第2章 第3話 虐め
「ジンくん……うぇ……ぅああ……っ」
早苗の涙声が耳に響く。
「うそつき……ずっと一緒にいるって言ってくれたじゃないですかぁ……っ」
悲痛な叫びだ。まさか……こんな。こんなことになるなんて……。
「どうして別々の高校なんですかぁ……っ」
「いやそれはもうしょうがないだろ……」
月曜日、平日。つまり登校日。現実味のない経験をしたから麻痺していたが俺たちは高校生。学校に行くのが当然だし、別の高校に通っている以上一度別れないといけないのだが、早苗が俺から離れてくれない。
「ちょっとおねぇ、あたし今日日直だから早くしてほしいんだけど!」
バカでかい高級車から愛菜さんが顔を出してくる。彼女たちが通う学校の名前は、私立風鈴学園。偏差値で言えばたいしたことはないが小中高大一貫の金持ち学校だ。6姉妹とそのメイドは全員同じ学校に通っており、大学生のグレースさんたち以外は全員車に乗り込んでいる。
「早苗様、行きますよ」
「ぅええええ……ジンくん……5分ごとに必ず一度は連絡してくださいね……!」
「いやそれは無理だけど……がんばる」
斬波に引きずられていく早苗に、俺はスマートフォンを握りながら手を振る。ずっと憧れてたスマートフォン。お義父さんに買ってもらった俺だけの相棒。今までお袋のお下がりの時計としての機能しかないガラケー使ってたからな……さすがにめちゃくちゃうれしすぎる。
「それじゃあお願いします」
「かしこまりました」
運転手さんに頭を下げ、俺は俺で高級車に乗り込む。園咲家から俺が通う私立東山高校まではそれなりに距離があり、加えてこの脚。なんと車で送迎してくれるらしい。さすがに気が引けるが断って高校に辿り着ける自信がない。ありがたく厚意に甘えることにした。
「校門の前まででよろしいでしょうか?」
「いえ少し離してください。さすがにこの車はちょっと……」
斬波とは違い終始真面目な運転手さんの車に乗ること30分。俺は学校付近にまで到着した。
「いってらっしゃいませ」
「ありがとうございます。帰る際は連絡させていただきます」
運転手さんに頭を下げ、俺は松葉杖で学校へゆっくりと歩を進める。これ以上迷惑をかけたくないから黙っているが、正直松葉杖でもかなりきつい。歩行速度は今までの三分の一にも満たないだろうし、何より進むたびに脚だけでなく全身が痛む。バイト漬けで肉体労働はお手の物だが、普段使わない筋肉を行使しているせいで筋肉痛気味だ。
かといってエレベーターなんてハイテクなものは学校にない。車椅子では教室に辿り着くことさえ難しい。ちゃんとリハビリしてこの身体に慣れないとな……。お医者さんの話では麻痺具合は軽度。しっかりリハビリさえすれば杖で歩けるようになるらしい。走ったりはどうしようもないらしいがそれならだいぶ楽だ。何より早苗たち家族に迷惑をかけずに済む……とかを考えながらなんとか校門を通り抜けると。
「うぇーい!」
後ろから何者かに蹴り飛ばされ、倒れてしまった。
「戸川……」
俺を蹴り飛ばしたのは小学校からの同級生のチャラ男、戸川旭。家族以外で俺を最も虐め抜いてきた奴だ。
「何その脚、骨折? ざまぁ!」
「刺された」
「マジ!? なっさけねー! そんでこいつがないと歩けなくなったんだ! だっせぇなぁ」
「おい返せよ!」
倒れた時に散らばった松葉杖を拾い、愉快そうに笑う戸川。そっちがそのつもりなら、俺も相手になるだけだ。
「どうして俺の身体を蹴り飛ばし、松葉杖を盗むんだ!」
「あ? 盗んでねぇよ預かってやっただけ。教室まで来れたら返してやるよ!」
本当に楽しそうにそう吐き捨てると、戸川は俺の松葉杖を奪って行ってしまった。周りに生徒はいくらでもいるが、誰も助けには来てくれない。教師も同様、見て見ぬふりをしている。優しい人たちに囲まれて忘れていた。これが俺の日常。虐げられるだけの日々。
「っ!」
なんとか立ち上がってみたが、一歩足を進めようとしただけで転んでしまった。左脚がまったくついてきてくれないし支えにもならない。その割には感覚はしっかり残っており、無茶をするとそれに比例した罰を下すかのように激しい痛みが襲ってくる。
「クソ……!」
周りに寄りかかるものがない以上進むには這っていくしかない。お義母さんがクリーニングに出してくれた制服に泥がつき、お風呂に入らせてくれたおかげで綺麗になった顔も手も真っ黒になる。それでも俺は進むしかない。
「おい遅刻だぞ! それになんだその格好は! 洗ってこい!」
結局教室に着いたのは始業のチャイムが鳴った後。そして泥だらけで這いながら教室に入った俺を見て、担任はまずそう言った。
「まったく。廊下をこんなにも汚して。お前が普段から汚いのは勝手だが、周りに迷惑をかけるな!」
「すいません……松葉杖を盗まれて歩けないもんで」
「盗んでねぇって言ってんだろ? なんならほら、返してやるよ!」
「ぐっ!」
俺の後頭部に硬いものが落ちてくる。戸川が松葉杖を投げつけてきたことは見なくてもわかった。
