第2章 第7話 一転攻勢
「あーしを呼び出すとか生意気なことすんじゃん」
放課後。俺は空き教室にアクアを呼び出していた。スマートフォンというのは非常に便利なもので、連絡先さえわかれば瞬時に文字を送れるらしい。家族の連絡先なんて知らなかったが、どういうわけか斬波が把握していたので楽に連絡ができた。
「1人で来いって言ったよな?」
「なんであんたなんかの言うこと聞かなきゃいけないわけ?」
アクアの隣。そして背後には十数人の生徒がいた。いや生徒だけじゃない。俺の担任もいるし、戸川だってまるで側近のように控えている。
「つーわけで、場所移すよ。隣の教室空いてるから」
「……ここでいいだろ」
「だから。なんであんたなんかの言うこと聞かなきゃいけないんだって。さっさと来いよ」
これだけの人数差では聞かざるを得ない。重い車椅子をわざわざ運んでくれた斬波に頼み、アクアの後をついていく。
「あんたスマホなんて持ったこともないっしょ? なのにいきなりメッセ送ってくるなんてありえないんだよね。となると誰かにスマホの機能を教えてもらったことになる。あんたの性格的に勉強するなら全部知ろうとするでしょ。だったら疑うべきは録音機能。つーかあーしならそうする。あんた如きのやることなんか全部お見通しなんだよ、ばーか」
「…………」
隣の空き教室に俺と斬波を押し込んだアクアは勝ち誇ったように笑う。勉強なんてまるでできなかったはずなのに本当に無駄なところは頭が回るな。
「で、何の用? あーしとあんたはもう無関係。話しかけてほしくないんだけど」
用があるのは俺の示談金だけ、ってことか。言うことが一々クズで助かるよ。本当にむかつく……が。
「……頼む。俺にその金を分けてくれ」
俺は車椅子から降り、床に膝をついて頭を下げていた。ようするに、土下座。額を床に擦りつけていると、上から本当に楽しそうな笑い声が聞こえる。
「ははっ、なんそれ! そんなに金がほしいわけ!?」
「ああ、園咲家に金を返したいんだ。だから頼む……いや頼みます。お金をください……!」
俺の土下座を見て笑っているのはアクアだけではない。戸川や担任、去年の担任。クラスメイトや元クラスメイト、何の関係もないのに絡んできた奴ら。誰もが俺を嘲り笑っている。
「あんたプライドとかないわけ? や、あるから土下座までして金返そうとしてるのか。にしても馬鹿だよねぇ。金持ちの家に拾ってもらったんだから好きなだけ食い潰せばいいのに。まぁあーしらみたいな頭のいい生き方ができないからずっと、ずーっと虐められてきたんだもんね。そんなに虐めてほしいならいいよ、やったげる。みんな、そのゴミを虐めちゃえ!」
俺の視界には床しか映らない。でもアクアの号令と近づいてくる足音から、これから俺の身に何が起きるかわかった。暴力。この15年間、毎日毎日味わってきた苦痛。
「おらぁっ!」
頭に強い衝撃。声からして戸川が頭を踏みつけてきたのだろう。
「よくも俺様に土下座なんかさせやがったなぁっ! ゴミクズ野郎がぁっ!」
「っ、っ、っ!」
何度も何度も踏まれ、蹴られ、虐げられる。
「俺の教師人生が終わりそうになったんだわかってるか!? お前みたいなゴミ生徒のせいで! ほら、返事はちゃんとしろっ!」
「っ――!」
罵声、暴力、暴虐。虐めは止まるところを知らない。
「わかる? あんたみないなゴミが兄貴ってだけであーしがどれだけ迷惑を被ったか。死ね! 死ね! 死んで詫びろ、ゴミクズザコ人間っ!」
あぁ……痛い。痛くて痛くてたまらない。
「ウケる~ねぇ動画撮っていいよね~? もう撮ってるんだけど~」
「確かにそうですねー。ていうかもっと人呼んじゃいましょうよー。そっちの方が絶対楽しいですもんっ」
「ご安心くださいっ! 既にたくさんたっくさん呼んでますよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
教室の後ろの方から女子たちの声が聞こえてくる。
「うるさ……。つーか動画撮れなんて言ったっけ? まぁいっか。せっかく動画撮ってるならさ、もっと楽しいことしようよ。ねぇメイドさん」
女子たちの言葉を聞いたアクアの標的が、俺の後ろで控えていた斬波に移ったのを感じた。
「おい斬波は関係がっ!?」
「うっせーザコ。みんな、その女好きにしていいよ」
「いや……やめて……きゃぁぁぁぁっ」
後ろから斬波の悲鳴を聞きながら暴力を受け続ける。本当に痛い。決して耐えられない……なんてことはなく。これまでの日常をただ反芻するだけの退屈な時間だった。
「はははっ。あんたさー、やっぱ馬鹿だわ! 蹴られて女取られて動画撮られて。あんた何がしたかったわけ? あーしがあんたなんかに金渡すわけないじゃん! てめぇの価値はあーしらに利用されることしかないんだよ、ばーか!」
「何がしたかった、か……。こういうことだよ、斬波!」
「りょ!」
少し遠くから斬波の声が聞こえ、その数秒後には俺を押し潰していた全てが払い落とされていた。
「悪いな、斬波。女性に最低なことやらせた」
「今は業務外だからね。仕事中だったらセクハラで訴えてるところだけど」
戸川たちを軽くなぎ倒した斬波が俺を抱きかかえ、車椅子に座らせてくれる。辺りを見渡すとほとんどの男が倒れていた。俺を持ち上げた力に複数の男を薙ぎ倒す技術。寺門が斬波のいない隙を狙った理由がわかった気がした。
「な……何のつもり!? このあーしに逆らって……!」
「何のつもりかって訊かれたらねぇ。もう全部終わったよ。私の姉妹のおかげで」
「はぁっ!?」
斬波が乱れたメイド服を直していると、教室の至る方向から動画を撮っていた3人の女子生徒がスマートフォンをしまった。
「ばっちり撮れてたよ~」
「えーと、32人……ですかね? もっと増やしたかったんですけどー」
「教室の大きさ的に仕方ありませんっ! ですがこれだけいれば充分でしょうっ!」
「あんたら……何言ってるわけ……?」
アクアは何を言われているかわからないだろう。なんせアクアは1年生。俺を虐めていた2、3年生の顔なんてほとんどわからないはずだ。だから呼んだんだ、年齢の近い奴らを。
「そいつらな、園咲家のメイドなんだよ」
グレースさんのメイド、侑さん。玲さんのメイド、瑠奈さん。愛菜さんのメイド、熱海さん。この3人は待合室でアクアに会っていない。だからわざわざ制服まで用意してもらって、この状況を作り上げた。
「もう示談金なんていらねぇよ。虐めの証拠なんて確保できないからな。だから新しく虐められて、証拠を作り上げることにした。虐めだけならどの学校でも起こってるだろうけど、女性を襲うのはなぁ。未遂とはいえ高くつくぞ」
「おま……お前ぇ……!」
「人は群れると善悪の区別が曖昧になる。相手が土下座するような弱い奴となったら強気になるのも当然だ。お前如きのやることなんか全部お見通しなんだよ、ばーか」
アクアだけ? 戸川たちも? そんな中途半端な結末はいらない。やるなら徹底的に、全部潰してやる。
「もう謝っても遅いぞ。今撮った映像を斬波の顔にモザイクをかけてSNSってやつに流してやる。お前ら、そしてこの学校も。俺を虐げてきた全部! これで終わりだ」




