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家族に虐待され学校でも虐められている俺がお嬢様を助けたら婚約者になって人生大逆転できました。  作者: 松竹梅竹松
第3章 勧善懲悪は難しい

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第3章 第6話 夢 2※編集中

「ふふふ……あまり私を舐めないでもらいたいものですね」



 どこに向かっているかもわからないままただ車椅子を押してもらっていると、突然自信ありげな声が上から聞こえてきた。



「案外自分のことは自分でよくわからないものです。ジンくんとはまだ出会って三週間程度。ですが人となりは理解しているつもりです。つまりジンくんが興味あるもの、それはこれです!」



 早苗が俺を連れてきた場所は、調理室。確かにハッとした。結局俺が一番幸せだと感じたのは料理を食べている時かもしれない。



「実は既に話は通してあります。ごめんくださいっ」



 図工室や音楽室なんかは入った記憶すらないが、調理室は幾度も侵入したことがある。学校の池にいたヤゴなんかを焼いて食べるために。



 だが俺の目の前に広がる光景はその時の記憶より、つい最近見た園咲家の厨房の方が近かった。つまり、でかくて綺麗。到底普通の学校にはないであろうハイテクそうな機器の数々に、一目で高級だとわかる食材。それらを慣れた手つきで操作する生徒たちの中に、見慣れた人がいた。



「そういうことね……玲さんか」

「ぉ、お義兄さん……こんにちは」



 俺の姿を見たエプロンを巻いた玲さんがおどおどとしながら頭を下げてきた。玲さんの夢はパティシエになるというもの。やりたいことと部活が一致している俺の理想だし、食への興味は強いし、知らないことばかりで学び甲斐がある。早苗の選択は百点満点だといえるだろう。



「でも……脚がなぁ……」



 当たり前だがテーブルの高さは立った時を想定している。杖を使って歩けるようになったとはいえ料理となるとさすがに現実的ではない。



「車椅子用の調理台を発注しましょう」

「そんなのもあるんだ……いやでもさすがに無理だろ」


「お、お父さんに出資するよう頼んでみようか……?」

「ありがたいけど遠慮しておくよ。食には興味あるけど料理自体にはあんまりだし」



 それに料理を学んだところで将来の仕事にはつながらなさそうだしな……せっかくなら将来利用できることを学びたい。



「そ、そうなんだ……ちょっと残念……かもです……」

「ごめんな。……ん? そういえば瑠奈さんは?」



 しょんぼりした玲さんを慰めようと思ったが、玲さんのメイドの瑠奈さんの姿が見えないことに気づく。今は別だが斬波は早苗にべったりだし、部活も同じだと思ったのだが。



「瑠奈ちゃんは別の部活……。学校の中はプライベートだし同じクラスだけどあんまりしゃべらないし……」

「へぇ、そうなんだ。まぁ家から学校までずっと一緒ってのも疲れるだろうからな……早苗にはそんなこと思ってないからその怖い目やめて?」



 玲さんのフォロー中に嫌な気配を感じたのですかさず早苗にもフォローを入れる。俺は早苗とずっと一緒にいられて幸せだが、それは早苗だから。たとえば杏子さんも嫌いではないが、四六時中一緒にいたらとても平常ではいられなくなる。



「じゃあやっぱ早苗と斬波が特別仲いいんだな」

「ううん……むしろ逆。中学生から部活には入れるけど……わたしと瑠奈ちゃん以外の主人とメイドは、同じ部活に入ってる」

「別に仲が悪いというわけでもないのですが……少し特殊ですよね、玲と瑠奈は。普通と言った方が正しいのかもしれませんが」



 自由な感じだし実は瑠奈さんは問題児なんかじゃないかと思ったが早苗も認識しているということは特に問題はないのだろう。普通、という意味はよくわからないけれど。



「あ、せんぱーいっ。ここにいたんですねっ。部活を探してるって聞いて飛んできちゃいましたっ」



 ちょうど話をしていると、メイド服を着た瑠奈さんが調理室に入ってきて俺に擦り寄ってきた。いつも通りのキャピキャピした笑顔だが、何かが少し違う。いや違いは明白だ。



「瑠奈さん……なにそのメイド服……」



 瑠奈さんが着ているのはミニスカートながらも上品さと気品あふれる普段のメイド服とは違う。スカートはさらに短く、いたるところにフリルがついた安っぽい薄手の生地。明らかにコスプレ用のメイド服だ。



