第1章 最終話 初恋
「ひゃい……えぐっ。はやく……はやく来てください……ひぐっ」
二列目のシートに移動してきた早苗さんが園咲家への電話を終える。肩を刺されてうずくまっている2人は助手席に移しておいた。これで隣の早苗さんは守れるし、運転席で項垂れている寺門は監視できる。幸いにもここは予想通りの人通りが全くない山の中だった。こいつらさえ留めておけば何の問題もない。寺門たちに目を向け続けていると、電話を終えた早苗さんが訊ねてくる。
「本当に……寺門さんのこと言わないでもよかったんですか……?」
「ああ。必要ない」
「救急車や警察も……?」
「昨日こいつらが救急車を呼んでくれたか? 自業自得ってやつだよ。それにこの程度じゃ人は死なないしな。せいぜい身体に麻痺が残る程度だ」
俺が早苗さんに言わせたのは、家の人に乗せてもらった車がパンクしたから助けに来てくれということ。それと申し訳ないが、ご両親と姉妹を連れてきてほしいということだ。
「寺門しゃん……なんで……なんでこんなことに……」
自分を誘拐した犯人。自分を殺そうとした人間。それなのに、早苗さんは涙を流している。どれだけ優しいのか。
……申し訳ないな。そんな良い人を、さらに傷つけるなんて。
「早苗さん、俺たち別れよう」
寺門たちを監視しなければいけない。いや……言い訳か。俺は早苗さんの目を見れなかった。
「なん、で……」
泣き声がピタリと止まり、代わりに。今にも死んでしまいそうなか細い声が俺の耳にこびりついてくる。
「俺は人を2人刺した。一緒にはいられないよ」
「せ……いとうぼうえ……」
「成立要件は満たしてるんじゃないかな。過剰防衛にはならないと思うよ、誘拐されてるんだし、深く刺してないし。専門家じゃないからわからないけど」
「じゃ、ぁ……なんで……」
「名家の婚約者が何にせよ、人を刺すのは駄目だろ。殴る蹴るのとはワケが違う。俺たちを誘拐した時点でこいつらの作戦は最低限成功してたんだよ」
これを言ったら傷つけてしまうかもしれないから言わないが、刺さないルートはあった。脅迫だけなら刺す必要はなかった。
でも俺は、刺した。そっちの方が確実だったから。
俺はそういう人間なんだ。どこまで行ってもゴミはゴミ。人を傷つけることに躊躇のない人間。早苗さんたち善人とは、違う。
「とりあえず俺は早苗さんを無事に家族に渡した後、警察に行く。それで俺が急に錯乱して2人を刺したってことにしておくよ」
「寺門さんを……庇うんですか……?」
「だって寺門が誘拐犯だって知って悲しかっただろ。たぶんお父さんお母さんや姉妹たちも同じ。園咲家的にもそっちの方が都合がいい。今なら全部俺のせいにできるんだよ」
「ジンくん……だって……!」
「まぁ聞け。俺は自分一人で捕まる気はない。誘拐は俺の両親が企てた犯行ってことにする。俺が助けることでお礼金目当てのマッチポンプをしようとしたってことにするんだ。それが事実になればあいつらに渡した金も返ってくるし、寺門も無罪放免。早苗さんの両親にだけ真相を打ち明ければ寺門も今回みたいな無茶なことはできなくなる。これで全員幸せになれる」
「全員……? ジンくんは……? ジンくん自身はそれで幸せなんですか……!?」
幸せ、か……。どうなんだろうな……。未成年だし犯罪歴はつかないだろうが、少年院に入ることになれば勉強ができなくなるかもしれない。それは痛いがあの両親を今度こそ牢屋にブチこめるかもしれない。それでトントン……いや、違うな。今伝えるべきは、そうじゃない。
「俺たちが出会ってからちょうど24時間って感じか。良い夢見れた。俺には過ぎた、幸せな時間だった。ありがとう早苗さん。君に会えて幸せだった」
俺の夢はいい会社に就職して俺を虐げてきた全てを見返すこと。将来、いつかの未来の話だ。そのために今受けている辛苦を受容し続けてきた。そんな俺が今、幸せだと口にできたんだ。これ以上を望むのは贅沢というもの。この選択に悔いはない。それなのに。
「あ……れ……?」
俺の瞳からは、涙が零れていた。
「意思弱すぎかよ……」
