第3章 第4話 悪人
「さぁジンくん、お昼ごはんを食べましょうっ」
昼休みになった瞬間早苗は俺の机に向けて勢いよく机をずらし、腕と腕がぶつかるくらいに接近してきた。
「はい、これお弁当ですっ」
「え、やったぁっ! わざわざ作ってくれたの!?」
「や、それは……」
「そのつもりだったけど寝坊したよね」
「なんで言うんですかっ!」
「私もジンも早起きだし何でも知ってるよ」
前の席の斬波も椅子を後ろに向け、3人で昼食をとる。今まで昼休みは勉強しかしていなかったからこういうのもまた新鮮だ。
「ねぇこれなんていう料理!?」
「それはね、からあげって言うんだよ。鶏肉を揚げたやつ」
「コックさんがジンくんが食べたことのない料理を、ってことで考えてくれたんですよ。朝食や夕食は私たちに合わせて上品な料理が多いですからね。傾向的にこういう庶民的なものの方が好みだろうとのことです」
弁当箱の中に詰められた大量のからあげという料理。これしか入っていないが、むしろそっちの方がうれしい。だってこれ、絶対美味しいやつだろ……。
「いただきます! うまーっ! やばっ! 口の中でなんか汁が溢れたっ!」
「反応最高、ですね。やはり揚げ物が好きなようです」
「子どもが好きそうなやつね。正直者で大変よろしい」
二人が何か分析をしているが、今どうでもいい。マジで美味い。幸せ過ぎる……! だがそれを邪魔する奴が一人。
「なにこの頭の悪そうな弁当は! 栄養バランスが最悪じゃないのっ!」
横を通りがかった山村がなんか叫び出した。いやマジでどうでもいいな。無視だ無視。と思っていると早苗が立ち上がった。
「ジンくんはこういう料理が好きなんです! 別にいいでしょう栄養バランスが悪くても本人が幸せならば!」
「美味しさなんて関係ないわ! もっと野菜を食べなさい野菜を!」
「ジンくんは野菜が嫌いなんです! 特に生野菜が! 主食が雑草だったから全部食べたことある気がするって!」
「雑草を食べる人なんているわけないでしょ!?」
やっぱりそこら辺に生えてる草って普通食べないものなんだな……。新たな知見を得ていると、周囲のざわめきが気になり始めた。
「あのいつもクールな園咲さんが叫んでる……」
「武藤さん以外には心開いてなかったはずなのに……」
「あんな園咲さん初めて見た……」
早苗がクール……!? 一瞬言葉の意味が変わったかと思ったが、佐々木先生曰く学校では深窓の令嬢という感じらしい。当然俺といるときの姿しか知らない身としては信じられないが、この反応的に事実なのだろう。
早苗は完全な感情派。感情のままに生きて、その感情のためならどんな手も尽くす。一目惚れした俺を拾ったり、嫉妬に燃えたり、自分を誘拐しようとした相手でも涙を流せる。そんな早苗が静かに見えたのなら、学校はつまりそういうところなのだろう。たぶん、こういう奴がいるから。
「無視しときなよ早苗。どうせそいつ、正しいことしか言えない辞書女なんだから」
斬波がそう諫めると、早苗が少し悔しげにしながらも座った。それに満足したのか山村も去っていく。何だったんだあれは……。
「ジン、どう? ああいうタイプは」
「まぁ苦手だな。何と言っても会話ができない」
正直戸川とかの方がよっぽどマシだ。会話にならないのは同じだが、ただ感情を撒き散らすだけでなく自分だけの妙な理屈がくっついているのが手に負えない。
「私は嫌いです! 関係ないことをうだうだと……! そして何も解決しないんですから最悪です!」
早苗がこうも怒るのも珍しい。おそらく斬波もそうなのだろうなと思ったが、どうも想像した反応とは違った。
「私も嫌いは嫌いなんだけどさ。でも間違ってはいないと思うんだよ」
教室を出ていく山村の背中を眺めながら、俺たちとは視線を合わせず続ける。
「結局認識の違いだよね。私たちはジンをジンという一人の人間として認識している。でもあっちはジンのことを脚が動かないかわいそうな存在って概念だと認識してるんだよ」
そう語る斬波の表情はあまり見たことのない、どこか陰のある曇ったものをしている。そう、あの時のような……。俺と初めて出会った時の、何かを伝えたくても伝えられないかのような、あの顔だ。
「私は善人か悪人かで言えば間違いなく悪人だからさ、よく考えるんだよね。ああいう善人のことを。どうしたらあんな風に生きられるんだろうって。園咲家だって同じとは言わないけど善人でしょ。武藤はその裏部分を支える家だからさ。早苗様、には言えないような悪いこともたくさんしてるし、襲われるフリくらいなら何の感情も湧かずに実行できる。……ごめん、ちょっと話がずれた」
何かをごまかすかのようにわざとらしく笑って見せる斬波。話を変えようと口を動かすが声にならずに零れている。結局諦めたのか、一度大きくため息をついて暗い顔に戻る。
「ようするにさ、あっちの方が倫理的には正しいんだよ。早苗とジンの結婚の件で言えば、私はまだ認めてない。ジンは動きに制限があるし、常識もない。これは障害と虐待のせい。ジンは悪くないし、リハビリもしててカウンセリングも受けてるけど、それでも納得できない。早苗を幸せにできる人はもっと別にいると思ってる。でもそれは社会的には間違ってるんだよ。差別だーとか言われてね。そしてそれは、正しい」
自嘲的につぶやく斬波に、俺も早苗も何も言えない。早苗は何を思っているのだろうか。俺はなんと答えればいいのだろうか。
「ただわかってほしいのは、別に差別とかするつもりはないんだよ。障害があって常識がなくても、私がいいと判断したら素直に応援できる。だからさ、私が否定的なのはジンという個人なわけ。でもそれは外から見たら偏見があって反対している差別者に見える……。別にジンのことを否定したいわけでもないんだけど……それでも……。……ごめん愚痴になったしわけわかんなくなっちゃった。でもそれが正しいと思うんだよね。人間はが常に正しいことをしなきゃいけない、なんてつまらないと思うから。……そう思うのはやっぱり私が悪人だからなのかな」
斬波が何を伝えたいのか、何と言ってほしいのか。なんとなくはわかるが、それを口に出してしまったら全てが終わってしまうような気がして。
「俺も悪人だよ」
「私もそうです。なんせ私たち、人を刺したことありますからね。とっても悪い人です」
そんな表層的な雑な言葉しか吐けなかったし、
「……やっぱり良い人だよ、2人は」
同じく表層的な笑顔を見せる斬波を幸せにすることはできなかった。