「ルナってルナちゃんファンクラ部の部長なんですけどぉ、部員がルナ一人だけなんですっ」

「?」


「あっ、ルナちゃんファンクラ部はかわいいルナちゃんのかわいいルナちゃんによるかわいいルナちゃんのための部活動ですっ。活動内容はかわいいルナちゃんをよりかわいくすることですっ」

「??」


「でもでもちょっと困ったことがあってぇ、部員が一人だと部活動として認められないんです。こぉんなに素晴らしい部活動なのにおかしな話ですよね、えーん。そ・こ・で! 先輩に部員になっていただきたいんですけどどうですか? 入ってくれたら先輩だけに特別に! ルナファンクラブ0号の称号を授けちゃいますっ」

「???」



 ……瑠奈さんの発言が全く理解できないのは俺に常識がないからだろうか。たぶん違うよな……。



「瑠奈! あまりジンくんに変なことを教えないでください!」

「あら早苗様。残念ながら今はプライベート。早苗様の言うことを聞く義理はありません。とゆことで先輩はもらっちゃいまーすっ」

「ちょっ……!?」


 瑠奈さんは車椅子のハンドルを掴むと駆け足で調理室を出ていく。そして隣の空き教室に滑り込むと静かに扉を閉めた。



「あぁんのアバズレ! 絶対に許しません! 追いますよ玲!」

「う、うんっ。瑠奈ちゃんの部室はわかるから……こっち……っ」



 すぐ近くにいることにも気づかずに廊下を駆けていく早苗と玲さん。見事な手際で俺は誘拐されてしまった。武藤家はそんなに俺を誘拐するのが好きなのか……?



「……で、何のつもりだよ」

「早苗様よりルナの方がかわいくないですかって話ですよ」



 倉庫のような使い方をしているのだろう。教材や段ボールが乱雑に置かれた教師は狭く仄暗い。



「恩義は大切です。でもそれだけで人生を決めるなんてもったいない。一度きりの人生です。隣にいる女性はより魅力的、よりかわいい方がよくないですか?」



 そんな窓から漏れるわずかな光だけが照らす教室に、瑠奈さんの満面の笑みが光る。



「ジン先輩。早苗様と別れてルナと付き合いませんか?」



 瑠奈さんの印象は正直言えば、あまりよくない。もちろん嫌いではない。助けてもらったこともあるし、普段は仲良くやっている。姉妹、メイドたち12人の中で斬波の次に友だちに近い関係性ではある。だからこそだ。



