第1章 第13話 未来の話
「それでは早苗様、ジン様。行ってまいります」
14時45分。夜に行われるパーティーの会場設営のため、斬波が俺の部屋を出ようとする。だがその寸前、俺だけに耳打ちをしてきた。
「杏子ちゃんの言っていたこと。どこまで可能性あると思う?」
杏子さんの言っていたこと。園咲家内に誘拐犯の仲間が潜んでいる可能性。まったく、姉妹に認められるどころじゃなくなったな。
「……俺は100%だと思ってる。いや、そう考えておいた方がいい」
「……だよね。だから早苗のお付きの私を会場設営に回したんだろうし……もしかしたらそれを指示した寺門が誘拐犯?」
「どうだろうな。あの人一番上だろ。一々人員配置を考える立場じゃないと思うけど」
「だね。誰か別の人を早苗の護衛に回したいけど……」
「そいつがスパイかもしれないし、俺自身傍から見れば誘拐犯の可能性もある。俺を捕える大義名分を与えたくないな」
「……ようするに。ここはジンに任せるしかないってことかな」
「ああ。一応対策も考えてるし、相手が無茶してこない限りたぶん大丈夫だ」
「……たぶん仕掛けてくるならパーティーの最中。婚約者の発表って立場だから歩き回るし、早苗が一人になる機会は必ずある。……私もなるべく見張っておくからそっちは頼んだよ」
斬波と密談を交わし、別れる。頭の切れる杏子さんも暴力という観点から見れば脚が使えない俺以下だろうし、俺に周りを動かす力はない。とりあえず夜までは俺一人で何とかするしかないか。
「……二人きり、ですね……」
しかもこの天然お嬢様、身内を信じ切っていてまるで警戒の様子がない。さっき杏子さんに警戒するように言われたばかりなのに俺にぴったりとくっつき、肩に頭を乗せて幸せそうな顔をしている。その時だった。
「っ!」
インターホンが、鳴った。誰かが、この部屋に来ている。
「私出てきますね」
「いや、俺が出る」
松葉杖をつき、何が出ても大丈夫なよう警戒しながら扉を開ける。でも……誰もいない?
「あ、おにいちゃん! やっと見つけた!」
違う。小さすぎて見えなかったんだ。
「どうしたの? 来海ちゃん」
慌てて笑い、やってきた2人の女児に優しく声をかける。
「ずっとおにいちゃんに会いたかったの! でも部屋にいなかったから……」
「ああごめん、ごはん食べにいってたんだ」
「そうなんだ! それでね、この子くるみのメイドの、武藤冬子ちゃん!」
「よろしくお願いします」
来海ちゃんの横で頭を下げる、表情の変わらない小さなメイドさん。天真爛漫な来海ちゃんの相方らしい物静かな子だ。
「とりあえず入って」
「うん! おじゃましますっ!」
「おじゃまします」
このまま扉を開けておくのも危険。俺は2人を部屋に招き入れ、扉を堅く閉ざす。
「おねえちゃんとおにいちゃんは、これからふーふになるんでしょ?」
「ええ、そうですよ。ママとパパにも負けなくらい、ラブラブ夫婦になります」
斬波のベッドに飛び乗る来海ちゃんと、俺のベッドに腰を掛けて微笑む早苗さん。俺も早苗さんの横に座り、冬子ちゃんにも座るよう促す。
「じゃあくるみにも妹か弟ができるんだね!」
「楽しみ。お名前一緒に考えよう」
「それは……どうしましょうか……ジンくん」
「……この場で話すことじゃないだろ」
子どもならではの踏み入ってくる発言にたじろんでしまう俺たち。杏子さんのような策略家も勘弁してほしいが、こういう無邪気も怖いは怖い。
「ねぇねぇ、ゲームしよ!」
「はい! しましょ……」
「ごめん、脚痛いからまたの機会でいい?」
まだまだ話し足りなそうな2人だが、強引に終わらせて来海ちゃんたちを追い出す。油断するわけにはいかないし、誘拐犯の標的となっている早苗さんの近くに来海ちゃんと冬子ちゃんを置いておくわけにはいかないからだ。単純に心配というのもあるが、何より姉妹の中で一番誘拐しやすい来海ちゃんを人質に取られでもしたらその時点でゲームオーバーだ。
