第2章 第5話 真の悪
「よ、よく来てくれたね、須藤くん……」
翌朝。登校した俺に声をかけてきたのはこの学校の長、校長先生だった。部外者を学校に連れてきたことを責められるのではないかと一瞬身構えたが、そうでないことは口振りでわかった。
「いやー……すまない。今まで虐めに気づけなくて……」
俺を校長室に連れ込むと、校長は額についた汗を拭きながら頭も下げずに謝罪してくる。おそらく担任経由で昨日の出来事が伝わったのだろう。大企業の社長令嬢が真正面から大事にすると宣言したのだ。トップとしては穏便に済ませたいところだろうが、下手な嘘をつこうとする態度が気に食わない。
「それで、いじめに対する調査とかはするんですか?」
「も、もちろん! だから大事には……」
「それは結果次第ではないでしょうか」
「そ、そうだね……ところで後ろの方は……?」
校長が少しいやらしい視線を、俺の後ろで静かに佇むメイド服姿の斬波に向けた。
「園咲家の使用人を務めております、武藤斬波と申します。本日からしばらくの間、須藤の介護人として付き添わせていただきます」
「い、いや……部外者は……」
「昨日盗難に遭った松葉杖に破損が見られました。車椅子を使用したくとも貴校はバリアフリー設備が整っておらず、教室に行くことも困難です。それを踏まえた上で何か問題がございますか?」
「い……いえ……」
本当ならこの役目は早苗が申し出ていたものだ。だが昨日学校をサボったことでお義父さんに怒られてたし、何よりここで早苗を頼ったら昨日と同じ。斬波にサポートを頼むことにした。まぁ斬波にも学校をサボらせてはいるのだが……。
「それで。なにか進展はありましたか?」
「昨日電話でお伝えしたように担任教師と戸川くんには何かしらの処分を……」
電話、か……。そんな話俺の元には届いていない。
昨日園咲家の弁護士さんの元に届いた電話は6本。俺を虐めてきた人数を思えば少なすぎる。他クラスや学年にまでは名刺が行き渡っていない事情はあるだろうが、にしたって少ない。
だからおそらく、ほとんどの奴は俺の実家に電話したか、実際に赴いた。直談判して同情を誘うという愚策のつもりだろうが、これが悔しいが刺さってしまっている。
事態をややこしくしているのは俺のこの微妙な立ち位置だ。俺は須藤の人間であって、そうではない。だがそれを知っているのは当人たちだけだ。実家に連絡しても不思議じゃない。
そうなると起こる問題。あいつらならたとえ身に覚えがなくても金が手に入るなら毟りとる。勝手に示談をされればそれ以上の罪には問えなくなる。
まぁ昨日の時点でそんなことはわかっていたから多少は割り切っていたが、にしても学校までなんて……。しかもこの問題、園咲家が俺を法的な許可なく預かっている形になっているから強く出られないのがまた面倒くさい。
クソ……現状実家だけが得してる状態だ……! 何なら想像しうる限り最悪の状態。早く解決しないと……!