 軽薄な態度、妙に近い距離感、嘘っぽい笑顔。否が応でも感じてしまうのだ。俺が元々いた、クソみたいな世界を。まぁそれは、斬波に対しても同じだが。



「どっちがかわいいかは価値観によるだろうけど。俺が早苗を好きなのはかわいいからじゃない。好きだから好きなんだ。だからその誘いには乗れない。ごめん」



 俺の答えを受けた瑠奈さんは作り物のような笑顔を崩さない。ただわずかに眉間に皴を寄せ、微かな苛立ちの色を覗かせた。



「……こっちの方がみんな幸せになれるのに。お姉ちゃんだって、ね」



 何か口の中で小さく漏らした瑠奈さんが大きくため息をついて椅子に腰かける。



「ルナってかわいいですよね?」



 演技をやめたのか机に肘を置き脚を組む姿はとてもかわいい態度とは言えなかったが、そういう話ではないのだろう。



「まぁかわいいと思うよ。顔なんて親の遺伝子で決まるから誉め言葉にならないけど」

「さすが無駄に顔がいいだけはありますね。そう、ルナはかわいい。自分が一番かわいいんです」



 「だからみんなの気持ちがわからない」。瑠奈さんは大きな目を細めて続ける。



「お姉ちゃんも先輩も早苗様も他のメイドも。どうして他の誰かのために生きようなんて思えるんですかね?」



 ようやくわかった。早苗が玲さんと瑠奈さんの関係は普通と言った理由が。



「ルナは自分が一番じゃないと気が済まないんです。だってそうでしょう? 自分の人生なんだから、自分のために生きたいに決まってるじゃないですか。だから今の環境がすごく嫌いなんです。生まれた瞬間誰かの下で働くことが決まっている人生。玲ちゃんを補助するのが仕事で、それを完璧にこなしたとしても次女である以上武藤家当主にはなれない。決して一番にはなれない狭くてつまらない世界。そんな人生意味なくないですか?」



 俺は将来何かになるために今自分にできることを模索している。でも瑠奈さんは今何をやったところで将来が既に定まってしまっている。



 どちらがいいかは人による。きっと俺は瑠奈さんの立場だったら充分満足していただろう。ずっと成功という名の曖昧ながら定まったゴールに辿り着くために走り続けてきたから。でも瑠奈さんはそれが嫌なのだろう。たとえゴールに辿り着けなくとも自分が選んだ道を進みたい。個人の価値観の違い。それだけのことだ。



「だから色々やってるんですよ。コスプレしたり踊ってSNSに上げたりして。ワンチャンバズって芸能事務所にスカウトされたりしないかなぁって思ってるんですけどね。特にそんなこともなくてただ時間だけが過ぎていって。まぁ世の中そんなもんだよなって諦めてた時に現れたのが先輩です。決まった人生に現れたイレギュラー。勉強ができて顔もいい。人間性も把握済みですし上手いこと大学を出られたら将来性抜群。手にできたらこんな人生も変わると思ったんですけど」


「人を道具みたいに言うな」


「他人なんて自分を飾り付けるための道具でしょう?」



 そう吐き捨てる瑠奈さんの目はよく似ていた。教室で善悪を唱えていた彼女の姉に。



「こんなところで終わりたくない。自分の人生は自分で決めたい。そのためなら何でもします。たとえ人の道を外れようとも」



 そして理想のために邪魔な俺と早苗を消そうとした寺門の姿に。



「ところで先輩、自分の状況わかってますか? 先輩もご存知の通りルナは結構強いんです。そして先輩は身体を動かせない。邪魔な早苗様も手出しはできません。あっれぇ。もしかして先輩、大ピンチじゃないですかぁ?」



 誰にも明かせないであろう裏の顔を晒せて満足できたのか、瑠奈さんは立ち上がるとメイド服のボタンを一つずつ外しながらゆっくりと迫ってくる。



「先輩もお姉ちゃんで知ってるでしょう? ルナたち武藤家はこんなこと平然とできるんです。そう怖がらないでください。ちゃんと気持ちよくしてあげますから……」

「寺門さんの件は私の不手際でご迷惑をおかけしてしまいましたから。今度は間に合ってよかったです」



 大人な空気が漂う空間に、かわいらしい子どもの声が響く。いつの間にか固く閉じられていたはずの扉は開いており、外から小さな女の子が顔を覗かせていた。



「「げ、杏子さん……」」

「瑠奈さんはいいとしてどうしてお義兄さんまで嫌な顔をするんですか?」



 呆れた顔をしながら杏子さんが教室へと入ってくる。おそらく早苗が姉妹たちに一斉連絡、状況を理解した杏子さんはここにあたりをつけたのだろう。相変わらず常軌を逸した能力だ。