「で、もう一回借りるわ。そうそうかわいそうだから洗ってやるよ」
「…………」
そして再び松葉杖が取り上げられると、俺の身体に水が降り注ぐ。見上げると心底楽しそうにペットボトルを傾ける戸川の顔があった。
「こら戸川! 教室を汚すな!」
「汚してませーん! 洗ってあげただけでーす!」
「まったく……。おい須藤! いつまでそうしてる! さっさと廊下を拭いてこい!」
「……はい」
這ったままUターン、教室を出る。扉を右足で閉めると、教室の中から爆笑の声が漏れ出てきた。何がそんなに楽しいのかはわからないが……。
「覚えてろよ……!」
あいつらは俺が反撃することはないと思っているようだが、もう違う。大事にしたくないのは変わらない。衆人環視の中問題を起こせば迷惑がかかるのは俺を拾ってくれた園咲家。自分の将来以外にも守るものができた以上、今までよりも行動には気を付けなければいけない。それでも手に入れたのだ。この状況を変えるほどの力を。
「須藤くん、大丈夫!?」
とりあえず教室から離れていると、教室から一人の女子生徒が駆けてきた。見たことのない女子だ。まぁクラス替え直後だから名前を知らない奴なんて……いや。
「この前の……」
「津村真里だよ。よろしくね」
早苗と出会う30分前。俺に勉強を教えてくれと頼んできた女子だ。
「ごめんね……あの場で何も言えなくて。でも心配で……」
「それには及ばない。俺には切札があるんだ」
俺が取り出したのは、夢にまで見た最強の武器。
「こいつはな、スマートフォンって言うんだ」
「え? あ、うん、見ればわかるけど……」
「普通ケータイなんてのは電話とメールしかできないだろ? でもこいつは様々なアプリをインストールすることで無数の機能を使えるようになるんだ」
「当たり前だよね……?」
「特に俺がほしかったのはこれ! 録音機能! 聞いて驚け、このアプリを使うとな……」
「あ、大丈夫。全高校生わかるから」
「しかもこのスマートフォン! 防水機能って言って、機械なのに水を浴びても大丈夫なんだ! 時代もついにここまで来たかって感じだよなぁ……」
「もしかしてタイムスリップとかしてきた?」
「つまりだな。俺は今までの全てのやり取りを録音してきたんだ!」
これで虐めの証拠は確保済み。後は煮るなり焼くなり好きにできる。
「だから俺は大丈夫。それより早く帰った方がいいぞ。君まで虐められる」
「あ、真面目な話に戻った? ……確かに虐められるかもしれない……けど、間違ってることは間違ってるって言わなきゃ駄目だから。それで虐められるとしても、私は後悔しないよ」
俺が見上げる先にいる顔はいたって真剣そのものだ。本心から俺を心配してくれていることがわかる。それはうれしいが、今までもそう言ってくれる人はいたにはいた。でも必ず、俺から身を引いた。唯一早苗以外は。
「じゃあ今から君のこと殴っていいか?」
「……え?」
「虐めってのはそういうもんなんだよ。理由もない、理屈もない、無邪気な悪意。心配してくれたのはうれしかったけど帰った方がいい。虐めに耐えるのもやり返すのも、たぶん君が思ってるよりずっと、苦しいから」
「一緒に地獄に堕ちると約束したではありませんか」
津村さんが言葉を止めて立ち尽くす。そっちの方が賢い。地獄だとわかってるのについてこようとするなんて早苗しか……あれ?
「早苗!?」
「先程ぶりです、ジンくん」
幻覚かと思ったが……違う。確かに廊下の先に早苗と、メイド服姿の斬波がいた。
「なんでここに……」
「どうしてもジンくんと一緒にいたくて来ちゃいました。あわよくば転校手続きも済ませるつもりで。でも考えが変わりました」
そう言いながら早苗は俺へと近づき、何の躊躇もなく汚れた俺の肩を抱き立ち上がった。
「後は私に任せてください。そして私たちと同じ学校に通いましょう」
そう語る早苗の純白の制服は泥がべっとりとついている。俺のせいで。
「大丈夫だよ。俺1人で何とかできる」
「確かにそうかもしれません。ですが夫婦とは相手の不足を補うもの。今回は私の方が向いています」
「言っとくけど絶対俺の方が交渉上手いからな」
「どうでしょうか。寺門さんとのやり取りを見ていましたが、ジンくんが得意とするのは話術と盤外戦術でしょう? 勝つことには向いていますが、相手を徹底的に倒すには向いていません」
「……悪いけど俺、早苗のこと敬語使ってれば頭よく見えるだろうって思ってる天然だとしか見てないからな」
「ふふっ。これでも園咲家の令嬢。交渉の基礎は学んでいます。杏子の下位互換と思っていただければ結構です」
「あ、杏子さんか……」
「本当にジンくんは杏子が苦手ですよね。とにかく私に任せてください。それとも私のことが信じられませんか?」
そう言われたら。答えは決まっている。
「俺が早苗を疑うなんてありえないよ。愛してるからな」
「うへへ……あ、涎が……」
一瞬疑いかけたが、愛を伝えられ喜んでいる姿をかわいいと思ってしまった俺に、拒否権などなかった。