「とりあえずわかりました。早急に虐めの調査をお願いします」
こんな小物とこれ以上話しても何も進展しない。俺の標的はもっと大きな巨悪だ。斬波から松葉杖を受け取り教室へと向かう。
「状況は芳しくないようですね」
「ああ……最低限弁護士費用くらいは回収したかったんだけどな」
「そこは気にしなくてもいいですよ」
「そういうわけにもいかないだろ……俺ただの金食い虫だぞ」
「むしろ逆です……寺門のこと忘れたの? あいつの部下が早苗を誘拐しようとして、ジンに怪我を負わせた。一生麻痺が残るような大怪我を負わせた。武藤家……ひいては園咲家の失態。そのお詫びはまだできてないでしょ」
「それこそ俺をあのクソ家から助け出してくれた分で余裕でチャラだよ」
そんな互いに気を遣うような会話をして教室へと入る。斬波にどこにいてもらおうかと考えていると、
「須藤! 今まで悪かった!」
俺を見るなり戸川が床に這いつくばり土下座をしてきた。
「今までのことは謝るから親父の会社での立ち位置は……」
「その件は弁護士に連絡しろって話だっただろ」
「だって弁護士なんて……親父にもこんな話できねぇし……」
「親に言ってないのかよ……」
呆れた。この期に及んで謝罪で話が終わると思ってるのか。甘ちゃんというか世間知らずというか……。
「……戸川。俺の実家にも行ってないんだよな」
「い……行ってない……。行った方が……」
「絶対に行くな。その代わりに俺を虐めた奴に弁護士の名刺渡してこい。斬波、頼む」
「かしこまりました」
斬波がスカートのポケットから大量の名刺ケースを取りだし、それを戸川に渡した。
「実家に行かずに必ずここに電話しろ。素直に謝るなら悪いようにはしない。それを伝えてくれ」
「わ、わかった!」
戸川が走って教室を出ていくのを見送ると、斬波がため息をつく。
「よろしいのですか? 悪いようにはしないなんて言って」
「いいんだよ、真の敵はアクアたち元家族だ。他の連中全員を許しても余裕でお釣りがくる。俺への恩ができれば近所の実家も動きづらくなるし、そうすれば……」
「へぇ。あんたも小狡いこと考えられるんだ」
耳元で聞こえた声に、ぞわっと全身の毛が逆立った。声の主を確認するまでもない。嫌でも毎日聞かざるを得ない、家族の声……。
「アクア……!」
「あんたさ、いつもあーしらをクズだって内心馬鹿にしてたっしょ。言っとくけどあんたもあーしらと同類だから」
振り返ると制服を派手に着崩しもはやギャルのコスプレレベルになっているアクアがニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。どうして2年の教室に1年のアクアが……なんて考える意味はない。俺の家族が動く時は決まってロクでもない時だ。
「そろそろホームルームだ……」
「なに? 文句あんの?」
「っ……!」
声が詰まってしまった。アクアに睨まれて、凄まれて。潰すと決めた相手に何もできなかった。
「はいはいみなさんご注目!」
拭いきれないトラウマに一瞬視界が真っ暗になっている間に、アクアがパンパンと手を叩きクラス中の視線を集める。そしてとんでもないことを口走った。
「今なら特別! 示談金10万で手を打っちゃいます!」
示談金……10万……? 虐めが明らかになったらそれだけの損失じゃ済まないぞ……おそらく停学になるだろうし、進学にも影響が出るだろう。だから本来もっと搾り取れるはず……。金の亡者がこの認識を誤るなんて……いや、違う!
「10万で虐めがなかったことに! どう? 安いと思わない?」
アクアの目的がわかった。それは本来払う必要のない人間からも搾り取ること。虐めの証明は難しい。明らかに俺のことを虐めてた奴は2、3年だけでも100人はいるだろうが、悪質なのは4分の1もいない。証拠がある人物となるとさらに減る。つまりそれ以外の奴らを罪に問える可能性は極めて低い。
だが自主申告制ならその限りではない。被害届を出されるかもしれないという恐怖に怯えるくらいならさっさと和解した方がいいに決まっている。
そしてまた金額が絶妙だ。10万なら俺が毎月稼げる金額。決して安くはないが、将来を考えれば天秤にかかりすらしない。
俺がやっていたらせいぜい特にひどい十数人に数10万……500万も行けば上出来だ。
だがアクアのやり方なら。100人に10万なら、1000万。それに加えて安く済ませてもらったことによる恩。それを一手で手に入れようとしている。
「待て! こいつに借りを作れば骨の髄までしゃぶりつくされるぞ!」
「まぁ多少の恩は返してもらうかもしれないけどさ。人数が多ければ多いほど、その心配はなくなるんじゃない?」
「っ……!」
俺は。アクアには詐欺のような頭を使った悪行はできないと思っていたし、実際その通りだと思う。自分が捕まらないことを前提とした複雑な計画を立てるなんてこいつらには不可能だ。
だが。こういう話術だけで稼ぐとなるとこうも強い。舐めていたわけではないが、えぐすぎる。戸川や担任なんかでは相手にならないほどの、絶対悪。
こんな恥も外聞も良心も平気で捨てられるような奴に。俺はどう立ち向かえばいいんだ。