「それで瑠奈さん、何か言い訳はありますか? まさか既成事実を作ってその人と一緒に家から逃げ出そうと考えていた、などではないですよね?」

「べっつにー。ちょっとからかってただけですよー」



 降参するように両手を上げて俺から離れていく瑠奈さん。軽い調子で笑ってみせるが、杏子さんはそれで引き下がるつもりはないようだ。俺の隣に立つと年齢に見合わない鋭い眼光で瑠奈さんを見上げる。



「分を弁えなさい。武藤が園咲に謀反を企むなどあってはならないことです」

「おこちゃまがいい気にならないでくれますー? 言っとくけどルナ、玲ちゃん以外の言うこと聞く気ないですから」



 園咲家の事情も武藤家の事情も部外者の俺にはわからない。お互い殺気を隠さず睨み合うこの意味は。それでも瑠奈さんと玲さんの関係に嘘はないことだけは確かなようで、なんだか少し安心した。



「そもそもみんなわかっていないんですよ。真に園咲家当主にふさわしいのは早苗様でもあなたでもない。やりたいことを定められてそれをまっすぐ貫ける玲ちゃんです」

「だからこそ玲姉さんは当主には……」



 杏子さんの言葉を遮るように、瑠奈さんが侮蔑気味に笑った。



「ふさわしいのは、というお話ですよ杏子様。玲ちゃんはパティシエになるという園咲家にはふさわしくない夢を抱いている。それでもです。誰に反対されても言い返せなくてもやめようとしたことはないし、努力を怠ったこともない。確かにコミュニケーションは苦手だし勉強も運動もできない。でもいざという時に本当に強いのは、まっすぐぶれない芯のある人間です。芯はありつつも感情で動く早苗様はありえないし、なりゆきでしか道を選べずどこぞの知らないおっさんに神輿として担ぎ上げられているだけのふにゃふにゃなあなたは論外というお話。ルナのことを馬鹿にするのは結構ですけど、同じくらいはルナもあなたのこと馬鹿にしてますよー」



 反論を挟む隙も与えないほどに言葉を次々と繰り出していく瑠奈さん。やはり半分以上何を言っているかわからないが、その口撃が痛いところを突いているということは杏子さんの表情からわかった。何か言い返そうとしても、バツが悪そうに唇を噛むだけ。俺相手に常に優位を取って微笑んでいる普段の姿からはかけ離れた、ただの女児の顔。



 いい気味だ、と思う気持ちがないわけではない。杏子さんには散々辛酸を舐めさせられてきたから。これを機に年上への態度というものを改めた方がいい。



「その辺にしとけよ」



 なんてものは俺のくだらない杏子さんへの対抗心からくる感情だ。杏子さんが責められる理由にはならない。



「さっすが先輩お優しいんですねぇ。先輩は杏子様のことお嫌いかと思っていましたが」


「嫌うわけがないだろ。負けたくないって気持ちはあるけど、それ以前に俺を受け入れてくれた大切な恩人だ。もちろん瑠奈さんもな」


「……ほんっとさすが。お姉ちゃんから聞いてた通りですよ。結局のところ先輩も善人なんでしょうね。ルナたちと違って」



 また善人悪人の話か。たぶん斬波も出力の違いはあれど似たような悩みを抱えているんだろうな。俺は自分が善人だなんて思ったことはないけど、彼女たちからしてみれば相対的にマシに見えるのだろう。



「俺は善人でも優しくもないよ。俺は俺のやりたいことをやるだけ。俺の理想の世界を守りたいだけだ。だから当主がどうとかはどうでもいい。ただ二人がこんなくだらないことで喧嘩してる姿なんか見たくないんだよ」



 「……くだらない、ですか」。そう俺の言葉を反芻した瑠奈さんの表情に初めて変化が起きた。言葉は刺々しくもかわいらしい笑顔を崩さなかった瑠奈さんが、明確に敵意を剥き出しにした視線を俺に向けてくる。



「まさかあなたがここまで図々しいとは思いませんでした。ただ運よく拾われただけの分際で偉そうに……自分が見たくないから仲良くしろ? 馬鹿馬鹿しい。この世界はあなたが思い描くような理想とは程遠いんですよ!」


