。武藤家から隠れられるくらいこの廃工場に精通している奴が、最低でも十人前後。応援は期待できるか? それ以前に無事なのだろうか。さすがの馬鹿共でも殺すとは思わないが……。
「おい塵芥、さっさと金渡せ。余計な動きをすればこの女を刺すし、これも投げつける」
イフリートが取り出したのは、ジッポライター。
「無駄に大声で騒いでたんだ。あれを浴びたんだろ? そいつにこれは、引火する。死にたくなければさっさと投げろ」
……一応。最悪の事態を想定して、金は持ってきてもらっている。だがこれは……一応だ。何かあった時に使えればいいと思ったから。……でも人の命は、最悪の事態か。さすがの俺でも人の命は100万以上の価値があることくらいは知っている。だが。タダでやるわけにはいかない。
「ほらよ、受け取れ」
俺は瑠奈さんが持ってきたトランクの中から100万円の束を取り出し、纏めている紙を剥ぎ取ってから、放り捨てた。
「てめぇ……!」
「不可抗力、って言葉くらい知ってんだろ。お前が投げろって言ったから投げたんだ。おとなしく下ろしてくれたら手渡しできたのにな」
舞い散るお札を眺めながら、金に対する申し訳なさと、家族に反抗するという恐怖に苛まれる。今この場には早苗はいない。斬波もいない。動けるのは、俺1人。それが何よりも怖い。
「アクア、拾え」
「はいはーい」
俺には生意気だが、それ以外の家族には比較的従順なアクアが落ちたお札を拾っていく。この間に対策を考えないと。あるいは誰か来てくれればいいが……。
「来た……!」
工場の重厚な扉が音を軋ませながら開き、そして。
「っ!?」
銃声が、工場の中に木霊した。
「あーあ、外した。やっぱ脚狙いなんて無理か」
それにわずか遅れ聞こえてきたのは、
「次は身体、狙うから」
「斬波……!?」
軽い調子の声と、それとは裏腹に拳銃を構えた、黒いジャケットと黒いミニスカート、そして黒のニーハイブーツという、初めて見る私服姿の斬波の姿が現れた。
「おいこいつの姿が見えねぇのかっ!?」
「見えるよ。よーく見える。でも私そいつのこと嫌いだし。仕事も辞めて、プライベートだし。あんたらと同じってわけよ。馬鹿で短気な失う物のない、悪人。悪人なら、関係ない人くらい殺せるでしょ?」
山村を盾にするイフリートと、それでも拳銃を構えることをやめない斬波。アクアは何かの機械の後ろに身を隠し、そして俺は。
「おい斬華やめろぉっ!」
そう制止の声をかけていた。
「あ、ジン。そこにいたんだ。止めても無駄だよ。さっき言った通り仕事は辞めたから。あんたの命令を聞く義理はない」
「だったらこれはどうだぁっ!?」
不意にイフリートが火をつけたジッポライターを俺へと投げつけてくる。これで斬波に俺を助けさせる気か。だが。
「舐めんなぁっ!」
俺は杖でライターを弾き飛ばす。力を加えられ床に落ちていったライターは1階の機械の傍に落ち、
「嘘だろ……!?」
その機械が爆発し、火を吹いた。
「斬波逃げろぉっ!」
「ちょっとイフ兄やばくないっ!?」
「いいからさっさと金を集めろっ!」
「死にたくない! 死にたくないよぉっ!」
俺たちが様々な声を上げる中、それでも斬波は銃を構えることをやめない。だがそんな喧騒の中、一つの声は間違いなく俺に届いていた。
「ごめん、ジン。どうしても我慢できなくて……最後に思い出がほしくて……練習だって建前で、早苗にキスした。すごい気持ちよくて、すごい幸せで、もう死んでもいいやって思って……すごい死にたくなった」
前方に燃え盛る火を眺めながら、小さな声は続く。
「やっぱ私は駄目だ……救いようのない。どうしようもない、悪人だよ。もう取り繕う必要もない。だから最期に思いっきり悪いことしてやることにした。あんたの家族、全員殺して私も死ぬ。地獄行き確定だけどさ、早苗にしたキスがどうしても忘れられないの。この天国で地獄な世界に居続けるくらいなら、地獄の方がよっぽどマシ。まぁこれも人の女奪おうとした罰ってやつだね。それと私、あんたのこと普通にす……!?」
あークソ、痛い。右脚はなんかめちゃくちゃ熱いし、左脚に至っては痛すぎて逆に痛くない。そりゃそうか。2階から飛び降りたんだもんな。でもおかげでイフリートは俺の下でのびている。山村も助けられたし、後はアクア。いいや違うか。
「ジン……脚、大丈夫なの……!?」
「知ってんだろ? 俺は痛みに強いんだよ。それに折ったってせいぜい車椅子生活が続くくらいだしな。それは問題ないって、俺は知っているから」
突然飛び降りてイフリートを潰した俺を心配する斬波に、死ぬほど強がりを言って笑う。
「これ以上お前に悪事はさせない。これ以上人を傷つけたら、お前はもう後戻りできなくなる」
「……そうしに来たって言ってるでしょ」
山村やアクア、イフリートなんて小物。俺の敵ではない。
俺が倒さなきゃいけないのは。悪人として死のうとしている斬波だけだ。