「ジ、ジンくん……。そんなに私と二人きりに……」
鍵をしっかりとかけ、何か勘違いしている早苗さんの隣に座る。……何より俺の優先順位は来海ちゃんより早苗さんの方が上。守らないと決めている子を危険な場所に放置するわけにはいかない。
「それで……さっきの話ですけど……」
「……子どもの話?」
「はい……。ジンくんは、子ども何人くらいほしいですか?」
顔を真っ赤にした早苗さんがもじもじとしながら訊ねてくる。正直この手の話は全く考えたことがなかった。
「……俺、まともな家庭を知らないからな。無責任に子どもがほしいなんて、言えないよ」
「そうですか……。それは、よかったです」
この返答は驚いた。早苗さんは子どもいっぱいほしいと思うタイプだと思っていたから。
「……男性は。女性が子どもを産むと、母としか見なくなると聞きます」
そうつぶやくように言うと、早苗さんが俺の腕に抱きついてきた。
「私は……ジンくんに、ずっと女性として見てほしいです。でもジンくんとの愛の結晶もすごいほしいです。だから……ゆっくりと考えていきましょう。私たちにはまだまだ時間がたくさんあるのですから」
俺の家族はゴミだった。だからもし俺にも家族ができたら……あんな風になってしまうのではないかと怯えていた。
でも……早苗さんと一緒なら。以前までの俺では考えすらしなかった未来も。考えていいのかもしれない。
そう。思い始めていた時だった。
「早苗! 俺の後ろにいろっ!」
部屋の鍵が勝手に開き、扉が開いた。
「あら、寺門さん。どうしたのですか? マスターキーなど使って。パパに言われてますからやましいことはしませんよ」
部屋に入ってきたのはお父さんの秘書、寺門さん。そして2人のスーツを着た男。その顔は、確かに見覚えがあった。
「早苗さん……こいつだ。こいつが君を誘拐しようとしたんだ」
「ジンくん? なに言って……って……なにを、持っているのですか……!?」
俺の手にあるナイフを見て、呑気な声を出していた早苗さんの声質が変わった。
「こいつの言う通り、育ちが悪いもんで。厨房からくすねてきた」
杏子さんほど頭は回らないが、だからこそ直接的な手段は取れる。これをくすねるために松葉杖を用意してもらい厨房に連れていってもらったんだ。
「だからその男はやめておけと言ったのですよ、早苗様」
寺門が扉を閉める。これで3対1……。しかも今の俺は、左脚の麻痺のせいでほとんど動けない。
「あんたの目的はなんだ……!」
「言うまでもない。武藤家は園咲家を支えるための一族。園咲家の障害となる存在はどんな手段を使ってでも排除する。たとえ娘だとしてもな。やれ」
寺門が指示を出し、男たちが向かってくる。手にはスタンガン。リーチは短いが、無力化させるにはナイフよりもよほど効果的だ。だが、
「だったらあんたが一番いらねぇよ!」
俺はそう叫び、ナイフに注目が集まっていることを利用して松葉杖を振りかぶる。誘拐犯の武器はナイフだということは身をもって知っている。だからリーチで上回れる武器さえあれば何とかなる、はずだった。
「ぐっ……!?」
支えを失った脚がガクリと曲がり、その勢いのまま床に倒れてしまう。誤算だった。優しい人たちに支えられていたおかげで気づかなかった。いや、気づきたくなかったんだ。
俺が家族から見捨てられるほどの、役立たずに成り下がっていたことに。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
それでも早苗さんだけは逃がそうと立ち上がろうとしたが、脚だけでなく全身から力が抜ける。スタンガンを食らったと気づいた時には全てが遅かった。意識が薄れゆく中、早苗さんの小さな悲鳴がやけにはっきりと耳に届いてくる。
俺は俺を助けてくれた人を助けることもできず、二人まとめて誘拐されてしまった。