「……瑠奈さん。俺のこと舐めてるだろ」


「ペロペロちゃんですねぇ。あなたに何ができるんですか? ルナたちの力を借りなきゃ妹一人止められないくせに」



 俺に何ができるか、か。決まっている。俺にできることはない。事情も何も知らないんだ。俺が口出しできることなんて何一つないだろう。現時点では。



「たぶん君が思っているよりずっと、俺は君たちを愛してる。約束するよ。俺は君たち全員を幸せにする。瑠奈さんも杏子さんもだ。どんな手段を使ってでも、俺は俺の理想を掴んでみせる。それが俺の幸せなんだから」



 園咲家を取り巻く様々な事情。たぶん俺の元家族の問題よりもよほど複雑に根強く残っているのだろう。



 でも早苗に教えてもらったんだ。何かを選ぶ必要はない。やりたいことは全部、やっていいのだと。だったら全部幸せにしたい。現実的じゃないのなら現実にすればいいだけだ。そのための努力を惜しむつもりはない。



「……どこまでもお姉ちゃんの言っていた通りですね」

「何が」

「台詞が臭いです。とてもじゃないけど見てられません。……眩しすぎて」



 俺から視線を外すと、瑠奈さんは笑顔を見せた。いつものぶりっこではなく、本当に幸せそうに。



「そんなこと言われたらほんとに期待しちゃいますけど……いいんですか?」


「誰に言ってるんだ。俺は全国一位の男だぞ。やると言ったらやる」


「……ま、今日のところはそれでいいです」



 そう小さくつぶやくと、瑠奈さんの自然な笑顔がいつもの過剰なものに変化する。とりあえず瑠奈さんには納得してもらったし部活探しの続きに……いや。まだいつも通りじゃない子がいるな。



「瑠奈さん。悪いけど車椅子預かってもらっていい? 帰る時また声かけるから」

「それはいいですけど……どういうつもりですか?」

「今なら対等に話せるかなって。なぁ、杏子さん」



 杖を伸ばして立ち上がりながら、いまだ難しい顔をしている杏子さんに声をかける。



「……お義兄さんがコソコソ練習していたことは知っていましたが。いいんですか? 私相手に見せても」

「ああ。これは大切な人と並んで歩くためのものなんだから」

☆☆☆☆☆☆

「私を次期当主に推す声は園咲関係者の中で五割程度です」



 目的地も聞かないまま杏子さんと並んで廊下を歩いていると、唐突に彼女が口を開いた。



「残り四割は早苗姉さんで、一割は来海ちゃん。ですが園咲本家周辺に絞ってみると私が八割に達します」

「本家ってあのタワマンじゃないの?」


「あの家はあくまでミューレンス社長としてのもの。本邸は東北にあります。旧財閥としての機能を有しているのは本家の方です。もっとも時代の変化に乗り遅れた園咲に力はほとんど残っていませんが」



 確かにミューレンスという名前は知っていても園咲という名前は俺の知識にはなかった。財閥解体の影響で没落していく最中、海外でお義母さんが営んでいた小さな玩具メーカーをお義父さんが成長させて日本有数の企業にしたんだったか。たった十数年だっただろうに凄まじい敏腕ぶりだ。



「ではなぜ私を推す声は本家で強まると思いますか?」

「そりゃ優秀だからだろ」



 杏子さんの優秀さは俺が一番身に染みている。無理矢理知識を詰め込んだだけの俺では辿り付けない、本物の領域。早苗が無能だなんて言うつもりはない。比較対象にならないほどに、杏子さんは優秀すぎるのだ。しかし杏子さんは小さくかぶりを振っていた。



「私の髪が姉妹の中で唯一黒いからです」



 言葉が見つからなかった。杏子さんの中で一番どうでもいい情報。それが杏子さんを推す理由? わけがわからない。



「私、お義兄さんと早苗姉さんの恋を応援しているんです。お義兄さんはなぜか勝手に疑っていますが、この気持ちに嘘はありません。だって残り二割の早苗姉さんを推す人たちは、早く子どもを作ってほしいんだから」


