第2章 第4話 法律
「失礼いたします」
いまだ盛り上がりが冷めない教室にクォーターのブロンド美少女と、俺を支えるメイドが堂々と入場する。
「なにこのかわいい子……お人形さん……?」
「メイド!? メイドさんがいるぞ!」
「なんで須藤がこんな美少女たちと一緒にいるんだよ……!?」
早苗たちの登場に一瞬静まり返った教室だが、すぐにその現実離れした異様な光景にざわめきを取り戻す。斬波が俺を教壇に座らせる中、騒々しさを気にも留めず早苗は教室の中心へとすたすたと歩いていき、奴の目の前で止まる。そして、
「戸川旭さん。あなたの行為に対し、警察に被害届を提出させていただきます」
普通の高校生には聞きなれない単語を口にした。
「け……警察って……!」
「本日の一連の流れは伺っています。人を蹴り飛ばし、水をかける。これは立派な暴行罪になります。当然今から病院に行って診断書をいただいてきます。そして怪我をしていた場合は暴行罪よりも重い傷害罪。そうそう、松葉杖の件で窃盗罪。制服に汚れがついたので器物損壊罪。忘れてはならないのが侮辱罪や名誉棄損罪ですよね。とても容認できることではありません。ということであなたの行動は不法行為になると考えます。何か意見がありましたらこちらにどうぞ。私の家の顧問弁護士の連絡先になります」
突然公権力の名前を口に出され慌てる戸川に、早苗が一枚の名刺を差し出す。……これが早苗のやり方。言葉や力ではなく。平等で公然な法律を突きつける。交渉という面で見れば何よりも暴力的だ。だがやり返されないと思って好き勝手暴れる連中には効果的。絶対的なルールには交渉の余地などないのだから。
「ちょっ……ちょっとからかっただけだろ……そんな大袈裟な……!」
「ちょっとからかっただけ……そうですか。あなたの認識はそうなんですね」
「そうなんだよ! いつものイジリで……須藤が傷ついてるだなんて思ってなかったんだ! 悪気はなかったんだよ!」
「悪気はなかったんですね、なるほどなるほど。あなたの意見はよくわかりました。代理人にそうお伝えしておきます」
さっきまでの笑顔はどこに行ったのだろう。戸川の顔はすっかり青くなっていた。いや、こいつだけではない。以前俺を虐めていた奴も、そうじゃない奴も。訴えられる可能性がわずかでもある以上、怯えることしかできない。
「だ……だいたいお前らは何なんだよ……! 須藤とお前に何の関係が……!」
「申し遅れました。私、須藤ジンの婚約者の園咲早苗と言います。そして彼はミューレンスの次期社長候補。そんな大切な人材が不当に被害に遭っているのです。ミューレンスの社長令嬢として黙っているわけにはいきません」
ミューレンス。超大手玩具メーカーの名前を聞いたことのない奴なんて存在しない。あまりの大物の登場に教室中が愕然とする中、戸川の顔がさらに青ざめていた。
「早苗様、こちらを」
「はい。……あらあら戸川さん。お父様がうちの孫会社の課長さんだそうですね」
斬波から差し出されたタブレットに目を通した早苗がクスリと笑う。同時に戸川の身体がビクリと震え、俺も見たことのない早苗の嘲るような表情に思わずドキリとしてしまう。
「孫会社と言えど関連企業。そこの課長様の御子息がこの様子では……お父様の管理能力を疑わざるを得ませんね」
「ま……まって……!」
「ご安心ください。私には何の権限もございません。あくまで事実を包み隠さず父に伝えるだけ。何か問題がありますか?」
「や……それは……!」
不運、としか言いようがないが自業自得でもある。戸川に微かな同情心を抱いていると、早苗は次に教卓の前で固まっている先生に身体を向けた。
「他の方にも被害が確認でき次第被害届を出させていただきます。それとずっと黙っていた先生。あなたは直接何かしたわけではないでしょうが、然るべき機関に報告させていただきますね」
「なっ……なぜ……!」
「ご安心ください。私は教育について詳しくないので、もしかしたらあなたの行いは正しいことなのかもしれません。いえ、むしろ教員免許を持ったあなたの方が正しいでしょう。きっと私の行動は無駄に終わるでしょうから、存分に伝えさせていただきますね」
「ぁぁ……終わった……終わったぁ……」
俺が同じことを言っても誰も本気にはしないだろう。もっと感情的になるだろうし、何よりここまですらすらと糾弾できる気がしない。改めて思い知らされた。俺と早苗の教育の差を。そして身分の違いというものを。
「何にせよジンくんに対し不法行為があったと客観的に確認できた場合、どなたに対してでも弁護士経由で連絡させていただきます。皆様の連絡先や家族構成等々は抑えてあるのでご心配なく。それと一言。こうなったのは私が偉いからではありません。人間は誰しも平等。生まれや育ちで差別されるなどあってはならないのです」
そうは言っているが、気づいているだろうか。そんな綺麗ごとを言えるのは、持っている側の人間だけだということを。
「ではジンくん、帰りましょう? そして同じ学校に入るのです!」
美麗な顔立ちを最大限活かし諭すように語っていた早苗の表情が一変、満面の笑みになり俺に振り返る。
「ジン様、少し汚れていますが大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう」
大量の弁護士の名刺を教壇に置いた斬波が、指一つ動かせない戸川から松葉杖を取り返して俺に差し出してきた。それを受け取り、3人で教室を出る。
「どうでしたどうでしたっ!? かっこよかったでしょう、私!」
「……70点かな」
実際かっこよかったのは事実だし完璧と言っても差し支えない。普通の相手には。
「それは……あの方たちはあれで終わっていないと?」
「いや、戸川や担任みたいな普通の小物はあれで終わりだよ。普通警察は怖いし、普通弁護士まで出てきたらおとなしくなる。ただ、世の中は普通の人間だけじゃないんだよ」
この事件は確実に他のクラスや学年まで伝わるはずだ。そして東山高校には妹も通っている。
あいつがこのことを知ったらどうするだろうか。決まっている。急激に立場が良くなった俺の妹であることを利用しようとするはずだ。早苗のおかげで俺に逆らうことができなくなった以上、一度でも俺に何かした奴は自動的に妹にも逆らえなくなる。
「……ごめん早苗。一度家には帰るけど、まだしばらくはこの学校にいるよ」
「それは……なぜですか?」
「全員が全員俺を虐めていたわけじゃない。良い奴だっている。それなのに王政に巻き込むのは申し訳ないからさ」
アクアはこの状況を利用して学校の女王になろうとするだろう。だがそんなのは認めない。なぜならこれは、早苗が俺のためにやってくれたことだからだ。そして何より、このままじゃ早苗に助けてもらっただけで終わってしまう。
俺は守ってもらうだけの弱い存在でいるわけにはいかないんだ。生まれの差も教育の差も身分の差もある。それでも対等にならないと、早苗の隣にはいられない。
「まだ俺はこの学校でやるべきことがある。ちゃんと自分の手で片づけてから、早苗のもとに帰るよ」
早苗にはその他大勢を処理してもらった。残りはアクアただ一人。あいつを退けて初めて、俺は早苗と対等になれる。




