第3章 第3話 善人
「ただいま戻りました!」
1限目のチャイムが鳴り終わると同時に、俺と早苗は教室に戻る。レクリエーションでもしていたのかクラスメイトたちが盛り上がっている中、一人一番後ろの列に座っていた斬波がこちらに目を向けてくる。
「遅かったね。何してたの?」
「へ、変なことは……。普通に案内してただけですよ……?」
「ふーん……」
早苗の釈明を受けた斬波がギロっと睨んできたので慌てて目を逸らす。本当はあの後屋上前の階段裏で抱き合って話をしていたのだが、絶対に隠し通さなければならない。
斬波は俺の友人だが、それはそれとして俺を早苗の婚約者とは認めていない。やましいことはしていないとはいえ、隠れて抱き合ってたなんて知られたら……考えたくない。
「そ、そんなことより! 見てくださいジンくんを! 杖で歩けるようになりました!」
「あー……ごめん早苗。私知ってるんだ、それ。部屋で一緒に練習してたから」
今度は早苗が怖い顔で見てくるんですけど……。
「なんでですかジンくん……浮気なんて……それもこれも寺門さんのせいです……あの人のせいでジンくんの部屋の監視カメラが取り外されて……ジンくんが浮気して……私だってジンくんが初めて歩くところ見たかったのに……」
「違うでしょ早苗。男ってのはね、見栄を張りたい生き物なの。ある程度格好がついてから見せたかったんだよ。その理由は一つ、早苗のことが好きだから。ほら見てジンの顔、真っ赤」
斬波の奴……! フォローしたつもりかもしれないけどめちゃくちゃ恥ずかしい……!
「そ、それならいいんですよ……? 私のためにがんばってくれてうれし……」
「ちょっと園咲さん! 須藤くんがかわいそうでしょ!?」
早苗がモジモジとしていると。突然長い黒髪をおさげにした女子生徒が怒りの形相で割り込んできた。それとほぼ同時に斬波が立ち上がり、俺に耳打ちしてくる。
「同じクラスの山村幸子。一言で言えば善意マン」
「どういう意味?」
「んー……まぁ話してればわかるよ。そんで知っておいた方がいい。悪意だけが人を傷つけるんじゃないんだって」
「……?」
言葉の意味は最後までわからなかったが、早苗が怒られていて黙っているわけにはいかない。
「山村さん、だよね。早苗が悪いことした?」
「悪いことも何も、現在進行形じゃない! あなたを立たせている!」
「……は?」
確かに杖での歩行練習のために車椅子は早苗に完全に任せてしまっている。女性に力仕事を押し付けていることに俺が怒られるのはわかるが、早苗が怒られる意味はわからない。だがその理由はすぐに彼女自身が説明してくれた。
「須藤くんは脚が悪いんでしょ? それなのに無理に歩かせるなんてかわいそう! あなたたち仲がいいんでしょう? あなたが止めなきゃいけないんじゃないの!?」
……なんだそれ。俺は歩いちゃいけないのか?
「今の時代、障害を負っていたら不幸、なんて考えた方は間違ってるの! 一人一人が配慮し、障害を負っていても普通に生きれる世界を作らなきゃいけないの! それなのに歩く練習なんてさせて……最低よ!」
自分が正しい、自分と異なる意見は全て間違っていると言わんばかりの正義感溢れる山村の顔を見て……なるほど。斬波が言っていたことが理解できたような気がする。善意マンね……言い得て妙だ。
「あのな、まず俺が無理してるのは自分のためだ。ていうかリハビリなんだから無理はして当然だしな。元々軽い麻痺くらいだし……」
「障害の度合いは関係ないの! どんな小さな障害でも、それを感じさせないようにすることが大切なの!」
「いや関係あるだろ……。ていうか他ならぬ俺がいいって言ってるんだから外野がしゃしゃり出てくんな」
「よくない! そういう無茶や強がりが他の障害を負っている人の声を小さくしたり、周りの目を曇らせるの!」
「あんたの気持ちはわかるよ? 気を遣ってくれてありがとう。でもそれは俺の気持ちを無視してないか? 確かに俺は脚が不自由だ。虐待されてたし、虐めも受けていた。周りから見たら不幸だろうよ。それでも今俺は幸せなんだよ。だから……」
「なんであなたを助けようとしてる私が怒られなきゃいけないのっ!?」
そう叫び、山村さんは。泣き出してしまった。
「私は須藤くんのために言ってあげたのにぃぃぃぃ……!」
「っ……!」
ああほんとなんていうか……。こいつの発言全部が全部間違っているわけではないのだろう。悪意もないだろうし、優しいんだと思う。
でも、それは。俺のための行動ではない。自分の正しさに酔い、少しでも陰のある人間を気持ちよく叩きたいだけだ。
今まで悪いことをする人間は、悪人だけだと思っていた。元家族や元クラスメイトたちのような悪意を持って悪事を働く人間だけだと決めつけてきた。でもこんな人間がいるなんて。
世界は広い。反論するより先に、俺はその事実に衝撃を受けていた。