「……どういう意味だ?」


「たぶんお義兄さんが思っているよりずっとシンプルな理由です。園咲家当主は代々長兄が受け継いできたもの。ですが現当主の子に男子はいません。どういうことか、もうおわかりですね?」



 必死に動かし続けていた足が止まる。それに気づいた杏子さんが振り返った。憐れみの表情で。



「……早苗は子を産む道具じゃねぇぞ」



 辛うじて口から出た声は震えていた。表しようのない怒りが全身から溢れてくるのを感じる。



「外国の血が薄いけれど子を産めるのが遅くなる私か、子どもの髪が黒いかはわからないけれど早く子を産める早苗姉さんか。本家の議論の中心はそこです。ですが男児さえ生まれてしまえば全て些事。



 



 



「ジンくん、スポーツ好きですよね」

「え? なんで?」


「私が襲われていた時、すごい俊敏に動いていたではないですか」

「あー……運動は得意だよ。ずっと身体動かすバイトしてたから。でもスポーツなんてやったことないからな……体育の時間はほとんど勉強に費やしてたし。それにこの脚だとスポーツなんて……」


「うちの学校は車椅子スポーツの部活があるんですよ。それにマネージャーという手もあります。どうですか? 体育館に行ってみるのは」

「うん。そうしようか」



 そんな会話をし、俺の部活動探しは体育館から始まった。さすがは超巨大学校。体育館はいくつもあったが、早苗はまっすぐに大学敷地の体育館に車椅子を押した。



「この体育館にはスポーツ用の車椅子があるんです。タイヤも床を傷つけづらいものになっていますし、転倒にも気を遣った造りになっているそうです」

「へぇ……そういうのもあるんだ……」



 一々驚かされる。そういう世界があるという事実に。きっと社会が俺みたいな人にもスポーツを、という努力をしているのだろう。そう思うと俺も協力した方が……という気持ちにはなるが……なんか、ピンとこない。



「ていうか詳しいな、早苗」

「ジンくんを幸せにするためですから。それより行きましょう? 今日部活がやっているかはわかりませんが……」



 早苗に押してもらい、体育館に入る。残念ながら車椅子の人は見えないが、女子がネットを挟んでボールを打ち合っている。これは確か……。



「……バレー?」

「早苗ねぇ! ……と、ジン……」



 多くの女子が跳ねる中、一人の女子が汗を拭きながら近づいてきた。



「愛菜、たまたまですが来ちゃいました。迷惑でしたか?」

「おねぇはいいけど……その男はねぇ……。どうせあたしたちのこと変な目で見るつもりでしょ」

「俺の目には早苗しか写ってねぇよ」

「それは嘘ですね! 見えてないじゃないですかぁっ!」



 園咲家四女の愛菜さん。そしてそのメイドの熱海さん。2人がいるってことは、



「愛菜さんたちバレー部なんだ」

「女子バレー部よ。……補欠にも入れてないけどね」



 ……なんか愛菜さんがスポーツをやっているのが少し意外だ。試合にも出れないのに。



「バレーのこと全然知らないからあれだけど、見た感じ背高い方が有利だろ? 2人とも150cmそこそこしかないししょうがないんじゃないか?」

「ジンくん、バレーには身長の関係ない守備専門のリベロ、っていうポジションもあるんですよ。そういう意味では車椅子スポーツと同じですね。どんな人でもバレーボールを! みたいな」



 脚のせいでスポーツができないのも。身長のせいでバレーができないのも。確かに感覚としては似ているかもしれない。そう思っていると、今までで一番。愛菜さんが怒った顔をした。



「確かにリベロの始まりとしてはそうね。その認識は間違っていない。でも現代バレーにおいてリベロは大事な7人目の選手。身長が低い人向けのポジションだなんて思われたくない。身長が低い方が床との距離が近くなるっていうメリットはあるけど、身長が高ければその分腕が長くなって拾える範囲が長くなるというメリットもある。結局は身長なんかじゃなくて、守備の上手さが大事なのよ。それなのに……ごめん、言い過ぎた……」