悔いがない、わけがない。思い残したことはたくさんある。でも、いいんだ。これは俺の都合で、早苗さんには関係のないこと。俺だけが抱えていればいい。
「嫌なら嫌って言えばいいじゃないですか!」
初めて聞く早苗さんの大声と共に、彼女の小さくも温かい身体が俺を包み込んできた。
「いつも変なことばっか考えて! 自分がゴミだって自虐して! それがあなたの自分を守る手段なのかもしれない。それについて何か言うつもりはありません。でも私たちは夫婦になるんです! だったら問題はあなただけのものじゃない……私も巻き込んでくださいよ! それが夫婦でしょ!?」
駄目だ。早苗さんの優しさに甘えるわけにはいかない。俺と一緒にいたら、早苗さんは不幸になる。寺門のような考えを持つ人間がこいつらだけなわけがない。早苗さんの立場を考えると、俺のような存在はマイナスにしかならない。そう、理解しているのに。
「俺は……ずっとほしかった。温かい家族……幸せな環境……愛してやまないパートナー……。でも俺にはどうせ無理だって……諦めて、蓋して……。駄目だった時に努力したって言い訳したくて……したくもない勉強ばっかりして……。だけど諦めてた夢が叶いそうになって……怖くなって……だから……」
言うな。言ったら最後、後戻りできなくなる。
「幸せになるのが怖かったんだ……。いつ壊れるのかわからない環境にいるのが怖くて怖くて仕方ないんだ……。ふかふかのベッド……美味しいごはん……優しい人たち……家族。望んでいたものが全部手に入って……すごい、怖かった……。もう、疲れたんだよ……。どうやったら気に入られるのかとか、どうしたら幸せにできるのかとか考え続けるのは……。こんなことなら、自分から壊した方が楽だって……。叶わない夢を見続けて、周り全部を憎んでいた時の方が幸せだったって……。でも、どうしても捨てられないんだ……。君と過ごした24時間が、どうしても忘れられないんだよ……!」
言葉が纏まらない。話すたびに、自分のゴミな部分が顔を出していく。自分の幸福のために、他人を利用しようとし始める。その暴走が抑えられない。
「もう嫌なんだ……! 虐待されて、虐められて、虐げられるのは……! でもそんなのは俺の都合で……そのために君を利用とする自分が許せなくて……でも、俺は……!」
「ジンくん」
いつの間にか早苗さんを包んでいた俺の腕の中から、優しくも強い、声がした。
「私はあなたに助けられて、あなたを好きになりました。あなたと一緒に過ごすたびに、その想いはどんどん強くなっていきました。幸せなんです、あなたと一緒にいると。だから私は私が幸せになるために、あなたと一緒にいたい。それはあなたの都合も、園咲家の都合も関係ない、私の独善的な願いです。あなたが私に望むことはなんですか?」
早苗さんのその言葉に俺は。何も考えることができなかった。
「俺を幸せにしてほしい――俺のゴミみたいな人生を逆転するために……早苗。俺と結婚してくれ……!」
無意識的に言葉を漏らした俺の頭上に。拳が振り下ろされようとしていた。
「だから恋愛など――!」
油断していた。考えることを放棄していた。だから寺門の攻撃を予測することなんてできなかったし、
「これで私も同罪ですね」
早苗が寺門をナイフで刺すのを止めることもできなかった。
「恋愛とは契約です。互いに利があるからこそ結ばれる契約。あなたの希望は幸せになること。それは私が保証しましょう。病める時も健やかなる時も、地獄の底でも。私があなたを幸せにします。その代償はただ一つ」
血に濡れたナイフを手に、早苗は心底幸せそうに微笑んだ。
「病める時も健やかなる時も、地獄の底でも。私と一緒にいてくださいねっ」
これにて第1章終了です! 塵芥くんが早苗さんに恋をしてしまうまでの24時間でした! 中々歪な恋愛ですが、これが彼と彼女の恋愛の形なので優しく見守ってあげてください。もちろんここから恋愛の形は変わってくるでしょうが。
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