第3章 第2話 努力の成果
「ジンくん、どこか行きたいところはありますか?」
「早苗が好きなところかな」
1限目のホームルームが始まり、俺は早苗によって外に連れ出された。今から約1時間自由なわけだが、正直少し困ってしまう。
「私が好きなところですか……。食堂……は朝ですし……斬波から隠れられる場所……なんて紹介されても困りますよねぇ……」
「本当に早苗の行きたいところでいいんだよ。ていうかあんまり学校の施設ってものに詳しくないんだ。体操着もリコーダーも彫刻刀も買ってもらえなかった。体育館も音楽室も図工室も俺には遠い場所だったから、うらやましいとも思えない。だから本当に、どこでも」
きっとどこに行っても俺は感動できる。普通の学校でも金持ち学校でも関係ない。基準となる普通が存在しないのだ。
「ジンくん……。では斬波から隠れられる場所に行きましょう。斬波は仕事になるとしつこいですから。知っておくと便利ですよ!」
そう楽しそうに語る早苗に車椅子を押してもらい、屋上に続く階段の裏に案内される。金持ち校とはいえ学校は学校。ホコリが被った段ボールが多く積まれているこのエリアは少し安心するし、確かに隠れるならもってこいだろう。
「ここなら誰にも見つからず……2人っきりで過ごせますね……」
「そうだな……」
早苗の顔がわずかに赤らむのがわかった。おそらく俺も、顔が赤くなっている。
「べ、別の場所に行きましょう! ジンくん勉強好きだし図書室とかどうですか?」
「別に好きなわけじゃないよ。やらなきゃいけなかったってだけで……それに本にも興味はない」
「なら別の場所にしましょうか」
「だからどこでもいいんだって。行こうよ、一緒に」
その後は図書室や保健室。体育館に校庭。本当に色々な場所に連れていってもらった。やはり驚くのは綺麗さ……ではなく、車椅子で問題なく移動できること。当然階段や段差は多くあるが迂回すればスロープで上れるし、建物にはエレベーターも完備されている。生活の節々にどうしても生じる不自由さが限りなく少なく感じた。
「ジンくん、楽しいですか?」
「なんか新鮮で……脚が使えないはずなのに、すごい自由だ。こんな世界があるなんて想像すらしなかった」
今まで俺は狭い世界で生きてきた。家かバイト先、学校。後は食べ物を探しに行く公園や川。園咲家に拾ってもらえなかったら俺は世界から弾かれていた。こんな世界があるなんて知っていたら……いや、それよりも。
「早苗……車椅子の後ろにある荷物入れから棒を取ってほしいんだけど」
「これですか?」
掌からはみ出る程度の長さの棒を取ってもらい、伸ばす。そして腰くらいの高さにすると、それを頼りに立ち上がった。
「ジンくん……まさか……!」
「早苗が学校に行っている間に練習した。元々傷は浅かったし麻痺も軽度だったし……何より。車椅子に乗ってるとどうしても……早苗の顔が見えないから」
右脚で踏み出し、杖を床に突く。そして全身を捻りながら、左脚を前に出した。16年間慣れ親しんだ、何も考えずにできる作業。今はそれすらも意識しないと動いてくれない。だが俺にとって、これは何よりも大きな一歩だ。
「まだ全然遅いし、車椅子でもどんな世界にだって行けるってことがわかった。けど、それでも俺は……」
三歩歩き、振り返る。俺の視線の少し下には手で口を抑え、涙をこらえながらも嬉しそうに微笑む早苗がいた。
「君の顔を見ていたいし、君の隣で歩きたい。そのためならどんな努力だってするよ」
「ジン……くん……!」
涙をボロボロと流しながら、早苗の身体が勢いよくぶつかってくる。さすがにまだこの身体では受け止めきれない。床に倒れた衝撃で身体が痛いが……それでも。
「改めて……もう一度、言わせてください……! 助けてくれて、ありがとうございました……!」
「……こっちこそちゃんと言わせてくれ。俺を幸せにしてくれてありがとう」
早苗の身体に包まれて、俺は心から幸せを実感していた。