 長々と語っていた愛菜さんが恥ずかしそうに顔を背ける。だがいまだに俺も早苗も何も言えないでいた。こんな怒りながらも、楽しそうに語る愛菜さんは初めて見たからだ。実の姉ですら知らない事実だったが、メイドの熱海さんだけはドヤ顔を見せつけている。



「愛菜さんはですね! バレーが大好きなんですっ! つい最近までは辞めていましたが、2週間前に復帰っ! 実力はまだまだですが、バレーへの愛は誰にも負けませんっ!」

「ちょっと熱海うるさいっ! べ、別にバレーのことなんか好きじゃないんだからぁっ!」



 さらに真っ赤になってぶんすかする愛菜さんと、嬉しそうに笑っている熱海さん。その姿を見た俺は、思わず口走っていた。



「……なんでそんなに好きなのにやめたの?」

「……あんたなんかに、なんでそんなこと……」


「頼む、知りたいんだ。俺今、自分が好きなことを探してて……わからないんだ。俺は早苗が大好きだけど、絶対に捨てようとは思わない。それなのに、なんで……」

「も、もう……ジンくんったら……私だって大好きですよぉ……」



 後ろで照れているであろう早苗の顔をちらっと見て幸せな気持ちになった後、正面で恥ずかしそうにしている愛菜さんを見る。そしてその口がゆっくりと開いた。



「……身長が伸びなくて……いつまでも試合出れないから……辛くなっちゃったんだ」

「それなのになんで復帰したの?」


「それは……言わない」

「なんでだよ! 教えてくれてもいいだろ!」


「絶対に言わないんだからっ! ばーかっ!」

「愛菜さんはですね! ジンさんのおかげでバレーに復帰したんですっ!」

「なんで言っちゃうのよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」



 大きな体育館に、2人の大声が響き渡る。その後観念したかのように、愛菜さんは俺にビシッと指を突きつけた。



「あんたが言ったんでしょっ!? 夢だけは嘘つけないってっ! そのせいで思い出しちゃったのよ……プロのバレー選手になりたいなんていう、絶対に叶わない夢をね」



 それは厨房で愛菜さんが玲さんのパティシエになりたいという夢を否定した時のこと。将来大企業に入って人生成功したい、幸せになりたいと思っていた俺はそう言った。



「悔しいけどあんたの言う通りよ。この道だけは嘘をつけない。叶わないって知ってても諦めきれないの」



 ……たぶん。これを訊いたら愛菜さんは不機嫌になるだろう。それでも訊かざるをえなかった。



「その夢が叶ったら。愛菜さんは何を目標に生きるんだ?」



 俺は夢が叶った。幸せになるという夢が。だからこの先がわからない。夢が長続きするよう努力する以外には、何をすれば……。



「はっ。あたしに偉そうなこと語った割にあんたも案外小物なのね」



 予想とは外れ、愛菜さんは勝ち誇ったように。前を向いて言った。



「次の夢を見つけるだけよ」



 次の、夢。幸せになった先の、もっと幸せになるための夢。



 愛菜さんで言えば世界に出るとかだろうか。オリンピックに出るとかかもしれない。



 だったら俺は。早苗と、園咲家と一緒にいるだけで幸せな俺が。もっと幸せになる方法があるのだろうか。もっと幸せになってもいいのだろうか。俺は――。



「早苗。今日、一緒に寝ないか?」

「…………。ふぇ?」

おまたせしました次回イチャイチャ回です! レーティングには気をつけなければ。


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[一言] 私は仁はスポーツは似合わないと思うよ?、 幸せになるためのツールとして利用するのは良いが 趣味としては無いでしょう?仁は幸せになる方法は インドアの勉強が良いのかも?その研究で歩行器や 杖で…
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